第一ループ(1/30)
がばっ、と上体を跳ね起こした志道計助は、飛び込んできた強烈な日射しに視界を灼かれ、反射的に手をかざす。
「んっ、んん……。ここ、は……」
目覚めたばかりの曖昧な意識で、まばたきを繰り返しながら周囲を見回す。
天井のまだらな雨漏り染み、朝日眩しい東向きの間取り、壁一面に張り巡らされた名古屋各地区の地図群──見慣れたボロアパートの自宅だった。
「家……ああ、家だ……」
半睡状態のまどろんだ感覚で、手だけ動かして携帯を探す。何度か空振りした後にようやく摑み、日付表示画面を見た。
──八月七日、時刻は早朝。
その表示に安堵したように、でも同時にどっと疲れが押し寄せてきたように、フーと息を吐いて再び大の字に寝転がった。
「夢……ああ夢ね。なんだ、すべて悪い夢だったわけだ。はああ、焦ったー」
後味の悪い目覚めだった。悪夢から醒めたいまも銃撃事件の怒号や悲鳴は耳に残響して、人混みに揉みくちゃにされる感覚はつい先ほどまで現場にいたようなリアリティがあって……。
──いいや、忘れよ。どうせもう終わったただの夢だ。
さあ仕事だ仕事、と計助は洗面台で顔を洗って気分を切り替え、朝食用のロールパンを口に
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咥えながらスリープ中のパソコンを立ち上げて作業を再開。「……朝っぱらから仕事しろってかクソ上司め」と愚痴りながらボスから朝一で届いたメールを読み──
「あれ」
ぴたり、とタッチパッドに触れていた指先が止まった。
奇妙な感覚が胸に広がった。朝一で届いたボスのメール、仕事しろってかクソ上司めという愚痴、その一連の流れになぜか覚えがある。これ、どこかで……。
──そうだ、夢だ。さっきまで見ていた悪夢のはじまりもこんな感じだった。
「夢と同じ……偶然、だよな?」
不思議に思いながらもまあ気のせいだろうと流そうとした。だがメール本文を読み進めれば進めるほど、あれ、あれ、と驚きでまぶたが上がっていき、すべて読み終えたときには思わず咥えていたロールパンをぽろっと落とした。
──これ、メールの内容も夢と同じだ。『おいガキ。市議会議員の浮気調査報告書をさっさと提出しろ──』という高圧的な書き出し、そこから続く文章も同じで……。
「どうなってんだ……偶然にしては一致しすぎ、だよな?」
思わず眉をひそめた。「既視感」だと説明するにはあまりに長くその感覚が続いていて、では「予知夢」という別の説も考えるがそれはそれでなんだか胡散臭く、眼前で起きている夢と同じ展開の連続を上手く言葉にできなくて……。
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そのときだった。携帯電話が鳴って、びくっと計助の両肩が跳ね上がった。
──朝早くからの着信……そうだ、この着信も夢であった。もし夢と同じ展開が続くとしたら電話をかけてきた相手は……。
いや、と一度頭を振る。考え過ぎだ、さすがに着信相手まで夢と同じなわけがない、と。
だが、携帯を持つ手は緊張で震えている。まさかの展開があるのではないか、と。
そのまさかだった。
「よお、計助! この前は探していたスカジャン見つけてくれて助かったよ! 職人技が光るド派手な龍の刺繡は最高だ! で、その礼ってわけじゃないが、いいこと教えてやるよ。いいかよく聞け。なんと見かけたんだ! お前が捜している人物! 栗色の髪、鈴のかんざし、一〇代後半の少女だろ。しっかり見たぜ! そいつは──っと、わりぃ、客に呼ばれちまった。今日は大須夏祭りで朝から晩まで店は大忙しなんだ。一二時頃に昼休憩取るからそんとき店に来いよ。詳しく話してやる。また後で! あ、そうそう。見かけたその女だけどよ……胸、かなりデカかったぜ。ありゃFカップとみた。隅に置けないなこの巨乳好きっ、フッフー!」
ブツリ、とそこで古着屋は電話を切った。
計助はぽかんと口を開けた。ツーツーと通話終了音が鳴っているにもかかわらず携帯を片耳に押し当てたまま固まっていた。
──同じだ。古着屋の軽薄な口調、一方的に喋り立て一方的に電話を切る一連の流れ、胸の
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大きさについて補足も含めた一言一句すべて同じ……。
「Fカップまで同じ……って、胸の大きさはどうでもよくて! 一体なにが起きてる!?」
──立て続けに起きた夢と同じ出来事。いや、夢というより実際に一度経験したことを追体験しているような連続で……そうだ、「既視感」や「予知夢」ではなく、「経験」という言葉がしっくりくる。普段なら夢の記憶なんてすぐ忘れるはずなのに鮮明なリアリティを伴って覚えていて、いままさに二度目の八月七日の朝を過ごしているようで……。
二度目? 二度目だって? いや、なに馬鹿なことを。同じ日を二度迎えるなんてありえないだろ。だとしたらあの夢はやっぱりただの夢ってことになるが……。
戸惑った。何気なく思った「二度目の八月七日」という考えはあまりに荒唐無稽で馬鹿げていたが、しかしそれなら目覚めからの一連の流れをどう説明すればいいのか。
頭はまだどこか夢と現の狭間を彷徨う半覚醒状態だった。なにかを異常と感じながら、なにが異常なのかその元凶を見つけられない、そんな言いようのないもどかしさがあって……。
と、そこで計助は一度思考を打ち切った。
いや、厳密には打ち切らされた。
何気なく窓のほうをちらりと見た際に映り込んだ〝それ〟は、これまでの考え事を瞬間で吹き飛ばすほど衝撃的だった。
ぱちくりとまばたきして啞然としたのは、一瞬。すぐさま窓枠に飛びかかり、眩い太陽光を
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手で遮りながら夏空に目を眇めて確認する。まさかあれは、あれは……!
瞬間、痺れるように思い出したのは夢の終わり。突如出現した〝謎の造形物〟。全長五〇メートルほどの長大なサイズ感で、クラシカルな各種機械を組み合わせたオブジェ。
その〝謎の造形物〟が、いま現実の光景として映っていた。
上空およそ二五〇~三〇〇メートル辺り、入道雲を背景に泰然と鎮座するように浮遊して威容かつ異様な存在感を放っている。
「なんだよあの機械造形は……デタラメすぎるだろ……は、ははっ……」
口元をひくひく引き攣らせて笑った。噓みたいな光景に混乱しすぎて。
でもすぐ真顔になり棒立ちとなった。非現実的な象徴に畏怖して。
そして雷に撃たれたように直感した。これこそが異常の元凶だと。
パンッ、と計助は頰をぶった。真に目が覚めた心地で急ぎ踵を返す。財布と携帯だけ手に取って、Tシャツに短パンとラフな格好のままサンダルを引っかけて家を飛び出す。直感がガンガン訴える。調べろ、最優先で調べろと。
──夢で見た機械造形が現実に……夢と関わりがあるなら調べればなにかわかるはず!
アパートの外に出ると蟬の大合唱が耳朶を打ったが、計助の心音も負けじとうるさく騒ぐ。ファンタジックな存在を前にした妙な高揚、だがそれより遥かに上回る不安。
ざっ、と足を止めて今度は真正面から機械造形を捉えた。そこで骨身に叩き込まれたボスの