結衣は、先輩に「研究が好きで入ったわけでもないだろ」と言われた時、図星かもしれないと思った。上司から事情聴取された時、自分が同期のことを隠したのは、単に境遇に同情したからではない気がする。そもそも、研究にたいした未練がなかったのかもしれない。
結衣は大学在籍時、教授から大学院への進学を勧められたが、母が就職を望んでいたため進学はしなかった。教授からは惜しまれたが、特に後悔はなかった。
あの時も今も、結局、根っこは同じなのかもしれない。
立ち去っていく先輩社員の背中をぼんやりと見ていると、彼は急に立ち止まった。そして振り返り、再び結衣の席へと歩いてきた。
「そういえば、ちょうどいい話があるんだった」
怪しむ結衣に、先輩社員はニヤリと笑ってそう言った。
「部署に依頼があったんだけど、講演会とか興味ないか?」
「講演って、私がですか……? 何を話すんですか?」
「まさにそれだよ」
先輩社員は結衣のスマホを指差した。
***
──完全に、公開処刑だった。
結衣の胸に、今日何度目かわからない後悔の言葉が浮かんだ。
トークセッションが始まる前は、エアコンによる肌寒さを感じていた。
だが、今は冷や汗が背中を伝っている。
「西川さんは、今後eスポーツ業界がどうなっていくと思いますか?」
ステージ上で、女性アナウンサーが結衣に質問を投げかけた。
結衣が参加しているのは、日本最大のゲームショウでのスポンサーセッションだった。
テーマは『eスポーツと脳科学』。
結衣が主催者に、なぜこのテーマなのかと尋ねたら「結衣の会社が脳関連デバイスを販売しているからなんとなく」とのことだった。
予想通り、これまでの結衣の話は全く聴衆に響いていない。
仕方なくだろう、アナウンサーも、事前の台本にはない質問を投げかけてきた。
結衣は一呼吸おいて質問に答える。
「私は、数年以内にeスポーツがどんなスポーツよりも人気のスポーツになると思っています」
「おぉ、大胆な予測ですね! そうなるとプロゲーマーも、今よりもっと人気が出る?」
「はい、もちろんそう思います」
「──プロゲーマーといえば、西川さんのお父様もプロゲーマーだったそうですね?」
突然の質問に結衣は一瞬驚くが、すぐに笑顔を取り戻す。
「……はい、私の父が活動していたのは、もう十年以上前ですが」
結衣は、トークセッション前の雑談中に父親の話をしたことを少し後悔していた。
世間話程度にしか聞いていないように見えたのに。
その時、結衣はステージ脇に『終了』と書かれたプレートが掲げられているのを見た。
予定されていた一時間が、結衣には何時間も続いたように感じられた。
アナウンサーが微かに頷く。
「名残惜しいですが時間のようです。皆さん、盛大な拍手をお願いします!」
アナウンサーが拍手を始めると、会場からも少し遅れて小さな拍手が聞こえた。
結衣は笑みを浮かべてステージを後にし、ステージ裏にあるパイプ椅子に腰を下ろした。
肩の力が抜け、大きなため息が自然と漏れる。
その時、後ろからキイッと扉が開く音が聞こえた。
会場の喧騒と一緒に、柔らかな風が結衣の頰をなでた。
結衣が振り向くと、控え室と会場をつなぐ扉の前には一人の男が立っていた。
「お、いたいた」
男は手を振って結衣の方へと歩いてくると、
「やあ、初めまして」
と手を差し出してきた。
「え、えっと」
近くで見ると、結衣と同じぐらいの背丈の、小柄な男だった。服装は、Tシャツに短パンとラフな格好。いきなり手を出されて戸惑っている結衣を見て、男は笑う。
「いや、ごめんごめん。急に驚かせたかな」
男が結衣から少し距離を離して苦笑する。
「あ、いえ。こちらこそすみません」
「さっきのトークセッションさ、途中までは退屈だったけど、最後の話は良かったよ」
最後以外はくだらないと言われたのだろうか。結衣は戸惑いながらも、改めて男の顔を見る。端整な顔立ちで、柔らかい茶色の髪をしている。
どこかで、この顔を見たことがあるような気がする。
結衣は男が首から下げている名札を見る。
名札には『四条大輔』と書いてあった。
やはりそうだ。著名ベンチャー企業の創業者で、創業した会社は昨年大手IT企業に買収された。四条が手にした資金は数十億とも言われている。
四条は「ああ、名乗ってなかったか」と名札を手で持ち上げて結衣に見せる。
「君が言ってた、eスポーツが一番面白いスポーツになるっていう話さ。あれって本心?」
「はい、そう思っています」
いきなり君と呼ばれて面食らうが、ステージで言った言葉は結衣の本心だった。
「ふうん」
と四条は言って結衣を見つめてくる。気まずさに目を逸らした結衣に四条は「いや、それはどうでもいいな。それよりも」と手を上げる。
「君は、ヴェインストライクってプレイしてる?」
またしても唐突な質問。
「はい、私の会社もスポンサードしていますし……でも見るのがメインで、プレイはそこまで」
「十分だ。実はさ、eスポーツチームを作ろうと思っているんだ」
「え?」
「興味があったら連絡してよ」
四条はポケットに手を入れて名刺を取り出し、「はい、これ」と結衣に差し出す。
「いや、だからあの、私は見るだけで自分では」
「もちろん選手としては期待してないよ。まあ才能はあってもおかしくないと思うけど」
四条はそれだけ言うと名刺から手をはなす。結衣は思わず名刺を落としてしまう。
結衣が名刺を拾いながら顔を上げると、四条は既に扉を開けて外に出て行くところだった。
本当に、あの四条大輔だったのか?
それに、eスポーツチーム?
頭の中でぐるぐると思考が回る。
そこでふと、先ほどまで結衣がいたステージの方面がざわついていることに気づく。壁にかかっている時計を見ると、いつの間にか次のイベントが始まる時間が近づいていた。
結衣は四条が出て行ったのと同じ扉を開けて、控え室を出た。
ステージの表側へと回り込むと、そこには既に長い人の列があった。
結衣はバッグの中に入っているチケットを取り出す。少し並んでから、受付でチケットを見せて指定の席まで歩いていく。
会場は、既にほぼ満席だった。
先ほどの結衣のセッションとは、観客の熱量も明らかに異なる。
結衣が座って少し経つと、ステージを照らしていたライトがふっと消える。
消灯に合わせて、ざわついていた観客席も静まる。
会場の静寂を待っていたかのように、ステージ上のスクリーンに映像が流れ始めた。荒野のような場所に、複数のキャラクターが背を向けて立っている。軽快な音楽も流れ始めた。
この映像は結衣もよく知っている。ヴェインストライクのプロモーションビデオだ。会場を包む音楽は、世界的アーティストが提供した楽曲だった。
テンポよく進んだ映像はあっという間に終了した。