がらんどうイミテーションラヴァーズ

──僕らは運命を捻じ曲げる ①

「────ごめんなさい」


 夏休み前日。放課後。屋上。二人きり。

 出会うべき運命のたったひとりに頭を下げられて、オレの初恋はこつじんになっていた。


そうくんとは、付き合えない、かな」


 顔を上げたが申し訳なさそうに手を合わせる。


「わたし、今、付き合ってる人がいるから」


 無情の宣告に額を撃ち抜かれる。


「知ってるよね? こうろうくん」

「…………だれだっけ?」

「またまたー」


 が眼下に広がるグラウンドを指差す。

 白線で引かれたトラックの中を、ユニフォーム姿のこうろうさつそうと駆けていた。

 五百メートル走。同じ陸上部の面々を引き離して余裕の一位。

 こうろうがラインを駆け抜けてさっと汗を拭うとどこからか黄色い歓声が上がっていた。


「────アミーゴ!」


 拳を掲げて歓声に応えるこうろう。一層湧き立つ外野の女子。そんな状態をからかいながら一緒になって盛り上がる男子。

 グラウンドにはいつのまにか「こうろうの輪」ができていた。


「…………」


 こうろうくん。ふじみねこうろうくん。そりゃあ知っている。

 文武両道。もく秀麗。おんじゆうとんこう

 だれにでもやさしくて、だれにでも親切にする、この学校でいちばんの人気者。

 オレとは真逆の人間。

 人を避け、人に避けられてばかりいるオレとちがい、あいつがいるところにはいつも自然と人が集まってきて輪ができている。

 特徴的な赤いソフトモヒカンスタイルが「こうろうヘア」としてり、一時期校内でる者が相次いだほど、その影響力は強い。

 あいつは常に人の輪の中心にいて、オレは常にその輪を外側から傍観している。

 きらびやかな青春コメディの主人公と、モニター越しの視聴者A。


「……いつから?」

「二か月前、くらいから?」


 首をかしげられても困る。

 二か月前といえば入学してまもない──オレがと運命的な出会いを果たす以前のことだ。


「……なんで?」

「なんで?」


 オレは自分の顔を指差す。

 は困ったように頰をくと、スカートのポケットから取り出した手鏡を開いてオレにみせた。


「…………あら、まあ」


 ずいぶんとひさしぶりに向き合わされたわしそうは、まず目つきからして終わっていた。

 まるで自分以外のすべてを否定するみたいにげられた攻撃的な目は、とてもだれかを愛している人間の目ではない。

 十五年刻み続けた眉間のシワはもはや小さな闇をたたえている。

 伸び散らかった髪はボサボサ。唇カサカサ。顎ヒゲ少々。

 全部、ありのままでいた結果だった。


そうくん……目つき怖いし」

「はうあっ!」

「教室でもずっとひとりで過ごしてて、なに考えてるのかさっぱりわからないし」

「はうあ……」

「あんまり、いいうわさもきかないし」

「はう……」

「だれにも慕われてないみたいだし」

「……」

こうろうに勝ってるところがなにひとつ見当たらないから」

「…………」

「ごめんなさい」


 そういって、は逃げるように屋上を去っていく。

 その背中に、オレは最後の望みをかけて尋ねた。


「…………じゃあ! なんであの日、オレとペアになってくれたんだよ?」


 六月の雨が窓をらす午後。二人一組になって相手を描き合う美術の時間。

 いつものように孤高をキメるしかなかったオレの前に現れて、彼女はペアを組んでくれた。そのときオレは思ったんだ。ああ、これが運命の出会いなんだって。


「…………そうくん、いつもひとりだから。かわいそうに思って」

「ありのままのオレでいいって……」

「うん。それはいいんだけど……そのありのままを相手が受け入れられるかどうかは、別問題」

「…………ああ。なんだ、そういうことか」


 つまりは、オレのことが好きだからオレとペアを組んでくれたわけではもちろんなくて。『ありのままでいてもいい』というセリフは「ありのままでいてもこうしてときどきペアになってあげるよ」という意味で。そこにあるのは愛情ではなくれんびんで。こととことの間には果てしない距離があって。お花畑と化していた頭でオレが勝手に感じた「運命」を、彼女はまったく感じてなどいなかったのだった。


「そういうことだから。ごめんね、そうくん」


 最後にもう一度謝って、は屋上をあとにした。

 オレはがっくりとその場で崩れ落ちた。


「…………なんてこった」


 この恋こそ、一生に一度の、じようじゆさせるべき運命だと思ったのに。

 十五年も生きてきて、やっと、ありのままの自分を受け入れてくれる相手と出会えたと思ったのに。

 オレにとってのほど、にとってのオレは価値を持たなかった。

 事実はとてもシンプルで、だからこそ残酷だった。


「…………根本からしてダメなら……くつがえしようがない……」


 オレは自分のスペックを呪いながらふらふらと屋上を下りていく。

 ──思えば。あの日とペアを組んでからの日々は充実していた。

 彼女との恋を実らせるため、ももについてたくさんのことをリサーチした。

 出身校。家族構成。将来の夢。視力。聴力。靴のサイズ。通学路。好きな音楽。好きな本。愛用しているパジャマのブランド。眠るときの姿勢。寝返りの回数まで。

 そこまで調べておきながら、彼女がこうろうと付き合っているという事実だけぽっかり抜かしてしまっていたのは、もしかしたら無意識のうちに現実逃避をしていたからなのかもしれない。

 ふじみねこうろうという人間にわしそうは絶対に勝てないと、考えるまでもなくわかっていたから。


「…………美男美女……………………優生思想…………弱肉強食…………」


 ああ、そうだ。

 こうろうと付き合うのはとても自然で。互いが互いによく似合っている。

 すくなくとも、の隣がふさわしいのは「ありのまま」でいることに固執して自己変革を拒み続けたオレじゃない。


「…………」


 わかってるんだ、本当は。


「ありのままの自分」なんてものにこだわり続けていたら、このままずっとだれにも受け入れてもらえないことくらい。

 だけど今更あいわらいの仮面をひとつかぶってみたところでなにかが大きく変わるとは思えない。

 それにやっぱりそうやっていくつもの顔をそろえて、表情を重ね着して、自分の真相を見えなくしていくのは気持ちが悪い。

 そんな生き方ができるとも思えない。

 …………だから、もしも。

 もしも自分の真相の上にべつの仮面をかぶるとしたら──けん感を堪えてかぶれる仮面は、おそらく精々一枚……。


「────だらあ!!」


 そんなことを考えながら校内をさまよっていると、どこかで粗暴な叫び声がした。

 女の子の声だった。

 バリン、とか、ガシャン、とか。なにかが割れる音も一緒にきこえてくる。


「…………なんだ?」