エイム・タップ・シンデレラ 未熟な天才ゲーマーと会社を追われた秀才コーチは世界を目指す

エイム・タップ・シンデレラ 未熟な天才ゲーマーと会社を追われた秀才コーチは世界を目指す ⑨

 の前の席に腰かけたのは、先日ステージ上で数千人から喝采を浴びていた人物。


「うん」


 りんはそれだけ言ってメニューに目を通す。

 ステージ上にいた時と同じく、上下ともに黒の服を着ている。だが、雰囲気は全く違う。今は長い髪を自然に下ろしているが、それだけではない。この無表情で無口なりんの方がにとっては見慣れた姿だった。

 ふと、先ほどまでは感じなかった視線を感じる。

 近くにいる客がちらちらとこちらを見ているようだ。

 今やりんは雑誌やテレビに出ている有名人だ。知っている人がいてもおかしくない。

 りんは店員にアイスミルクを注文し、の方を見る。


「それで、話って何?」


 相変わらず、雑談は一切ない直球だ。は心の中で苦笑しながら話し始めた。


「実は、eスポーツの会社に就職しようかと考えてる」


 りんの顔に、わずかな変化が見られた。


「どういうこと? 今の会社は?」


 予想通り、りんの事件のことは知らないようだ。業界内では話題となったが、所詮そこまでの事件だった。の名前も、意識的に調べない限りは出てこない。


「知り合いが新しくチームを立ち上げるから、そこのマネージャーにならないかって」

「仕事で何かあったの?」

「どうして?」

「お姉ちゃん、今の会社に入るために頑張ってたよね」

「それは、そうだけど」

「だから仕事上で何かあったのかなって思ったんだけど」


 そうだ。りんは昔からこうだった。

 自分の考えをはっきりと言い、相手に言い逃れさせる隙を与えない。

 責め立てられたように感じる同級生と、しばしばトラブルが生じていた。


「ううん、本当に何もないから。もちろん経験はないし、不安はあるよ。でも、最近eスポーツってすごいでしょ? りんの姿もしょっちゅうテレビや雑誌で見るしね」


 は笑顔を作るが、自然な笑顔になっているか自信はない。


「すごいって、何が?」

「だってさ、りんのチームメイトってスマートで多才じゃない。これまでのプロゲーマーのイメージをい意味で壊してるよね。雑誌やテレビでの扱われ方も全然違うし」

「つまり、お姉ちゃんは今eスポーツにスペックが高い人が集まっていて、人気があるからeスポーツ業界に入りたいってこと?」


 りんがさらりと言ったその言葉が、には深く突き刺さった。


「もちろん、それだけじゃないよ。それに個人的にはそういう面ばかり取り上げるのもどうかと思うけど。選手たちは経歴やルックスじゃなくて実力や努力で評価されたいって思うでしょ」


 の言葉をりんは黙って聞いていた。

 が沈黙に耐えかねて口を開こうとしたその時、りんは首を振りながら「私はそうは思わない」と言った。


「興味を持ってくれるきっかけはなんでもいい。見てくれる人が増えれば、そこから本気で好きになる人も増える。お金だって、本当はもっと稼がなくちゃいけない」


 りんの考えを聞いて少し意外に思った。

 だが、それならそれで悪くない。はわずかに身体からだを前に傾けた。


「私も少し調べたけど、プロチームの母体ってほとんどが中小企業なんでしょ? 私に声をかけてくれている社長は、大きな資本を投下して一気に拡大させるべきって考えているみたい。あ、じようだいすけって人で、りんは知らないかもしれないけどベンチャー企業の創業者で……」

「知ってる。私も声かけられたから」


 なんだって?

 じようからそんなことは聞いてない。は内心あせるが、落ち着けと言い聞かせる。


「あ、そ、そうなんだ。で、まずはね、りんがやっているヴェインストライクを中心にチームを編成していこうって話をしていて。また改めてりんにも紹介したい」

「なんで?」


 はふぅと息を一度吐き、強く手を握った。


「──りんに、私たちのチームに入ってもらうことって、あり得るのかな」


 あれ?

 私は、何を言ってるんだ。

 今日は、転職の相談をするのではなかったのか。


「もちろんりんの契約もあると思う。けどお金で解決できるのであれば、なんとかなると思う」


 じようは、日本最高のチームを作ってほしいと言っていた。

 もし今、日本最高のチームを作るとしたら。

 そこに必要な要素として一番に浮上するのは、目の前にいる『魔王』だろう。


「どうかな。突然のことだと思うんだけど。環境や待遇は今のチームよりいものを用意できると思う。プロモーションにもずっと力を入れたい」


 りんが今所属しているキングダム・eスポーツは、eスポーツが世間でる前からプロゲーマーを抱えていた中小企業が母体だ。社長が趣味の延長で始めたらしい。資本力では、じようがバックにいるたちに圧倒的に分がある。


「eスポーツ業界って、拡大スピードに企業側がついていけていないと思う。契約もさんなものが多いみたいだし、変えていきたいんだ。りんが入ってくれたら、私としてもとても心強い」


 りんの反応をじっと待っていると、りんの目をぐに見て言った。


「あのさ、お姉ちゃん。私もお金や環境は大事だと思ってる」


 りんはアイスミルクを一口飲み、「でもね」と続けた。


「そのために、今一緒にやっている仲間や会社の人を捨てることはできない。数年前までは、eスポーツやプロゲーマーなんて言っても白いで見られてたの。お姉ちゃんだって、よく知ってるでしょ。社長や仲間は、今みたいに世の中から認められる前からやってきた人たちなの」


 は、りんが父の葬儀で、ゲームの道へ進むと言った時のことを思い出した。

 母は、そんな不安定な道へ進むのは反対だと言っていた。

 は、あの時どうして自分がりんのことをサポートできなかったのかを、たまに考える。

 今思うと、りんが父のもとでずっとゲームを続けていたことに、自分は薄々気づいていたのではないか。

 母の期待に応えて第一志望の大学に入り、ゲームとは無縁の日々を送っていた自分と、ぐに夢を目指し続けたりん

 あの時、自分がりんに対して感じたのは、ある種の羨ましさではなかったか。

 そんな思いが頭に浮かびつつも、は目の前の会話に集中する。


「でも、りんはそれでいいの? 周りの人に合わせるだけで。自分の希望や、やりたいことにもっと正直になってもいいんじゃないの」

「今私の周りにいる人たちを幸せにすることが、私がやりたいことだよ」


 そこでりんは一息ついて、の目を改めて見つめる。


「そもそも、お姉ちゃんのやりたいことは何なの?」

「え?」


 思わぬ質問には一瞬固まる。


「お姉ちゃんは何をやりたいの? eスポーツが盛り上がってるからやりたいだけなの? 企業で研究がやりたかったんじゃないの?」

「それは、私だって」

「もしeスポーツに興味がないのにただってるからやりたいんだったら、幸せになれないと思う。今どれだけ新しいチームができているか知ってる? ゲームの知識がない人がいきなり参加してきて、いきなり活躍できる世界じゃないよ」


 膝に置かれていたの手が、ぴくりと動いた。