ミリは猫の瞳のなかに住んでいる
第一幕 ④
「つまり、僕たちがこうして
「わたしが、そういう未来を引き寄せてるの」
僕は思わず首を横に振った。途方もない話だ……。
「そして今、どうしようもなく走り出した電車がある──」ミリは低い声で言った。「さっきの銃殺事件──これから、連続殺人になる」
ぞくり、と
「連続殺人……?」
「誰かが──ううん、よーくんが行き先を切り替えない限り」
一瞬、脳が理解を拒んだ。
「ちょっと待って……〝僕が〟って言った?」
「……うん」ミリは
「なんだよ、それ……」僕は思わず頭を抱えた。「いや、待った。ミリには未来が
ミリは首を横に振った。
「限界があるの。未来視にも、運命への干渉にも。わたしには犯人が誰かわからないし、よーくんがそれを止められるかどうかもわからない」
僕はごくりと唾を飲んだ。脳裏に、頭を銃で撃ち抜かれたときの〝死の感覚〟が
怖い、と素直に思った。僕はそんなに勇敢な人間じゃない。僕は二回も死にたくない。
「僕にはムリだよ。事件を解決できるほど賢くないし、銃に勝てるほど強くもない。瞳から過去を
「そんなことないよ!」ミリは力強く言った。「よーくんはすごく賢いし、すごく強いよ」
「ミリに何がわかるんだよ」
「わたしには未来が
僕は首を横に振った。そして、接続を切った。
解放されたサブローは床のうえで体をのばした。やれやれ長い通話でしたね、とでも言うように。ミリと会話しているあいだ、サブローは不思議とずっとじっとしていてくれる。
いつの間にか外は雨が降り出していた。掃き出し窓のうえを、水滴が伝っている。僕はとあるひとつの水滴に目を
しばらく、じっと眺めていた。
その水滴は、大きく横にそれながら、思いもかけない場所へと流れていった。
3
ドアチャイムに眠りを破られた。明け方まで目がかっぴらいていて、抗不安薬と睡眠薬を多めに飲んでようやく
つけっぱなしのテレビが、昨日の銃殺事件を報じている。見慣れたボロアパートと、深刻な顔のアナウンサー。スタジオでは、拳銃を紛失した警察への批判が展開される……。
二度目のチャイム。ようやく体がぎこちない輪郭を取り戻す。時計を見た。土曜日の午前十時。インターホンなんて
──悲しげな顔をした男女が、立っていた。
煙たい青墨混じりの灰色をした空気が、部屋のなかに侵入してきたような気がした。彼らはどちらも黒い服を着て、どことなくグズグズしていた。布が一箇所のほつれから糸に戻っていくみたいに、彼らもひげの
「どうも、朝早くにすみません……」五十代前半くらいの男性の方が言った。「私たちは、隣の部屋に住んでいた
あっ、と思った。僕はこの時になって初めて、死者の名前を知った。
「どうも……」僕は戸惑いながら頭を下げた。
「銃声が鳴ってすぐ、駆けつけてくださったそうで、ありがとうございました」
どうやら彼らは礼を述べに来たようだった。頭がぼんやりしているせいか、いまひとつ話が入って来ない。どうやら天ケ崎
違和感を覚えて、僕は視線を落とした。左手首に包帯が巻かれていた。日焼け具合から考えて、つい最近のものに違いなかった。それに気がついた途端に、彼女の細部が急にクローズアップされてくる。乱れた髪、青白い肌、腫れたまぶた、ささくれ立った雰囲気……。
父親が事件当時のことを尋ね、僕は詳しく話した。もちろん猫や過去視のことは除いて。
すると、母親がなにかに
眼球と眼球を接続するには、ひとつ条件がある。
〝人間が相手の場合、相手が涙を流していなければならない〟──
人間以外の動物──たとえばサブローが相手の場合なら、ただ瞳を
幸い、目の前の母親はすでに涙を流している。
僕は、瞳を
その途端、シェイクしたコーラみたいに記憶がどっと
僕の目から、涙があふれ出していた。
両親が困惑して顔を見合わせた。僕は何か言い訳をしようとして、
「すみませんでした」父親が言った。「
違うんです、の一言すら、口にできなかった。
両親が帰ると、僕は力なく扉を閉めた。そのまましばらく玄関に突っ立って泣いていた。やがて思い出したように胃酸がこみ上げてきて、トイレに駆けこんで吐いた。記憶の炭酸が骨をすっかり溶かして、ぐにゃぐにゃになってしまったみたいだった。
4
くらやみのなかで、《目》がひらかれる……。
きりもみしながら飛んでいって、床にぺしゃんと落ちた。
皿が割れた。
ふたりがひどい罵り合いをしていた。殺意すら
わたしは、はあ、とため息をついた。とても面倒だ。
そして、次の瞬間には顔をゆがめて泣き出した。そして、子供らしい哀れを誘う声で言う。
「お願い、パパ、ママ、ケンカしないで、なかよくいっしょにシャケ食べようよ」
そして床に落ちた
「ごめんね、新しい
ママが台所へ行き、わたしは洗面所へ行く。食べたフリをして舌の裏に押しこんでいた汚いシャケをティッシュに吐き出して捨てた。鏡に映った顔は全然悲しそうじゃなくて、涙を拭くと目が少し赤いくらいで、泣いた痕跡はぜんぜん残らない。
わたしはにっこりと笑う。
わたしはとても賢くて、とても



