メイクアガール

第一章 AUGMENTATION ③

「母さんみたいな研究者にならないといけないのに……僕はいったいなにをやっているんですかね」

「稲葉さんと比べちゃダメだよ。あの人は──」


 僕の肩に置かれた手が、すっと離れた。絵里さんの声にどこか苦々しさが交じる。

 絵里さんの言いたいことはわかる。

 水溜稲葉は──母さんは、本物の天才だったから。

 でも、話はそれ以前の問題だった。


「それでも、僕にはどうしてもやらなければならないことがあるんです。ソルトは今のままじゃダメだ。ソルトはもっと、人間に近くないといけないんです。母さんは第二人類としてソルトを作ったはずだから。でもどうしたらいいのかわからなくて──」


 

 母さんの研究メモに書かれた、ソルトのコンセプトだ。

 それが本当の意味でどんなものなのかは、僕も理解しているとは言いがたい。けれど母さんがソルトを人間に近づけようとしていたことは確かだ。今のソルトも、ロボットとしては極めて高性能だ。さまざまな問題を自力で解くことができる強力な汎用人工知能。でもそれでは足りない。足りないのだ。


「研究って、やったらやっただけ進むものじゃないもんね」


 困ったように笑う絵里さんに、僕はわらにもすがる思いで聞いてみる。


「絵里さんはそういうとき、どうしてますか?」

「わ、私?」


 自分を指差してあからさまに面食らってから、視線を外して絵里さんは考える。まるで答えがわからないのに先生に当てられてしまった生徒のような、子どもっぽい表情で。


「えっと、そうね……誰かに相談したりとか?」

「今してますよ、相談」

「ほら、私なんかじゃなくて、しよういち先生とか」

「おじさんかあ……」


 僕は丸い眼鏡をかけた、どこか人を食ったような笑顔を思い浮かべた。

 たかみね庄一。母さんの同期にして、今は僕と絵里さんの研究室の教授。そして、母さんをくした僕を引き取ってくれた保護者。

 教授になるくらいだから、間違いなく優秀な研究者だ。一方で、母さんとはまったくタイプが違う人物でもある。


「おじさんはお金になる研究は得意なんですけど……」

「またちょっと別の才能だよね」


 そう言って絵里さんは苦笑いを浮かべる。


「でも、それがあるから研究予算がたくさん使えるんじゃない。ソルトだって、サポートロボットとしては大ヒットだったし」

「それは、まあ」


 絵里さんの言うことは正しい。

 ものを作るにはお金が必要だ。

 庄一おじさんがいなければ、母さんから引き継いだソルトは完成させられなかった。おじさんが立てたコンセプトは、を目指した本来のソルトとは異なっている。人類に役立つサポートロボットとしてスペックダウンしたものを販売しよう──というのが、おじさんの考えだった。必要な要件を抜き出し、それに十分な部分だけを実装する。こうしてソルトはできあがり、おじさんは投資を集めて生産と保守をになう会社を立ち上げ──そして僕と会社の権利を分け合ったのだった。

 庄一おじさんはじんを超えた天才というタイプの研究者ではない。誰にでも理解できることを、誰にでも理解できるよう説明し、誰にでも理解できるようにデモンストレーションするのが得意な人なのだ。

