エイム・タップ・シンデレラ 未熟な天才ゲーマーと会社を追われた秀才コーチは世界を目指す

エイム・タップ・シンデレラ 未熟な天才ゲーマーと会社を追われた秀才コーチは世界を目指す ③

 たちが観客席に到着すると、昨日もいた日本人の男が心配そうに話しかけてきた。


「さっき控え室でめていませんでした?」

「それが、チートがどうこうって」


 母が答えると、「え? それって……」と男の顔が曇る。


「いえ、でも、結局は問題なかったみたいです。勘違いだったみたいで」


 男は少しあんしたように見えるものの、険しい顔は完全には晴れなかった。

 たちが不安な気持ちで待っていると、あっという間に試合開始の時間となった。

 昨日と同じように父が対戦相手と一緒に登場すると、再び会場は歓声に包まれた。

 遠くから見る父の表情は落ち着いているように見えた。


「お父さん、大丈夫かな」


 りんが不安げにつぶやく。その左手は、の右手を固く握りしめている。


「大丈夫、お父さんなら絶対勝てる」


 りんの小さな手を強く握り返した。


 ウォームアップが終わると、すぐに試合が始まった。

 は巨大ディスプレイをじっと見つめる。

 今は、ラウンド開始前の準備期間だ。

 父がプレイするゲームでは、各ラウンドの開始直後に一つだけ好きな武器や防具を買って、自分の装備として使用できる。初期装備は弱いため、強い武器または防具のどちらかを買うのが鉄則だ。

 ラウンドが開始すると、ふと、会場がざわついていることに気づく。

 たちがいる日本人エリアからも「え?」という声が漏れた。

 前方のディスプレイには、信じられない光景が広がっていた。

 ラウンドが始まっても、父が操作するキャラクターは手ぶらだった。

 装備の購入を忘れてしまったのだ。

 プロの世界では考えられないミス。

 遠くに座る父の顔が、一瞬曇ったような気がした。

 結局、そのラウンドで父の操作キャラクターは無防備なまま敵に襲われ、あっけなく倒されてしまった。

 会場が静かにざわついている。昨日までのざわつきとは、別種のものだった。


西にしかわさん、どうしたんだ」


 周囲の日本人から、困惑の声が上がる。

 母は、不安げにキョロキョロと周りを見ている。

 は、自分の手のひらにりんの爪がグッと食い込むのを感じた。





 バタン、と扉が閉まる音が聞こえた。

 広々とした会議室に座り、昨夜の夢を思い出していたの意識が、現実に戻された。

 隣には、と同期入社の男が座っている。彼が後ろを振り返っているのに気づき、も後ろを振り返ると、扉の前に三人の男が立っていた。

 そのうちの一人は、たちの上司だ。と目が合ったが、不自然に目をらされる。

 三人の男たちはそのまま何も言わず、長机を挟んでたちの前に並んで座った。

 重苦しい表情をした三人の男が、黙って座っている。

 はふと、入社時に行った集団面接を思い出した。あの時も、こうして二対三の面接をした気がする。


「このメールを見てほしい」


 沈黙を破ったのは、中央に座るの上司だった。右隣に座るのは、上司のさらにまた上司。左隣の男は、別の部署の部長だ。

 自分のデスクで昼ごはんを食べ終え、午後の仕事に取り掛かろうとしたに、上司から突然会議依頼が来た。書かれていたのは、時刻と会議室名だけだ。

 会議室のスクリーンに映し出された文面を読みながら、不快感がの背筋にじわりと広がっていった。


「……この差出人は?」


 の隣に座る同期が、言葉を絞り出すように言った。


「わからない。匿名の差出人だ。知っての通り、この論文は君たちに主導してもらった仕事だ。何か心当たりは?」


 たちの所属部署は、埋め込み型脳チップの研究開発部門だった。

 まだ実用化には遠いが、会社では花形の部署だ。

 スクリーンに映されているメールには、たちがここ最近かかりっきりになっていた論文について書かれていた。国内外のメディアに大きく取り上げられ、話題になった論文だった。

 その論文に、不正がある。

 この告発者は、大量の証拠とともに、そう告げている。

 が一瞬、隣に座る同期を見ると、その同期もを見ていたが、さっと目をらした。

 この同期社員は、首都圏の有名大学出身者が大半を占めるの会社には珍しい、地方大学出身者だった。学部を卒業して入社したとは違い、大学院を出ているため、同期といってもより二歳年上だった。

 が何かを言おうとしたその時、


「自分は……何も知りません」


 と同期社員が答えた。

 が再び同期を見ると、その顔はぐ前を向いていた。

 このまま自分が何も言わないと、間違いなく自分も疑われるだろう。

 が口を開こうとしたその時、彼女の視界の隅で、膝の上に置かれた同期の手が見えた。

 その手は、震えていた。

 そういえば、この同期は最近結婚し、奥さんは妊娠中だった。


「──私も、何も知りません」


 いつの間にか、の口からそんな言葉が出ていた。

 横目で、同期がの顔を見るのを感じる。は言葉を続ける。


「不正と指摘されている箇所は、妥当だと思います。ギリギリ、ミスと言える範囲かもしれませんが、全てのミスが私たちに都合のい方に出ているのは確かだと思います」

「それは私だって見たらわかる。そのがどうやって入り込んだのか、わからないか?」

「もちろん私たちの誰か、ではあると思います。ただ、どの段階で間違ったかは……。私たち二人以外にも、多数のエンジニアと共同で作業していたので」


 製品ではあり得ないが、研究開発だと、必ずしも全ての変更をログに残さないことはある。今回も、論文発表を急いでいたことからそのケースだった。


「つまり、間違いなく不正ではあるものの、誰がいつ入れ込んだかわからないってことか」


 上司の隣にいる男が「なんてことだ」とつぶやく。それにつづけて大きなため息も。

 しやべっているうちに、自分でも驚くくらい冷静になっていくのを感じた。

 ──どうして自分は、何も知らないなんて言ったのだろう。

 は、変更が可能だったのは、隣に座っている同期しかいないことを知っていた。

 なのに、それを言わないなんて。

 犯人がわからない場合、この責任はきっと、関係者全員が広く負うことになるだろう。

 の目の前で、男たちが今後の対応を話し合っている。

 昨夜、久しぶりに見た幼い頃の夢の内容が、改めての頭をよぎった。


***


 暗い部屋の一角に、液晶ディスプレイが光っていた。

 部屋にはキーボードの音がカタカタと鳴り響き、時おりマウスのクリック音が混じる。

 ディスプレイの光に照らされて、の顔がぼんやりと浮かび上がっていた。部屋着に身を包んだは、大きなヘッドフォンを頭にかぶり、画面に集中している。

 画面内に人影が現れた。相手はまだの存在に気づいていないようだ。

 瞬間、はマウスを握る右手に力を込めた。目の前に、大量のやつきようが飛び散る。

 だが、ターゲットが倒れることはなかった。

 に背中を向けていた相手が、銃声で振り向く。

 危険を感じた時は既に遅い。


「ああもう、また負けた! なんで後ろから撃ってる時ほど当たらないのよ!」