がらんどうイミテーションラヴァーズ

──僕らは愉快な敗北者 ④

こうろうの」


 そういって、彼女はクスリと笑みをこぼす。

 あの日──美術室で──オレのまえで笑ってくれたときよりもたのしそうに。

 こうろうのことを思って、彼女は笑っていた。


「…………」


 ──ああ、そうだ。

 はだれかを思って笑い、だれかのために行動することができる人間なんだ。

 そういう彼女の善性に、オレもまたかれたんだ。

 だからこそ、そんな彼女にとってのいちばんがオレじゃないことが、悔しかった。


「むごごごご!」

「あっ、悪い」


 ずっと塞いだままだったはとの口から手をどける。

 そしてギラリと反撃の牙をのぞかせているはとのまえで、オレは言葉を落とす。


こうろうのために買ってきたんだろうな、アレ」

「……」

「たった百円ちょっとのことだけど、だれかのためになにかを買うなんてオレにはできない。いろんなやつをにらみつけて生きてきたから、買ってやる相手もいないし、そういう気持ちにもなれない」

「…………わたしも、なれない」


 はとの言っていたこうろう像が正しかったように。オレに見えている像もまたやはり正しかった。

 こうろうはだれにでもやさしくできる人間で。はそんなこうろうのことを素直に応援できる人間だった。


「なあ、あや

「んあっ!?」


 吸い込もうとした息がどこかで逆流したのか、はとはゴホゴホとむせる。


「な、なんだ、おまえまでいきなり親しそうにしてきて!?」

「そのほうが、こうろうっぽいのかなと思って」

こうろうはそんなにペラくない!」

「でも、おまえもあいつのことを呼び捨てにしてるじゃないか」

「呼んでいいって、言われたんだ。消しゴムを拾ってくれたときに」

「どんな会話だよ、それ」

「……ありがとうって言えないわたしに……軽々しく感謝の言葉を口にしたくないわたしに、名前を呼んでいいって。だからこうたろーって呼んだ。それをお礼の代わりとして受け取ってくれて、こうろうもわたしのことを名前で呼び返してくれた」

「へえ」


 はとは言葉を消耗品として考えている。

 だからさいなことでソレを浪費してしまわないように、感謝を出し渋っている。

 だけどふつうは小さな善行にも一々『ありがとう』を求められる。

 だからみんな大事な『ありがとう』を安売りする。

 そういうことができる人間になっていく。

 そんな「ふつう」になれないはとの信条を見越して自分の名前を呼ばせたのだとしたら……たしかにこうろうの善人っぷりは並外れている。

 恩着せがましいと思わせたりせずに、善意を正しく善行として機能させる力を持っている。

 たしかに〝困っている人を見つけたら必ず助ける〟だけの力を持っているように思える。

 並みの人間にはなびかないというはとろうらくされたのもわかる気がした。


「じゃあ、オレもその手順を踏むよ」


 オレはこうろうになりきると決めた。

 だからその第一歩として、はとのほうに向き直り、その手をとって、言う。


あやって、呼んでもいいかい?」


 はともオレがこうろうの仮面をかぶり始めたことに気づいたようだった。

 恥ずかしそうに視線をらして。かすかに頰を赤く染めながら。彼女はそっと手を握り返してくる。


「…………あやさん、だ」


 はとにしてはずいぶんと控えめな態度だった。

 けれど、本物のこうろうのまえでもこいつはだいたいこんな感じだった。

 たぶん、こうろうを意識するだけでそうなってしまうのだろう。

 なんとも単純で、裏表のないやつだ。


「じゃあ、あやさんもまずはが善良な人間だって認めるところから始めろよ」

「あんなやつ……!」


 と、吐き捨てかけた言葉をぐっとみ込んで、あやは渋々うなずく。


「…………わたしは、になる」

「オレはこうろうになる」


 互いに自分を指差してたしかめ合い、続いて相手を指差してたしかめる。


「おまえは、

「おまえは、こうろう


 そうして見つめ合うこと、数秒。


「…………くくっ」

「…………ガハッ」


 オレたちはどちらからともなく吹き出して、滑稽さに腹を抱えた。

 がさつで。粗暴で。品がなくて。好きな相手の前でだけ縮こまって。そんなあやがあのに成り代わる未来なんて今は想像もできない。

 あやもオレがこうろうに成り代わる未来なんてまだ想像もできないだろう。

 オレたちの現状は、そんな感じだ。

 きっと今が目標に対しての最低地点。

 今がドン底なら、あとは上がっていくだけだ。

 そう思うとなんだかやれそうな気がして。オレたちは互いの眉間に刻まれたシワをぐみぃーっと伸ばして笑い合う。

 こうして、オレたちの夏休みが始まった。