 それはそれで、類まれなる才能だと僕は思う。

 しかし、僕の行き詰まりを解決してくれるビジョンは、正直湧かなかった。


「絵里さんはどうなんですか」

「私は、そうね、引き続きソルトの改良かな」

「改良ですか。具体的には?」

「二足歩行化ユニットの開発ね。今の車輪ももちろんいいけれど、都市は人間が活動するように設計されてるから、人間に近い形状のほうが都合がいいでしょ?」

「今でも階段は昇り降りできますよ。それに、内部機構が複雑化してコストが上がりません?」

「うん、いい指摘だね。では質問です。高コスト化してでも人間の活動領域に完全対応する機動力が求められる用途はなんでしょう」


 僕は少し考える。


「配備数よりも移動のスピードと確実性が要求され、しかも車輪では移動しにくい環境で活動する──民生用ではないのでは?」

「正解! 警察とか消防に売り込んだらいいんじゃないかって、庄一先生が」

「いいですね。危険な領域だから、人間に替わってソルトを導入する意味もある──そうか、それで海外に?」

「そういうこと。治安がいい日本には、ちょっとオーバースペックだからね」

「コンセプトが明確だ。でも、ソルトの仕様はサポートを前提としているから──」

「うん、全体に手を入れないとダメだね。重量増を飲み込んでパワーを上げて、増えたぶんは下半身の設計で吸収かな。コストも激増するけど……なにかを手に入れるためには犠牲がつきものだから」

「さすが絵里さんですね。的確だと思います」

「うーん……結局ソルトが母体であることには変わりないし……自分でなにかを作ってるって感じはあんまりしないけどね……」

「そんなことないですよ」

「研究、か……」


 絵里さんはそうつぶやくと、壊れたソルトに目をやった。

 僕は絵里さんのことを、少し羨ましいと思う。

 明確な課題を見つけ、解決する。そしてそれが、ソルトの性能向上というかたちで世の中にプラスの影響を与えていく。もし絵里さんの高機動型ソルトが完成したら、それは人の命を救うことになるだろう。

 それに比べたら。

 僕はただ。

 同じ場所で、足踏みをしているだけだ。

 壊れたブラウンのソルトが、こちらを見ている気がした。

 内側から湧き上がってくる、マグマのように熱く静かな衝動が、僕を突き動かす。

 なんとしても。

 このソルトを完成させなくてはならない。

 きっとそれが、僕を次のステップに導いてくれるはずなのだ。



 僕の悩みに思いもかけないアプローチが見つかったのは、翌日の学校でのことだった。

 昼食をとるべく学校の屋上に出ると、いつものようにくにひとが座っていた。コンクリートの床面にあぐらをかいて、昼食をひろげている。


「お、やっと解放されたのか」


 そう言って、いつものちょっと皮肉っぽい笑みを浮かべる。ゆるめたネクタイが首元で揺れるのと対照的に、整髪料で持ち上げた前髪はしっかりとキープされていた。

 僕と邦人は、こうして屋上で昼食を食べることが多い。明るくちょっと調子がいいところのある邦人は僕とは正反対だったが、不思議と気の合う友人だった。たぶん、正反対なのがいいのだと思う。人間関係の機微とやらに鈍感な僕にとっては、学ぶところの多い相手でもあった。


「邦人、最近よく人に怒られるんだ」

「なにをいまさら。明はいつも怒られてるだろ」

「そうだっけ?」


 僕は邦人が投げてよこした牛乳パックをキャッチすると、隣に腰を下ろす。

 まあ、言われてみるとそうかもしれない。

 今までなにをしていたのか。茜さんに言われて、清掃用ソルト暴走の件について反省文とやらを書かされていたのだった。そもそもあれは暴走ではなくて意図どおりの動きだし、本質的な問題はソルトの設計強度というハードウェア制約を想定しなかったソフトウェア実装なのだが、それは重要ではないらしい。弁償して責任は果たしたので、反省文と言われてもなにを反省したものやらまったくわからなかった。そこで僕の筆跡をられるロボットに任せようとしたのだが、茜さんに怒られて阻止されてしまった。

 そんなわけで、僕は茜さんの監視のもと、これまで直筆の反省文を書いていた。

 そういう単純作業こそロボットにやらせたほうがよいと思うのだが。

 人間というのは難しい。

 僕が釈然としない思いを抱えながら栄養食の封を切ると、邦人がニヤニヤしながら話しかけてくる。


「それよりも聞いてくれ。大ニュースなんだ」

「あ、最近ついに購買ができた話?」

「ちげぇよ……」


 違うのか。栄養食の入手効率が上がった。大ニュースなのに。


「いやぁ、ついに彼女ができたんだ。前に言ってたバイト先の先輩でさ」


 そう言いながら、邦人はスマートフォンを僕に手渡してくる。