メイクアガール

第一章 AUGMENTATION ②

 ラボは地下1階と地上階をぶち抜いた作りになっている。僕はキャットウォークから無骨なリフトを降りてメインフロアに立つと、電源ボタンを押してPCを立ち上げる。どうせほとんど僕しか立ち入らないので、セキュリティは入室にしかかけていない。まあ、そもそも、このラボに価値ある研究なんてないのだが。

 母さんの研究データはPCに入っているけれど、し。

 僕はPCが起動に要する数瞬の時間に、ふう、といきをつく。

 一応自宅もあるのだが、放課後は直接ラボに来ることが多くなった。こっちのほうが、ただいま、という感じがする。自宅は単に睡眠をする場所だ。船にとってのメンテナンスドック、あるいは動物にとっての水飲み場。船のあるべき場所は海だし、動物が駆けるのは草原だ。僕も同じ。僕は研究をするために生きている。だからラボにいる。それはほとんど自然の摂理といってもよい。

 僕がかばんを下ろそうとすると、ソルトがやってきてそれを受け取る。


「ありがとう」


 声をかけると、顔の中心に縦に並んだふたつのインジケーターが、何度か光って応えた。ソルトはかばんを持って隅に置く。

 そういえば、自分はなぜ学校に通っているんだろうな、と思う。

 当然ながら学ぶべき内容があるわけではない。おじさんには、高校は行っておいたらいいじゃないか青春なんか今しかできないぞ、という極めて適当な理屈を言われてなんとなく納得してしまったけれど、よくよく考えたらなんだそれ。無駄そのものじゃないか。また先生に怒られるのも、怒らせてしまうのも面倒だ。適当に理由をつけて休んでもいい。

 まあ、青春がどうとかはともかく。

 研究にインスピレーションは必要だ。

 多分そういうことだ。

 しかし願わくは、研究に寄与するインスピレーションであってほしいとは思う。

 も、うまくいけばいいのだが。

 そう思いながら目線を向けた先には、他のソルトと区別するためにブラウンの塗装を施したがいる。隔離されたエリアに置かれたそのソルトの背中には、幾つものケーブルがつながっている。

 僕はとうに立ち上がったコンピュータに向き合うと、これまでのものに幾つかコードを書き足していく。一通り入力してビルドを押す。振り返ると、画面上に表示されたインジケーターの数字とソルトの顔に配されたLEDの点滅が、僕が書いたコードの転送を示している。

 僕は、ソルトをアップデートしたいと思っている。

 ソルトは高度な人工知能を搭載している。フレーム問題を克服した強い人工知能だが、母さんが構築した基幹部分はブラックボックスになっていて、誰も解析することができない。だから本来のポテンシャルはもっと高いはずなのだ。校舎の掃除ひとつとってもそうだ。もっと柔軟にいろいろな判断ができたほうが、効率的に物事がこなせる。

 要するに。

 僕はソルトを、のだ。

 やがてすべての準備が整うと、うなだれたソルトは動き出す。

 今度こそ、成功してほしいものだけれど。

 最近は、そんな期待すらもポーズになりつつある。

 どうせうまくいくわけがない。

 そう思ってしまっている自分に、気づかざるを得ない。

 ……けれどそんな僕の小さな絶望は、インターホンの呼び出しに中断される。外部に設置したアームつきカメラが、来訪者の映像を捉えて、ディスプレイに表示する。

 笑顔で手を振っているのは、見慣れた顔だった。

 柔らかくうねる長い髪。優しげなまなしに、おっとりした笑顔。


「ああ、さんですか。どうぞ」


 僕はセキュリティに認証を与えて、彼女を招き入れる。ほどなくリフトが動く大きな音がして、絵里さんが降りてきた。


「ちょっと見ない間に、ずいぶんラボが様変わりしたね、明くん」

「絵里さん。いえ、ここは相変わらずですよ」


 絵里さんはの研究室に所属する研究者だ。僕がおじさんに引き取られたときにはすでに研究をはじめていたから、大先輩ということになる。今はおじさんのもとでソルトの改良を手掛けている。

