メイクアガール

第二章 INITIATION ②

「ありがとうございます。茜さんもかわいいですよ」

「嫌味にしか聞こえないわね……」


 言われた茜さんの表情は引きつっていた。それを見て、邦人が混ぜ返す。


「おいおい、先に嫌味を言ったのは茜だろ?」

「うっ……そんなことないわよ!」

「よし、0号ちゃん。茜をもっと褒めてみよう!」

「はい。茜さん、目がぱっちりしています。指が長いです。脚が細いです。お尻が大きいです。胸が……」

「やめてやめて!」


 顔を赤くして嫌がる茜さんに、0号は困惑している。


「同年代の女性の平均と比べて、よいとされている点を挙げたのですが……」

「平均って……人の見た目をとやかく言わないの!」

「でも、茜さんは私の見た目をかわいいと言いました」


 僕は深くうなずく。


「ね、言っただろ。茜さんは時々難しいことを言うって」

「これは面倒なことになりそうね……」


 頭を抱える茜さんを見て、邦人はニヤニヤしている。


「どっちかというと面倒なのはお前じゃね」

「もう!」


 そうこうしているあいだにチャイムが鳴って、茜さんはまだなにか言いたそうにしながらも席に戻っていく。邦人も前を向いて、かばんから教科書を取り出す。僕が取り出すのはもちろんPCだ。学校の授業なんて聞いても仕方がない。

 僕はPCに向かって作業をしながら、静かに座る隣の0号に、ときおり目をやる。

 彼女は行儀よくきちんと座って、黒板のほうに目を向けている。

 僕の視線に気づいて、0号がこちらを向いた。

 目が合う。

 0号の口元が、少しほほんだように見えた。

 はっきりした変化があったわけではない。

 けれどほんの少し。

 体温が0・1℃くらい、上がったような気がした。

 これがきっと、パワーアップの予兆というやつなのだろう。

 0号と一緒に研究するのが楽しみだ。



「さて、0号。僕は君という彼女ができたおかげでパワーアップしたはずだ」

「はい」

「最近失敗続きの研究もうまくいくと思う。そこで君に大事な使命を言い渡す」

「はい」

「その辺で立っていてくれ」

「はい」


 学校が終わり、ラボに直接来て、今。

 そう言い渡したのがさっきのこと。

 PCのスペースキーを押して、ブラウンのソルトにプログラムを送る。

 ソフトウェアをアップデートされたソルトは、今までとまったく異なるなめらかな動きで動きはじめる。

 やった。とうとう成功した。

 ──そうなるはず、だったのだが。

 ブラウンのソルトは、今までとまったく同じように、頭を抱えて苦しみだした。


「失敗だ……」


 また自己破壊されると修理が大変なので、すぐに電源を落とす。

 おかしい。

 彼女ができて、僕はパワーアップしたはずだ。

 アルゴリズムだってかつてないえのはずだ。

 なぜだ。

 僕は0号に目をやる。

 もしかして、彼女のパワーアップの影響範囲は、思っていたより限定されているのかもしれない。学校にいる、彼女と離れた邦人は、いつもの邦人だった。それは彼女と物理的に近い場所にいるからこそパフォーマンスが向上していたことを強く示唆している。


「0号、そこじゃないらしい。少し移動しようか」


 僕は後ろから彼女の両肩を押して、デスクに近づける。


「よし、ここにいてくれ」

「はい」


 0号の返事を受けて、僕はもう一度ソルトの電源をオンにする。

 やっぱりそうだった。0号が近くにいないとパワーアップできないんだ。たとえるなら磁場のようなものだ。その影響は距離に応じて減衰するため、近くにいないと作用しない。今度こそ実験は成功だ。

 ──とは、ならなかった。


「これも違う……彼女を作る前と比べても研究がパワーアップしない……場所はあまり関係ないのかな?」


 となると、他に認識できていない条件があるのか?


