メイクアガール

第一章 AUGMENTATION ①

 研究。

 それは新たな価値を生み出す営みだ。

 まだこの世界に存在しないものを創る。それを繰り返して人類は発展してきた。創造、生成、構築。それこそが文明の本懐であり、次のステップへと人類を進める原動力だ。

 必要は発明の母Necessity is the mother of invention

 あらゆるは、から生まれる。

 すべてのが、から生まれるように。

 なら僕は、なぜ生まれてきたのだろう?

 答えは決まっている。

 研究するためだ。

 だから僕は、創らねばならない。創り続けなければならない。

 それがいつ、どこであっても。


「よし、こんな感じかな」


 僕はノートPCで書き終えたコードをざっと確認して、それからビルドのボタンを押す。僕の指先がたたいたキーはシリコン製のカップを押して、膜を接点に押し付ける。それを認識したコンピュータはコードをコンパイルして0と1からなる機械語へと翻訳し、ケーブルを通じて送信していく。

 そのケーブルの先には、が接続されていた。

 きやしやな肩からはすらりとした繊細な腕が伸び、きちんとした姿勢で張られた胸は細い腰につながって、そのフォルムは大きく広がったスカートへと流れていく。そしてそのスカートの中からは、車輪がついた一本足がのぞいている。つるりとした顔の真ん中についたLEDのインジケーターが点滅し、アップデートが完了したことを告げていた。


「それじゃ、よろしく」


 僕がポンとその肩をたたくと、グロス成形のエンジニアリングプラスチック製外装がカシャリと小さな音を立てる。顔のない頭が縦にうなずくと、その脚の先の一輪を走らせ、猛スピードで駆け出していった。

 ソルト。

 それがこのロボットの名前だ。

 なんのために生み出されたのか?

 人間をサポートするためだ。

 ソルトは汎用型サポートロボットとして開発された。発売されるやいなや大ベストセラーとなり、少しずつ街の中でも見られるようになりつつある。

 ではそのサポートロボットが今ここでなにをしているのかといえば。

 それは清掃である。

 学校とは、広大な空間で多数の人間が長時間活動する装置だ。人間の活動はさまざまな望ましくない乱雑さを招く。エントロピーの増大というやつだ。その空間を人間が隅々まで掃除するのは、まったく非人間的な営みという他ない。そういうわけで、この学校にもリースではあるもののソルトが清掃用に導入されており、日々校舎の保守に奔走している。

 そして僕は今、そのソルトが3倍の速度で清掃を終えられるよう、プログラムを書き換えた。

 それが可能な理由は簡単だ。

 僕がだから。

 目的をよりよく達成することができるよう、プログラムを書き換えることは当然だ。アップデートは開発者の義務と言ってもよい。満足感に浸りながら、廊下を疾走していくソルトの背中を見守っていると──


あきらくん、なにやってるの?」


 後ろからそう声をかけられた。

 僕は振り向いて、ゴーグルのレンズ越しに声の主を確認する。


「ああ、あかねさん」


 そこに立っていたのは、制服に身を包んだ女性だった。

 赤茶色の髪に、ふわりとしたポニーテールが揺れている。

 僕の視覚はその姿を捉えると、脳が記憶と照合する。

 彼女は茜さん。僕のクラスメイトだ。


「またなにか変なことやってるんじゃないでしょうね。見たわよ、学校のソルト勝手にいじってたの。もう授業はじまるんだから、いい加減に──」


 しかし、茜さんは僕の後ろに目をやると、その切れ長の目を大きく開けた。


「──な、なにそれ」


 僕はその視線を追って自分の後ろを振り向く。

 なんの変哲もない学校の廊下だ。


「なにって、学校の廊下?」

「そうじゃなくて! それ!」


 僕はそこでようやく気がつく。

 そこには、ソルトとは別の、の機械が置いてあった。確かに僕が持ち込んだものだ。


「これは5分でカップ麵を作ってくれる機械だよ」

「なんでそんなものを……」

「昼食にカップ麵を食べるために決まってるじゃないか」

「自分で作ればよくない?」

「いや、茜さん。考えてみてよ。カップ麵を作るのが面倒だと思ったことはない?」

「特にないわね……」

「この機械はあらゆるカップ麵を自動で作れるんだ。麵を戻す時間、スープをいつ入れるのか、作り方と袋をすべて画像認識して98・7%の確度で正しく作れるんだよ。3分のカップ麵ならたった5分で完成する! ほら、今やってみせるから──」

