メイクアガール

第二章 INITIATION ①

 やがて。


「えー、今日はだな。その、なんというか、転校生──新しい生徒がこのクラスに加わることになった……」


 いよいよその日はやってきた。

 僕はいつものように、2年A組で自分の席に座っていた。教師の戸惑いに満ちた歯切れの悪い言葉さえ、僕にとっては福音のようなものだ。光あれ、すると光があった。そして──


「──入ってくれ」


 教師がそう言えば、が入ってくる。

 その姿に、クラスがどよめいた。

 緑がかったグレーのスカートが、まぶしい脚の上ではためく。天気のい日曜日の朝に、風でたなびくカーテンのように。色素の薄いボブカットは、光の入り方でうっすらと虹のように色が変わって見える。艶のある瞳の輝きは、貝殻の裏側に似ていた。

 は教壇の横で止まると90度旋回し、クラスに向き直る。

 そして、名乗る。

 僕の与えた、名前を。


です。よろしくお願いします」


 クラスの全員の目が、僕を見た。

 しまった、と思う。

 みずたまり。うっかり僕と同じみようにしてしまった。学校の書類を埋めるときに適当に書いたのだが、これではまるで家族ではないか。

 まあそうなってしまったものは仕方がない。

 今更変更しても混乱を招くだけだ。

 しかし0ごうは、それを意に介すことはない。


「では、0号さんは水溜──あきらの隣に座ってくれ」

「はい」


 教師の指示に従って、──0号は僕の隣の席に座った。その無駄のない安定した動作を、僕は満足して見つめる。


「おい! どういうことだよ!」


 ざわつく教室をなんとか教師がしずめてホームルームを再開したころ、くにひとが振り向いて小さな声で話しかけてきた。視線はチラチラと0号のほうをうかがっている。


「お前、こんなにかわいい家族がいたのかよ。学年同じだから姉でも妹でもないよな。双子……って話は聞いたことないし。いや、か? っていうか、0号ってどういう名前だ?」

「0号は僕のだよ」

「はあ!?」


 大きな声をあげた邦人は、しまったという顔をしてあたりを見回すと、もう一度声を落とした。


「どういうことだよ!?」

「いやあ、邦人に言われてひらめいてね。作ったんだよ」


 僕は質問に答える。あまりの誇らしさに、さすがに得意気な響きになってしまう。


「作ったって……お前、正気か?」

「よくできてるだろ?」


 こんなに短期間で0号を作ることができたのには、理由がある。

 母さんが残していったデータの中にあった、ひとつの研究。

 

 厳密にはそれはのだが、今はさいな問題だ。

 とにかく重要なのは。

 僕に、彼女ができたということだ。


「ね、0号」


 話しかけると、彼女は答える。

 一点の曇りもない表情で。


「はい、明さん」

「うおっ、返事した」


 邦人は驚いてまた大きな声を出すが、先生ににらまれて声をひそめる。しかし反省することもなく、教科書を立てて顔を隠しながら、後ろを向いて小声で、今度は0号に話しかけた。