「彼氏彼女でパワーアップしたいときはこれでしょ」


 突然僕の前に、一冊の本が差し出される。

 カラフルで雑然とした表紙に、ふたりの男女が載ったそれは、どうやらマンガ雑誌のようだった。

 そしてそれを手渡しているのは。


さん、まだいたんですか……これは?」

「少女漫画雑誌。私も恋愛はよくわからないけど、こういうリファレンスを見ればなにかわかるんじゃない?」


 そう言って、絵里さんは楽しげに0号と肩を組む。

 なぜ絵里さんがいるのかといえば、たまたま切れてしまったソルトの部品を取りに来たからである。さっき用事は済んだので、てっきりもう帰ったのだと思っていた。

 ちなみに絵里さんには、彼女を作ったことはもう話していた。邦人や茜さんのようにあきれられるかと思ったが、絵里さんの顔に浮かんだのは、純粋な驚きだった。そういうこともあるよね、とうなずいていたのだが、それは自分に言い聞かせているようにも聞こえた。それがどういう感情なのか、僕には正確なところはわからない。それでもこうして、僕と一緒に、たびたび0号の様子を気にしてくれていることは間違いなかった。


「なるほど……」


 言われてみれば、0号はまだ彼女になったばかりだ。なにかパワーアップに必要な条件があるのかもしれない。

 僕は雑誌をめくってみる。自由変形された四角形で区切られた領域に人物が描かれ、丸みを帯びたエリアには言語が書かれている。マンガなんて読むのは久々だが、改めて見るとずいぶん独特な形式だ。

 僕は感心しながら、ページをめくってそれらしいシーンを見つける。


「よし。0号、来て。このポーズから」


 僕は0号にポーズを指示する。両手でハートを作るポーズだ。心臓を抽象的なシンボルとして表したハートのマークは、古来から愛情の象徴として扱われてきた。彼氏彼女の関係とは切っても切れないものといえるだろう。やはりリファレンスから得られるものは大きい。

 しかしよく文脈を見てみると、このポーズをしている女の子はアイドルで、ファンに向けたもののようだ。もう少し実践的なシチュエーションのほうが合っている気がする。

 僕はページをめくって、他のサンプルを探す。


「今度は台詞せりふを言ってみよう。表情も再現してね。じゃ、これ」

「へっ、おもしれー女」


 しまった、これは男の子の台詞せりふだった。0号の表情も勇ましい感じである。


「ええと……これ、いってみようか」

「あなたのことがずっと好きだったんです」

「表情はいいね。声にもう少し感情を込めて」

「声に、感情、ですか?」


 0号はきょとんとした顔で首をかしげている。確かに顔の表情は見本があるものの、声についてはマンガからうかがい知ることはできない。


「そうだな……前後からして、これは主人公の女の子が、好きだった相手にとうとう告白するシーンだと推察されるね。要素としては好意をベースに、それを伝えたいという必死さ、これまでおもいを隠してきたフラストレーション、ようやく言えたという開放感もあるかな」

「好意、が難しいです」

「うーん、ならいったん性的興奮としておこうか。それならどう?」

「やってみます」


 0号はうなずくと、一呼吸置いてもう一度台詞せりふを再現する。


「あなたのことが、ずっと……好きだったんです!」


 体の揺らし方、視線のらし方、声の間の取り方、どれも自然だった。頰に赤みさえ差している。かなりいい感じだった。この調子で学習していけば、意外と早くとして完成するかもしれない。


「いいね。次はこれいってみよう」

「なんで、なんで私のおもいを信じてくれないんですか!? こんなに頭の中が、カケルのことでいっぱいなのに!」

「登場人物の名前は僕の名前に変換して」

「こんなに頭の中が、明さんのことでいっぱいなのに!」


 0号の頰は赤らみ、声は割れていた。薄い虹色の瞳が、訴えるように僕を見つめている。

 それを見て、僕は自分のなかにさっきと同じ感覚が湧いてくるのを感じた。

 体温がほんの少し上がる感覚。