がらんどうイミテーションラヴァーズ

──僕らは愉快な敗北者 ③

 一切の迷いなく他人を助けに向かえる人間性。妨害にも動じないしんたいせい。そして言葉の節々から感じ取れる、人生そのものにおける余裕。

 そのどれもが、今のオレにはないもので。存在の格としてどちらが「上」でどちらが「下」かは、これ以上たしかめるまでもない。

 オレは尻についた土を払って立ち上がると、校舎の中へと逃げ去っていく。


そうくん。せっかくこうして関わりを持てたんだ。もし走ることに興味があるんだったら、僕らと一緒に気持ちいい汗を流さないかい?」

「…………気持ちいい汗なんてこの世にあるかよ、ばーか」


 そんな台詞ぜりふも、隣でおかしそうに笑っているはとの声でかき消された。



 圧倒的な敗北感だった。

 けれど、これでわかった。

 たしかにはとの言うとおりだった。

 こうろうの言動からは、裏表を感じない。

 こうろうと同じく、仮面をかぶらず〝ありのまま〟で生きている人間だ。

 そしてその〝ありのままのふじみねこうろう〟が周囲に受け入れられている。

 本来の性質──生まれもっての人格からして、オレとあいつはちがっている。


「これでわかっただろ、わしこうろうはすごいやつなんだ」

「……ああ、そうだな」

「それに引き替え、おまえはダメダメだな。わし


 愉快でがさつな笑い声をあげながら、はとがバシンバシンとオレの背中をたたく。


「…………おまえ、こうろうのまえだと、なんかキャラちがったよな」

「そうか?」


 おそらく今のほうが素なのだとは思うけど。

 こうろうのまえだとこいつはなんというか、もうちょっと殊勝な感じになっていた。


「おまえも仮面をかぶるのか?」

「仮面?」

「本心を隠して振る舞えるのかってこと」

「そういうわけじゃないけど……ただ、こうろうのまえだとすこし……緊張する」


 そういって、はとはまた両手の指をこねくり合わせてもじもじとし始めた。

 意外にもけなというか……なるほど。ちょっとはかわいいところもあるらしい。


こうろうをやるのは大変そうだな」

「とってもいい男だっただろ?」

「まあ、な」

「だからこうろうはあんな腹黒ピエロ女じゃなくて、わたしを選ぶべきなんだ」

「……あのな、いいかはと。さっきも言ったけど、はそんなふうにだれかを悪く言ったりしないからな」

「はん! どうだか!」

「わたしがどうかした?」


 背後で鈴を鳴らしたような声がする。

 おどろいて振り返ると、オレたちのすぐ後ろにが立っていた。


「やっほ」

「でたな、腹黒女!」

「あ、えっと……たしか、あやさんだ。やっほ」


 汚いものでも見るような目つきで指を差すはとにも、は朗らかにほほみかけていた。


「なーにが! なーにがッ!」


 はとがその場で地団太を踏む。

 そして顔の前で手を広げて、歌舞伎役者よろしく宣言した。


「わたしはおまえがきらいだ! もも!」

「…………あー、うん。そっか。残念だな」


 が悲しそうに視線を落とす。

 そのどこかはかなげな表情に、オレの胸が人知れず高鳴る。


「だけどわたしはあやさんのこと、好きだよ」

「うげぇー!」


 首を絞められた鳥みたいな声をあげてはとが後ずさりする。

 気持ち悪そうに顔を青くして、今にも吐きそうな様子で口元を押さえている。

 表情しかり。行動しかり。本当に、心と身体からだが直結しているやつだと思った。


「大丈夫? あやさん」

「おまえに心配されるほど、わたしは終わってない!」


 自分との間にビッと手を突き出してはとは言う。


「そうやっていきなりれしく下の名前で呼んでくるところがまずムリだ!」

「うーん……でも、そうしたほうがすぐに仲良くなれる気がするし」

「仲良くなることが正しいと思ってるその思想が次にムリだ!」

「ははっ……きらわれちゃってるなー。わたし、なにかしたかな?」

こうろうろうらくした!」

こうろう?」


 が不思議そうに首をかしげて、それからオレのほうを見た。

 数秒の沈黙を経て。は「あー」と納得したように手をたたく。


そうくんとあやさんって、仲良かったんだね」

「あ、いや、べつにそんなことは……」

「ねえ。二人は明日、なにか予定とかあるの?」

「明日……特にないけど?」


 オレがそう答えると、はとがむっとこっちをにらんでくる。

 こうろうに成り代わるため、オレたちはこれからいろいろと努力していかなくちゃいけない。

 けれど、具体的にどこでなにをしようというプランがまだないのは本当だ。

 べつにに予定をきかれたからとつにヒマを入れたわけじゃない。


「じゃあ、さ。一緒にプールいかない?」

「プール!?」

「プール!?」


 オレとはとの声が重なる。

 プールなんて巨大な水槽の中で寿詰めにされながら寿のように流されておびただしい量の汗と塩が混ざった水に浸されながらたのしそうに笑っていることを強いられる、地獄みたいな場所だ。

 あんなところに望んでいくやつの気が知れない。


「…………ダメ、かな?」


 上目づかいになったが小首をかしげる。

 彼女の長い黒髪が首筋をなぞり、喉から胸の谷間に沿って流れていた。

 夏の暑さが外させた制服のボタンの向こうにキレイな肌が透けている。

 オレはごくりと唾をんだ。


「プールなんてだれが……!」

「ああ。いくよ」


 みつこうとするはとの口を手で塞いでオレはうなずいた。

 そして回した腕の中で「信じられない」という顔を向けてくるはとの耳元でささやく。


「…………オレだっていきたくない。あんなところにいくやつの気が知れないと思ってる。でも、だからこそ、いくべきなんじゃないのか? 自分を変えるために」


 はとは「ぐぬぬ……」とうなりながらうなずいた。

 顔には腹を切る武士のような覚悟がにじんでいた。


「よかった。こうろうもくるから、四人で遊ぼうよ」


 こうろうの名前をきいて、岩みたいになっていたはとの顔がとろんと緩む。

 まったくこいつは、わかりやすい。


「……どうしたの、そうくん? ずっと鼻の下が伸びてるよ?」

「はっ!」


 どうやらオレも素直な気持ちが顔に出てしまっていたらしい。


「いや、べつにどうってことはない!」

「そっか。じゃあ、こうろうの部活が終わってから。午後二時に、レオマのプールで」


 そう言い残してはグラウンドのほうに走っていく。

 彼女の手にはずっとスポーツドリンクが抱えられていた。


「それは?」