ミリは猫の瞳のなかに住んでいる
第一幕 ③
銃声、網戸のむこうに倒れている誰か、床にひろがる
僕の能力には、法則がある。瞳を
それから、検索を始める。ネットで言葉を検索できるように、ある程度視たい時間を選ぶことができる。やはりこれも眼球の持ち主の感情などに左右され、しばしばコントロールを失う。
まるで海のなかを波に
やがて、グイと、これまでに感じたことのない謎の引力めいたものが僕をまねき寄せた。
気がつくと、あの女の子が目の前にいた。
大きな本棚と、
彼女の目が一瞬、潤んだように見えた。その瞳に、その頰に、なにか悲しみに似た夕暮れ色の感情が満ち、ゆらめいたような気がした。しかし次の瞬間にはそれは
「よーくんにとっては初めましてだね。わたしは
やっぱり、過去から未来へ向かって話しかけてくる……! 僕は震える声で
「よーくん……?」
「未来の
「未来の僕……。ああ、やっぱり、そうなんだ。きみは──」
猫の瞳のなかの女の子は、こくりとうなずいた。
「わたしには──未来が
2
背後で電車の扉が閉まった。ソーシャルディスタンスを保っていることを確認し、深呼吸する。コロナが落ち着いているとはいえ、やはり車内は息苦しかった。他人の
手荷物の多さに改札で苦労しつつ駒込駅を出ると、マスクを下げる。初夏の爽やかな匂いがする。なんとなく、子供の頃のことを思い出した。匂いと記憶は強く結びついている。そのせいか、コロナ時代になってマスクをし始めてから、あまり記憶がない。
自宅アパートには徒歩十数分で着いた。
「ただいま、サブロー」
にゃあん、との返事。前の飼い主だった瞳のなかの女の子がつけた名前だった。
トイレを準備するやいなや、サブローが用を足した。我慢していたのかもしれない。なかなか礼儀正しい猫である。キャットフードを皿に盛ってやると、目を糸みたいにして幸せそうに食べた。背中を
食事が終わると、僕はサブローを抱きあげ、瞳を
クッションに座る女の子が、にこにこしながらぱたぱたと両手を振っていた。相変わらず、視界の解像度は不思議なくらい高い。ノイズが全然入らない。
「よーくん、こんにちは。昨日はよく眠れた?」
「僕のお
「お城?」
「朝起きたら、サブローがお
女の子は花がほころぶように笑った。
「
「ミリって呼んで。こっちでは、さっきよーくんと話してから十分くらいしか
「えっ──?」僕はぽかんとした。「……ああ、そうか、過去と未来の〝ある時点〟同士がつながって話しているから、同じ時間が流れているわけじゃないのか」
そういえば彼女は昨日と同じく、白いシャツとカナリア色のスカートを着ている。
あちらとこちらでは時間の流れが違う──たとえばいま接続を切り、再び接続したとすると、
僕は『こびとの靴屋』の第二部を思い出した。とある女中がこびとの名づけ親となり、その
「そっちは何年前なんだろう?」
「三年くらい前だよ。こっちのサブローは、まだ子猫なの」
ミリはそう言って、サブローの頭を左手で優しくなでる。その感触の〝記憶〟を僕は感じる。まるで自分が子猫になってなでられたみたいで、どぎまぎしてしまう。ふかふかの毛につつまれたちいさな頭と、人間とは違う位置にある敏感なふたつの耳と、ミリの繊細な指……。
「指、どうしたの?」
「えっ? ああ、昨日アボカドを切ってるときに、包丁で」
ミリの左手の人差し指に、
「わたし、ドジだから」彼女は恥ずかしそうに言った。「ちっちゃいのに、頭もあっちこっちぶつけるの。そのくせ痛いのはすごく苦手だから、そのたびに涙目になってる」
「そうなんだ」思わず笑って、緊張がほぐれた。「じゃあ、ピアス、大変だったでしょ?」
「ううん、これ、イヤリングなの」耳から外してみせた。「ピアスは怖くて。でも、イヤリングは種類が少ないから、なかなか気に入るのが見つからなくて困っちゃう」
ミリはそう言って、眉をなだらかな八の字にして笑った。
一通り雑談すると、短い間があった。
なんとなく、空気が緊張するのがわかった。サブローも耳を立てた。
「あのさ」僕は言った。「これって、どういう仕組みなのかな? 僕は眼球を通して、そこに蓄積された記憶を
するとミリは、こちらを真剣な目で見つめて、言った。
「よーくんは、運命って信じる?」
「運命──?」予想外の言葉に少し面食らった。「少なくとも朝の星座占いは信じてないな」
ミリは笑わなかった。
「信じると信じざるとにかかわらず、運命は存在する。わたしにはその姿──あるいはその影のようなものが
「……ミリが言うなら、信じるよ。運命は本当にあるんだろうと思う」
「ありがとう」そしてミリはすこし間をおいて「運命はどんなかたちをしていると思う?」
運命のかたち……? 僕は真面目に考えて、最終的にはすこし冗談っぽく答えた。
「コーヒーカップの底の
「なんだかすごく、好きな答え」ミリは
「ミリの角度からは、どう見えるの?」
「わたしからは──電車の窓を伝い落ちる雨粒みたいに見える」ミリの瞳が、深みを増した気がした。「わたしたちひとりひとりが水分子みたいに、時間の流れのなかで出会ったり別れたりしながら、それぞれの道を



