がらんどうイミテーションラヴァーズ

──僕らは運命を捻じ曲げる ②

 それは廊下の先にある美術室からきこえてきていた。

 オレは恐る恐る扉に手をかけ、そっとそれを開けていく。


「────うわっ!?」


 同時に飛来したダビデの胸像が扉にぶち当たり、目の前で砕け散った。


「あーんのッ! ピエロ女があおらあっ!!」


 美術室の真ん中で、向日葵ひまわり色の髪をした女がぐるんぐるん回っていた。

 両手に持った金属バットで手当たり次第に展示物を破壊しながら。


「『ありがとう』と『いただきます』のちがいもわかってないくせしやがってッ!」


 ブン、と振り上げられた金属バットが弧を描き、またひとつ飾られていたアートを粉砕する。

 石像。彫刻。写真。絵画。美術室のあらゆる展示物がたたこわされ、無残な姿に変わっていた。

 もはやこの部屋にまともな形を保っている作品はひとつもない。

 それでもまだ足りないと、彼女は十六方向に跳ねた髪をわしゃわしゃしながら曲がった背筋で歩を進め、目についた棚やイスにバットを振り下ろしていた。


まんだあぁああっ!!」


 ガシャン。バリン。ズタン。グシャン。ボゴン。

 きくに堪えない物騒な音が鳴り続ける。


「…………おい、おまえ」


 たまらず声をかけると、彼女はピタリと動きを止めた。

 それから、数秒の沈黙を経て。


「どっこらせ」とバットをかついだその女は、ふてぶてしいため息を吐いてからゆっくりとこちらに振り向くのだった。


「…………なに?」


 まず、不健康そうなでっかいクマが目についた。幼稚園児がクレヨンでデタラメに塗りつぶしたみたいな濃いクマだった。

 日の光とは縁遠い生活をしているのか、肌はやたらと白い。それが余計にクマの黒さをきわたせている。

 小さな身体からだにまとった制服のシャツはだるんだるんに伸びていて。長らくアイロンの世話になっていないらしいフレアスカートはシワだらけでプリーツスカートみたいになっていた。

 マスコットめいたたいから振りまかれる威圧感。着崩された制服と、ド派手な向日葵ひまわり色の髪。

 オレは彼女のことを知っていた。


「…………はと……あや……」

「だから、なに?」


 眉間に七重のシワを刻みながらはとは顔をしかめる。

 げられた目は攻撃的で。ただ視線を合わせているだけでにらまれているような気持ちになる。

 …………怖い。

 彼女がどうしてここにいるのか。

 なぜ飾られている作品をことごとく粉砕しているのか。

 わからないことばかりだけど、それを一々きいてたしかめる勇気はなかった。

 だからオレは端的に、伝えるべきことだけを伝える。


「…………頼むから、ここで暴れるのはやめてくれ」

「美術部なのか?」

「ちがうけど」

「偽善者なのか?」

「ちがうけど」

「……センセーに言うのか?」

「言わないけど、ここはオレにとって……思い出の場所だから」

「思い出?」

「…………、との思い出」


 フラれても、オレがを好きな気持ちは変わらない。

 だからはじめてと話せたこの場所が、理解不能女によってぶち壊されるのを見過ごすわけにはいかなかった。といっても、既に手遅れの惨状ではあるけれど。


、とは?」

もも。知らない?」

「だおらあっ!!」

「うわっ!?」


 はとのバットが美術室の窓をたたる。


「知らない、わけがない! あいつが全部悪いんだ!」

「悪いって?」

「みんなあいつにだまされてるんだ! 薄皮一枚剝がしたら、あいつは真っ黒だ!」

「ちょっと、落ち着けよ」


 オレは一呼吸ぶんの間を置いて言った。


はだれかをだましたりするような人間じゃない」

「どうしておまえにそんなことがわかるんだ?」

「調べた」

「調べた?」

「彼女の行動や思考パターンについて、一か月にわたってリサーチした。どんなときに笑い、どんなときに悲しみ、どんなときによろこびを感じるのか。その結果、は純粋そのものだった。一度もだれかをだますことなんてなかったし、これからだってだますとは思えない。ももは仮面の一枚だってかぶってない──ノーメイクでノーマスクの女の子なんだ」

「どうやって調べた?」

「ネットで過去をあさったり。それとなく彼女の友達にきいてみたり。ときどき尾行してみたり」

「うわあ、キモ」


 オレはその場で崩れ落ちた。

 今日はこれ以上自分を否定する言葉に耐えられそうになかった。


「…………オレはダメなやつかもしれない。だけどはいいやつなんだ。オレがありのままでいることを認めてくれるくらいに」

「おまえ、あの女のことが好きなのか?」

「…………ああ。そうだよ。悪いかよ?」

「────ガハッ!」

「がは?」

「ガハッ! ガハハハッ!」


 急にき込み出したのかと心配して顔を上げると、はとは笑っていた。

 小さな身体からだをくるんくるんともじりながら、腹を抱えてガハガハ笑っていた。


「ドンマイドンマイ! いつか実る恋もあるって!」


 バシンバシンと背中をたたかれる。痛い。


「…………なんでオレの恋が実らないってわかるんだよ?」

「だってあいつはこうろうと…………」


 背中をたたく彼女の手が急速に力を失っていく。


「…………こうろうと…………」


 落ちきった声音の先にあったバットが振り上げられて、オレは慌ててその場から飛びのく。

 同時に振り下ろされたソレがオレの足元に転がっていたダビデの頭をたたる。


「…………付き合ってる、なんて、こんな不合理なことがあるかあぁああ!?」

「あ、危ないだろ!?」


 これ以上こいつと関わっていたら身も心も持たない。

 そう思って逃げ出そうとしたオレは、彼女の言葉に妙な引っかかりを覚えて足を止めた。


「…………知らなかったのか? おまえも。二人が付き合ってること」


 床にバットを突き立てたままはとはガクンとうなずく。


「じゃあ……どうして知ったんだ?」

「────れた」

「なに?」

「────フラれたッ!!」

「フラれたって、こうろうに?」

「わたしが他の男になびくわけないだろ」

「それは知らないけど……いつ?」

「さっき」

「さっき」


 なんて偶然だ、とオレは額を抱える。

 オレがに告白して玉砕していた裏で、はともまた無残に敗れ去っていたなんて。しかもはとがフラれた相手はオレがフラれたと付き合っているこうろうだったなんて。


「『と付き合ってるから申し訳ないけどダメだよ』って」

「だからこんなところで暴れてたのか」

「直接あの女の頭をカチ割りにいかないのはわたしがやさしいからだ」

「殴るならこうろうじゃないのか?」

「なんでこうろうを殴らないといけないんだ?」

「なんでって……」

こうろうはあの女にだまされてるだけだ。悪いのは全部あの女なんだ!」

「だからはだれかをだましたりするようなやつじゃないって」

こうろうはわたしと付き合うべきなんだ! そういう『運命』なんだ!」


 頑として譲らず、自分勝手な運命論を振り回す彼女に、オレはついさっきまでの自分を見た。