よって、初恋は証明された。 -デルタとガンマの理学部ノート1-
第一章 薄紅が切り取る領域で ⑥
葉がすっかり落ちてしまう冬は、地面まで日の光が届く。この新芽の季節は、薄緑の葉が枝をまばらに飾って、空を見上げるとまるでステンドグラスを見ているような気分になる。
桜もまた、この落葉樹だ。明るい森に栄える、
「ねえ、
「たくさんカタクリが咲いてる。珍しいよね。この山、多いのかな」
まだ茶色の多い地面。ところどころに、紫がかった薄紅の花が群れている。細長い花びらが反り返って咲く様子は小さな
「ああ。カタクリは、ここみたいな落葉樹の林に多いんだ」
植物名を出されたものだから、自然と口が動いてしまった。
よくない兆候だ。急いで口を
「え、どうして?」
「ごめん……話すと長くなる。気にしないでくれ」
「え、聞きたい! 歩いてる間、話してよ」
むしろリクエストされてしまった。
まあ、沈黙よりはマシかもしれない。俺は少しだけ話すことにした。
「
「うん。料理で使ったことはあんまりないけど、ダイラタンシーの実験で三キロくらい使ったことがあるよ!」
…………?
なんだか奇抜な発言をされた気もする。
「ダイラタンシー?」
「あ、ごめんね、私おかしなこと言った! 気にしないで」
「……
「カタクリの根っこのデンプンが原料だったんだよね。だからカタクリ粉」
「そう。カタクリは
「八年……そんなに長生きなんだね、小さな花なのに」
「それがカタクリの生存戦略だ」
南向きの斜面。新芽の
俺の口はすでに止まらなくなっていた。
「太陽の光は、まだ木に葉の茂っていないこの時期にならまっすぐ地面に届く。カタクリは、暖かくなってきてから、緑が濃くなって地面が日陰になってしまうまでの、ほんの二、三ヶ月だけ光合成のために葉を広げるんだ」
「二、三ヶ月だけ? 確かに夏になると見ないけど……」
「そう。その間に作った栄養を地下茎に蓄える。木の葉が茂ってきて、地面に太陽の光が届かなくなると、カタクリは地下茎を残して枯れてしまう。そうやって長い間、少しずつ成長を重ねていく生き方だから、花が咲くまでに長い年月がかかる。夏から冬にかけて、長い冬眠をしてるみたいなものだ」
「なるほど、だから落葉樹の林なんだね」
「地面が
理解が早くて助かる。
カタクリの生存戦略は、冬に葉が落ちる森でしか成り立たないのだ。
「そう。春の一瞬しか地上に姿を現さないから、カタクリみたいな生き方をする植物はこんな呼び方をされることがある──」
「スプリング・エフェメラル!」
「なんだ、知ってたのか」
「あ、ええとね、詳しくは知らなかったんだけど……ほら、生物の教科書をぱらぱらとめくってるうちに、そういう言葉を見かけた気がして。なんだか
「すごい記憶力だ」
教科書販売があったのはつい最近だ。俺はまだどれも開いてすらいない。
スプリング・エフェメラル──春の
山道には細い丸太を渡した階段が続いている。歩く自分の呼吸が速くなっていることに気付き、しゃべりすぎてしまったと悟る。湧き出る言葉に身を任せるあまり、運動に必要な酸素の吸入すらおろそかになってしまったのだろう。そして気配りも、おろそかになっていた。
物知りぶって、知識をひけらかしてしまった。しかも、ほぼ初対面の女子相手に。元科学部で、
そんな相手に、俺は──
「……どうした?」
「ごめんね、私、知ったかぶりをしちゃって……この分野、あんまり詳しくないのに」
本当に申し訳なさそうな顔をしている。おかしなところを気にするものだ。
「知ったかぶりというのは、知らないことについて知っているふりをすることだろう。知っている用語を知っていると表明するのは何も間違ったことじゃない」
「そうかな……でも私、スプリング・エフェメラルなんて教科書で軽く流し読みしたくらいだし、カタクリの根っこだって、実際に見たことがあるわけじゃないし……」
ちょうど手近に折れた枝があったので、俺はそれを手に取る。
「そういうことなら、前半はもう解決したわけで、後半はこうやって解決できる」
近くの地面を吟味して、軟らかそうな土に生えているカタクリのそばに枝をずぶりと突き刺した。それを何度か繰り返し、カタクリを土ごと掘り起こす。丁寧に土を払っていくと、茎がわずかに太くなっただけに見える小さな白い
「これがカタクリの
手渡すと、
「小さい……」
「昔は
「それ、どうするの?」
「持って帰って、押し葉標本にでもしておこうかと思って」
押し葉標本とは、簡単に言えば、植物を押し花のように潰して乾燥させた標本だ。もうカタクリの標本は家にあるので、ここで捨ててしまってもいいのだが、
今日の目的は桜だった。俺たちはまた山道を歩き始める。
「
「……そうだけど」