 若くて優秀で、そのうえ美人。周囲がそううわさするのを何度も耳にしてきた。研究者に外見がどう関係あるのか僕には正直よくわからなかったが、それはともかくとして──今のソルトの幾つかの部分は絵里さんが考案したものだ。特に車輪のサスペンション形式を変更したのは絵里さんのアイディアで、着地時に頭脳部分が受ける衝撃を24%も減らした。地味だけれど重要なこと。絵里さんはそういう小さな改善を提案するのが得意なのだ。

 それは彼女の面倒見のよさとも、なんとなく関係があるような気がする。

 確かには絵里さんから見て恩師であるかもしれないが、僕はただの後輩にすぎない。

 そんな僕の様子をこうしてときどき見に来てくれるのは、面倒見がよい証拠だ。

 もし姉がいたら、こんな感じなのかなと思う。

 そんな絵里さんは、ここ1ヶ月ほど研究の用事で海外に行っていたらしい。久々の顔合わせとなったのは、そういうわけだった。


「今はなんの研究をしてるの?」


 絵里さんはそう言うと、ディスプレイが見えるよう、僕の横に回り込んだ。


「なにって……なんでしょう。多分人工知能だと思います」

「それはもうソルト用に作ったじゃない」

「強化学習より知的活動を模倣できるやつですよ」


 ついそれらしくごまかしてしまう。人間に近づけたい──なんて曖昧な目標を口にしたくなかったのだ。特に絵里さんの前では。


「ふぅん、すごいね」


 それを知ってか知らずか、絵里さんも軽く流す。


「じゃあ、あれはなに?」

「人工培養した不老不死のクラゲです。この間五匹ほど死んでました」

「へぇ……じゃ、あれは?」

「変形ロボットです。変形の途中で壊れました」

「ふぅん……あれは?」

「5分でカップ麵が仕上がる装置です」

「……自分でやった方が速そうだね?」

「当たり前じゃないですか」


 茜さんにも同じことを言われたな、と思い返す。茜さんには言い返してみたけれど、同じ研究者の絵里さんに言われると皮肉を返す他なかった。


「つまりは全部失敗作です。僕はまともにものを作れたことがないんですよ」

「なに言ってるの。それこそ君はソルトを作ったじゃない」

「あんなもの……母さんの遺産みたいなものですよ」

「もう、そんなこと言って……」


 そのとき。

 低い周波数のブザーが鳴る。

 その中に、金属がきしむ音。

 僕と絵里さんは、音のするほうに視線を注ぐ。

 そこではブラウンのソルトが、頭を抱えて苦しんでいた。

 ギリギリという音は次第に強まる。頭を抱えたソルトが、そのまま頭を引っ張る。フレームから首が外れ、赤と青のコードが引っ張りに耐えられず、ブチブチと破断していく。

 そして火花が散って。

 ソルトは、自分の首を引きちぎった。

 まるで苦痛に耐えきれず、自分を殺してしまったかのように。

 いや。

 それはくだらない感傷にすぎない。

 ロボットであるソルトに、苦痛などあるわけがなく。

 死ともまた無縁なのだから。

 僕は足元に転がってきたソルトの首を拾い上げる。

 今僕が受け止めるべきなのは、それよりも──


「あーあ。ほら、また失敗」


 ──どうしようもなくシンプルな、失敗という事実だった。

 原因はまだ不明だった。

 なんらかの要素が不整合を起こしていて、その結果自壊してしまうのだろうとは思っている。しかしというのは、のと同義だ。思いついた仮説はすべて検証段階でこうして棄却されていく。その繰り返しだった。


「やっぱり僕には向いてないのかなぁ」


 持ち上げたソルトの頭。明滅するコンピュータの光に、僕は思わずつぶやく。


「ねぇ、母さん──」

「明くん……」


 応えてくれたのは、絵里さんの声と、肩に置かれた手の、温かい感触だった。

 思わずこぼしてしまう。