「こんにちは、ええと、0号ちゃん?」

「こんにちは」


 しかしそこで会話は止まってしまう。

 戸惑う邦人の視線を受けて、僕は0号に先を促す。


「0号。そういうときは、相手の名前を聞くんだ」

「わかりました。あなたの名前はなんですか?」

「俺は、ええと、邦人。邦人だよ」

「私は0号です。はじめまして、邦人さん」

「すげぇ! いや、すげぇ、けどよ──」

「そこ、いい加減にしなさい!」

「うっす……」


 邦人は教師にとうとう怒られ、複雑そうな顔をして渋々前を向いた。

 僕はいつものように授業を聞き流しながらパソコンを開いていた。

 隣には、0号が座っている。

 それだけで、なにかがはじまりそうな気がした。

 いや、実際に、はじまったのだ。

 僕の新しい暮らし。

 がいる、暮らしが。



「……なぁ」

「うん?」

「確かに彼女を作れとは言ったけどさ」


 昼休み。話しかけてくる邦人の表情は釈然としないものだった。邦人の視線の先にいるのは、もちろん0号だ。姿勢よく前を向いてじっとしている。


「どこの世界に科学的に彼女を作るやつがいるんだよ」


 それがさっき言いかけて言えなかった言葉だったのだろう。


「ああ、0号のこと。これでようやく僕も研究者として前進できるはずだ。邦人のおかげだよ」

「お前が納得してるならいっか」


 邦人はそう言って肩をすくめた。そういう適当さは僕にとっておおらかさであり、それが邦人と友達でいられる理由だった。


「でも、わざわざ学校に連れてくることもなかったろうに」

「彼女の何がパワーアップにつながるかわからないからね。僕の確実なパワーアップのためにも、平均的な社会性を身につけておいてほしいんだ」

「お前がそれを言うか……」


 邦人がいったいなににあきれているのかよくわからないでいると。


「パワーアップって? また何かろくでもないこと?」


 眉をひそめながら、あかねさんがカットインしてきた。


「違う違う。明が彼女を……じゃなくて人を作ったんだってさ。ほら、転校生の」

「人を作ったって……ああ、みようが一緒だから親戚かなって思ってたけど。また非常識な話ね」

「やけにすんなり受け入れるんだな。これって結構すごいことじゃないか?」

「今更人を作ろうが、宇宙人を作ろうが驚かないって。でも、騒動が二倍になることだけはごめんだからね?」


 茜さんはそう言いながら、0号の机に手をついて顔をのぞき込む。

 0号は反応に困ったようで、僕に助けを求めた。


「どういう、意味でしょうか」

「茜さんは時々難しいことを言うんだ」


 僕の答えにあきれたのか、茜さんは大きなため息をつくと肩を落とした。


「はぁ……変な名前だとは思ったのよね。0号なんて」

「そうだよ。その時点で気づけって」


 邦人は笑いながら、茜さんをからかう。


「あなたと違って、私は転校生が変わった名前だからって差別したりしないの。ていうか、もっとかわいい名前つけてあげたらよかったじゃない」


 茜さんの意見には納得できないので、僕は反論する。


「いや、ナンバーで管理したほうが機能的だよ。名前だけで制作順がわかるんだから」

「制作順って、あなた他にも作る気なの?」

「そうじゃないけど、最初からうまくいくとは限らないから。0号が完成しなかったら、次を作った可能性はあるよ」

「少なくとも非常識は二倍ね。……というか、学校にはなんて説明したの?」

「ほら、おじさんが学校にソルトを格安でリースしてるだろ? そのツテで転校生ってことにしてもらったんだよ。いちいち他の生徒に説明するのも大変だからね」

「なりふり構わなさすぎる。そんなに……その……彼女が欲しかったの?」


 茜さんはなぜか途中でよどみながら、僕にそう聞いた。


「そりゃそうだよ!」


 研究者としてパワーアップできるなら、あらゆる手段を試す。当然のことだ。


「ね、邦人」

「え、いや、俺は関係ないだろ!」


 慌てる邦人には構うことなく、茜さんは0号の顔をのぞき込む。


「ふーん……」

「茜さん。どうして、私の顔を見つめるのですか?」


 不思議そうな顔で、0号は首をかしげる。


「0号ちゃん。そういうときは、なにかついてますか、って聞くんだよ」


 なぜか得意げな邦人の言葉に、0号は素直に従う。


「なにか、ついていますか?」

「……かわいい顔がね」


 茜さんはそう言い放つと、不機嫌そうに0号から顔を背けた。

 0号は表情を変えないまま、僕に報告する。


「明さん。私、褒められました」

「よかったね」

「どうしたらいいですか?」

「うーん、そうだな。お礼を言って、相手を褒め返す、かな?」


 0号は言われた通り茜さんに向き直ると、顔を見上げた。