ミリは猫の瞳のなかに住んでいる
第二幕 ②
3
午後四時ごろにすべての授業を受け終えると、文化系サークルの部室棟へと向かった。演劇部の部室は二階の突き当たりにあるとすぐにわかった。張り紙がしてあったからだ。
『演劇部 大大絶賛部員募集中! 熱き血潮を舞台にぶちまけろ! 舞台で死ね! 荒武者よ
それはもう暑苦しい筆文字で、A4の紙にそう書かれていた。それが、二階の廊下に沿って、ずらーっと奥まで張られているのである。しかも恐ろしいことに、コピーじゃない。一枚一枚手書きなのである。もはや狂気すら感じられる。
「帰宅部になりたい……」
思わずつぶやいた。切実に。もちろん誰も聞いてはくれない。
そのときふいに、悲鳴が聞こえた。
ぎゃあああああああ……
という、狂気じみた、断末魔の声めいた、どこか物悲しい悲鳴だった。
そして突如として、突き当たりの演劇部室の扉が開いた。
僕はあんぐりと口を開けて固まった。
血まみれの男がまろび出てきたのだった。
パックリ割れた額から真っ赤な血を垂れ流し、ゾンビのようにフラフラと、正気とは思えない足取りでこちらへやってくる。
「コロスコロスコロス絶対殺す……」
何やら
……どう考えてもヤバい。いったい部室で何が行われてるんだよ! 〝熱き血潮をぶちまけろ〟って比喩表現じゃないの!? ここはいったん撤退して態勢を立て直そう……と自分に言い訳しつつ、
「きみは、入部希望者かね?」
呼び止められた。ぎくりとした。立ったまま死んだフリをするが、背後の人物は
僕は恐るおそる……振り返った。
半裸の男が仁王立ちしていた。
下半身はジーンズで、鍛え上げられた上半身には何も着ていない。いや、着ていないという表現にはいささか
「入部希望者だろう? 俺にはわかるぞ……」
エスパーから一番遠いところにいるビジュアルのくせに、エスパーみたいなことを言う。
「ほら、白目を
いつの間にか僕は男にガッシリと捕まえられて、部室へと連行された。
そこはフットサルコートくらいの広さがあった。
──が、そんなディテールはもはやどうでもよかった。
床に血まみれの板切れが落ちていたのである。
床に血まみれの板切れが落ちていたら、もうそれ以外は目に入らなくなるのが当然である。何しろ血まみれの板切れだ。「さて、実力のほどを見せてもらおうか」と男が言って、感染防止アクリルパネルのむこうの椅子に腰掛け、あごヒゲを
「そうだ、自己紹介が遅れたな。俺は
なるほど、ミリが『濃ゆーい』と形容していたカリスマ部長か。本当に色々と濃ゆい……。
「あの……なんで、血まみれの板切れが落ちてるんですか? あとなんで半裸なんですか?」
「先に自己紹介するのが礼儀だとは思わんかね?」
「あ……
「よし、
……質問に答える気はなさそうだった。
「ちなみに演劇経験はあるかね?」
「いや、
「じゃあ50
「それが何のセリフかわかるかね?」
「……シェイクスピアの『お気に召すまま』のジェイキスのセリフです」
「ほう! よくわかったな、
僕は呼吸を整え、演技を始める。
「全世界が一つの舞台、そこでは男女を問わぬ、人間はすべて役者に過ぎない──」
ミリとの練習を思い出した。彼女のアドバイスは驚くほど的確だった。言葉がすっと体に
「ふむ……」僕が演じ終えると、
「一応、一週間くらいは練習してきました」
「一週間──!」
「えっ、なぜマイナス!?」
「
「ややこしいな!」
最初の3プラスは合格から遠ざかってたのかよ……。
「さあ、あと33ポイント、死ぬ気でもぎ取ってみせろ!」
まだまだ先は長いな……とすこし絶望的な気分になった時だった。部室の扉が開き、眼鏡の女学生が飛び込んできた。そして、予想だにしなかったことを叫んだ。
「大変です──放火されました!」
4
半裸のまま猛スピードで走っていく
「放せッ! 放せよォッ!」
血まみれの男が羽交い締めにされ、
「あっ、
血まみれ男を押さえている人物が、ふいに言った。体格の
「
僕は反射的に動いた。
「消火! 消火だッ!」
白い煙を吐きだす燃え残りの前に、女の子が膝をつき、すすり泣いた。ポップな服装の子だ。ピンクの毛先カラーを入れた金髪にピンクのキャップを
「ううう……わたしが手塩にかけた大道具がーっ!」
話を聞くと、どうやらこういう次第らしい。自粛期間中、大道具・小道具班が自宅でせっせと製作してきたものを、レンタルトラックで集めてきた。それを部室搬入前にいったん降ろし、すこしばかり目を離したところ、炎が上がっていた。
「それで、こいつが放火犯というわけか……」
「はい、炎を見つめながら涙を流し、殺す殺すとつぶやいていました」
「間違いないな!」



