よって、初恋は証明された。 -デルタとガンマの理学部ノート1-
第一章 薄紅が切り取る領域で ⑦
「植物のことも勉強したの? カタクリの話、化学じゃなくて生物の分野だと思ったけど……すごく詳しかったよね。押し葉標本も化学部では作らなさそう」
「ああ……それはまあ。色々あって」
適当に誤魔化すと、
「植物、好きなんだね」
「好きというか……憧れるんだ」
「植物に?」
「そう。まっすぐだからな、植物は」
少しだけ首を
「植物はいつだって、自分らしい生き方をまっすぐに生きてる。そこに憧れるんだ」
「……迷いなく生きてるのって、確かにちょっと羨ましいかも」
「だよな」
もうかなり歩いただろうか。振り返れば、校舎の屋上がずっと下に見えた。
「せっかく登ったのにねー、マジ期待外れ」
「まあ仕方ない。この冬は風が強かったからな」
そんなことを言いながらすれ違う二人はどうやら上級生だ。派手な見た目で、距離感からしてカップルらしい。二人
カップルとすれ違ったことで、目指す桜を
山は静かだった。
「あ、あれじゃないかな!」
追いつくと、前方に桜の薄紅色が見えた。周囲には水彩で描いたような新緑が多いが、そこだけ油性の絵の具を垂らしたかのごとく鮮やかに桜の花が咲き乱れている。ちょうど満開だ。
近づくにつれ、ちゅんちゅんと楽しげな鳴き声が聞こえてくる。
よく見れば、桜の木にたくさんのスズメがとまっている。彼らは無邪気に花を根元から
「
「でもスズメさんたちって、
「そうか……?」
俺たちは桜の手前でなんとなく立ち止まった。周囲の木々にもたくさんのスズメたちが群れていた。
「私、スズメは神様がデザインした生き物だと思うんだよね」
突然、冗談でもなさそうな感じで、突飛なことを言ってきた。
「小さくて丸っこいフォルムに、真ん丸な目、それに何よりほっぺたの黒い斑点! きっと、神様がとんでもなく
俺が
「もちろん冗談だけど……時代はネオダーウィニズムだよね」
などと言いながら、
俺の中で渦巻いていた疑惑が確信に変わる。ネオダーウィニズムとは、かのダーウィンが提唱した自然
優等生なら先取りして勉強していてもおかしくはないだろうが、こんな話を日常会話の中でするりと繰り出してくるのであれば話は別だ。どうやらただの優等生ではないらしい。
大きな二本のヤマザクラは、山の斜面の谷側に、お互い寄り添うように立っていた。登山道はある程度まで桜に近づくと距離を保ったまま
しかし、曲がった先はすぐ行き止まりになっていた。
「うわ、大変……」
巨大な倒木だ。桜の近くでコナラの大木が根元から折れ、ずっしり道を塞ぐように横たわっている。根元の土の様子を見るに、倒れてからあまり
俺たちは立ち止まった。乗り越えなければ先へは進めないようだ。なんとかよじ登れそうではあったが、テープが巻かれているということは立ち入り禁止なのだろう。
「行き止まりか」
「でもほら! 桜はそこから見るみたいだよ」
台には立て札らしきものが付属していた。だが長い年月を経たせいだろう。表面を灰色の地衣類が覆っており、すっかり読めなくなっている。落ちていた枝を使ってべりべり剝がすとようやく文字が現れた。
草花を大切に! 登山道から外れず、桜はこの上から見てください♡
平成一六年度 卒業生一同
卒業制作らしい。そう思って見てみると確かに造りは粗かった。二〇年前の高校三年生が木材を切って組み上げたのだろう。材料は木目の調子から広葉樹のようで、長い年月を経ても傷まず残っている。おそらくクリの木だ。硬くてタンニンを多く含む材は湿った場所でも腐りにくく、建物の土台や線路の枕木などに利用されてきた。
「いい眺め! ここからだと、確かに桜が一番よく見えるのかも」
感動した様子の
「あれ?
このハート形の台はあからさまにカップル用だった。
「どうしたの?」
首を
設計者は策士に違いない。
できるだけ意識しないようにして桜を眺める。
登山道より少し桜へ近づけるように置かれた台だ。近すぎず、遠すぎず、満開になった二本のヤマザクラがちょうど視界を覆うように見えた。
思わず息が止まる。
世界すべてが春になったかのようだ。
「なるほど……きれいだ」
ソメイヨシノよりも濃い薄紅の花弁は、少しの風にも舞い上がって、俺たちへと降り注いでくる。



