がらんどうイミテーションラヴァーズ

──僕らは愉快な敗北者 ②

 さっきまでの傍若無人っぷりがウソのように、はとは緊張していた。彼女にとって運命の相手であるこうろうをまえにして。


「…………ったく」


 オレはいつまでも羽化できないセミのをしているはとを連れて「こうろうの輪」の中に押し入っていく。


「おい、こうろう


 日焼けした褐色の肌と赤いソフトモヒカン。輪郭のハッキリとした顔立ちも相まって輪の中でもとりわけ目立つ彼は、オレに気づくと、つぶらな目をパチクリさせる。


「ん? キミは、えっと……」

わしそうだ」


 取り巻きの連中がオレを見て、おびえた様子で後ずさりしていく。

 そういう反応にはもう慣れていた。

 けれどこうろうはオレを見てもまるで動じることなくスクリと立ち上がると、オレの手をとって笑いかけてくる。


「やあ、そうくん。アミーゴ」


 相対してみると、こうろうの体格のよさにおどろく。

 向かい合って立つだけでオレの額に影がかかる。

 ぎゅっと握られている手には、痛いくらいの力が込められていた。


「……ん? そこにいるのはあやさんかな?」

「わ……!? わっ!?」


 オレの背中にしがみついて顔を押しつぶしていたはとが、おどろいたようにパッとオレの服から手を放してドシンと尻餅をつく。

 オレをきらって離れていた「こうろうの輪」は、彼女に気づくとさらに大きく距離をとった。

 一様に浮かんでいる苦笑いは、隠しきれない恐怖とけんうかがわせる。

 やはり、というべきか。

 どうやらはとも周りとうまくはやれていないらしい。

 まあ、フラれたショックで暴れ回るようなヤツなのだから当然かもしれないけど。

 怖がられて、避けられて、背中を丸めてうつむはとは、美術室で話していたときよりさらに小さく見えた。


「……こ、こうたろぉー!」


 はとは意を決したように顔を上げると、ラクガキみたいなクマのある目で思い人のことを見つめてその名を呼ぶ。

 けれど、そのあとが続かない。


「…………あの……その……えっと……」


 まごついてうまく言葉をつむげないでいるはとあきれて、オレが助け舟を出そうとしたとき。

 オレのまえを横切るように伸びてきた褐色の腕が、彼女の手をひょいとつかんで立ち上がらせる。

 そしてこうろうは、オレに向けたのと同じさわやかな笑みを浮かべて言うのだった。


「やあ、あやさん。アミーゴ」


 日差しを受けてのぞいている白い歯がきらりと光り、なまぬるい夏の風に赤いソフトモヒカンが揺れる。


「あ、あぁ……えっと……あみー、ごー」


 つながれた手に視線を落とし、はとは恐る恐るといった様子でその手を握り返す。

 オレがやったらすぐに「キモい」とか言われて振り払われそうなものだけど、顔を赤くしたはとの顔に拒絶の意志はなかった。

 とろんとくちを垂らしていて、むしろうれしそうだった。


「……だれにでもやさしい、か」

「僕がかい?」

「そういう評判だぜ?」

「まあ、やさしくしない理由がないからね。きびしくするかやさしくするかの二択なら、やさしくしたほうがだれにとってもプラスだとは思わないかい?」

「なるほどな」


 たしかに。嫌われ者のオレやはとに対してもいやな顔ひとつせずあたりまえに接してくるあたり、やさしいのは本当らしい。

 あとは『困っている人を見ると必ず助ける』と『どんな勝負にも負けない』だったか。


「…………こうろう、ちょっと勝負しないか?」

「勝負?」

「種目は百メートル走。どうだ?」

「いいね、やろう!」


 なにを疑うこともなくこうろうはにゅっと親指を立ててうなずくと、「こうろうの輪」を引き連れてグラウンドへと走っていく。


「いきなり勝負だなんて、なに考えてるんだ? わし


 こうろうに手を放されてがっかり顔のはとが、オレにきいてくる。


「おまえの言ってたことが本当かたしかめるだけだよ。ここでオレが勝てたら、おまえの語ってたあいつの人物像はまちがいだったってことになる」

「陸上の経験でもあるのか?」

「いいや、まったく」

「なら勝てるわけない」

「まあ見てろって」


 オレはこうろうが待っているトラックに向かい、レーンの横に並び立つ。


「スタートのタイミングはそうくんに任せるよ」

「それじゃあ、よーい」


 ドン、と言わずにオレは走り出す。準備運動をしていたこうろうを置き去りにして。

 オレのやり方に「こうろうの輪」がブーイングを飛ばしていたが、無視した。

 そうしてコースの半分ほどを過ぎたとき。

 ブン、と後ろから突風が吹いてきて、さつそうこうろうがオレを追い抜いていく。

 まるで背中にジェットエンジンでもつけているみたいな加速力だった。

 そのままグングンとこうろうはゴールに向かって走っていく。


「ぎゃあああ!?」


 オレの悲鳴に足を止めたこうろうが振り返る。

 オレは転んでいた膝の傷を見せつける。

 こうろうちゆうちよなくゴールを背にすると、心配そうな顔でこっちにもどってくる。

 そしてオレに向かって手を差し伸べてきた。


「大丈夫かい? そうまく──」

「────おらよっ!」


 その手をグイとつかんで、オレはこうろうのことを引きたおそうとする。

 ところが、動かない。


「…………あれ? あれ?」


 何度力んでも同じだった。

 圧倒的体幹によって支えられたこうろう身体からだは、まえかがみになった姿勢のままびくともしない。


「────よっと」

「うわっ!?」


 金魚でもすくうような手軽さで逆に引き上げられてしまったオレの身体からだは、こうろうが広げた腕の中にすっぽりと納まる。

 僕を抱えたままクルリときびすかえしたこうろうは、えっほえっほと走り出し、そのまま息ひとつ乱すことなくゴールラインを踏み越えた。


「アミーゴ!」


 勝ち負けよりもオレの身を案じて引き返すことを選んだこうろうの善性に「こうろうの輪」が惜しみない称賛の拍手を送る。

 それに応えるように、こうろうは青空に向かって拳を掲げた。


「ぐへえ……」

「おっと。すまない、そうくん。大丈夫かい?」


 支えを失って足下に転がり落ちたオレに、こうろうは申し訳なさそうにもう一度手を差し伸べてくる。

 その態度に、きような勝ち方をしようとしたオレへの不満やいきどおりの念は感じない。

 はつらつと笑いかけてくるこうろうを見ていると、自分のふがいなさを思い知らされるようだった。


「…………オレの負けだ」

「いや。一緒にゴールしたんだから引き分けだよ」

「ちがう」


 順位どうこうじゃない。