「……頭痛くなってきた。私はなにも見てないし、なにも聞いてない。いいわね?」


 そう言い残して、ピシャリと教室のドアを閉めてしまった。

 それを合図にしたかのように、ちょうど授業開始のチャイムが鳴る。

 しまった。もうスイッチを押してしまったので、カップ麵ができてしまう。さすがの僕も授業中の教室でカップ麵を食べないくらいの常識はある。しかし食べ物を粗末にしてはならないというのもまた道理だろう。仕方がない、食べてから授業に行くしかないか。

 僕ができあがったカップ麵を廊下ですすっていると。


「おおい、そこ! 授業中にカップ麵を食べ──じゃなくて、学校に妙な機械を持ち込むんじゃない!」


 授業を行うべく姿を現した教師が、そう僕を怒鳴りつける。妙な機械、とはずいぶん粗い分類だ。その前でカップ麵を食べているのだから、なんらかカップ麵に関連する機械だと類推できてもよさそうなものだけれど。

 それよりも、気になるのは。

 遠くから幾つもの悲鳴がうっすらと聞こえてきていることだ。

 なにかが起きているのだろうなと思うが、構っていては麵がのびてしまう。しかし散発的なその悲鳴は、徐々にボリュームが上がってくる。なるほど、悲鳴の発生源が移動しているのだ。

 そして、次の瞬間。

 爆発音とガラスが割れる音が、ほぼ同時に響いた。

 あ。

 その瞬間、自分のミスに気づく。

 清掃用ソルト。

 僕はそのを3倍にするように書き換えた。

 しかし遠心力はに比例するのである。

 ソルトは人間に近い作業をするため精密なマニピュレータを備えており、末端にそれなりの重さがある。それが3倍の速度で振り回され、関節部分がソルトの高速動作に耐えきれなくなり破断、ガラスに衝突したというわけだ。爆発音は……バッテリーの過負荷だろうか?

 とにかく、それは初歩的なミスだった。


みずたまりィィィィ!」


 先生の怒りを含んだ悲鳴が聞こえてくる。

 水溜明。

 それが僕の名前だ。

 その名前を呼ばれるたび、僕はいつも思い出す。

 僕がから受け継いだものはふたつある。

 ひとつは水溜という名前。

 そしてもうひとつは、その

 ソルトの基礎を含め、無数の技術を開発した天才研究者、水溜いなの子。

 それが僕だ。

 だから立派な研究者にならなければならない。

 母さんに託されたものを、受け継ぐために。

 僕はカップ麵を食べながら。

 ソルトの設計強度を念頭に速度を決めるべきだったと、反省したのだった。



「ただいま」


 その声に反応して、ラボの照明がつく。

 膨大なルーメン数の光が設備を照らして、僕の目に見慣れた光景を届ける。Ra90の入射光は正確な色彩を反射しているはずだけれど、それがどれくらい研究にとって意味があるのか、僕はあまり実感していなかった。

 このラボは僕の個人設備であり、僕しか使えない。だが、僕が作ったわけではない。

 母さんがのこしたものを、そのまま引き継いだのだ。

 母さん──水溜稲葉は、正しく天才だった。

 ソルトの基礎をはじめとしたさまざまなロボットを開発し、そして──病に倒れた。

 に引き取られた後も、僕は母さんの背中を追っている。

 だから僕は、研究しなくてはならない。

 母さんのような、素晴らしい研究者になるために。