営業課の美人同期とご飯を食べるだけの日常

営業課の美人同期とご飯を食べるだけの日常 ③

 寝る直前、おいしそうにご飯を食べる秋津のあの顔が浮かんだのは、誰にも言えないな。

 ご飯をひたすら食べ尽くす怪物の夢を見た気がする。正夢にならないといいんだが。


◆ ◇ ◆ ◇


 木曜日、それは希望にあふれた日である。週の後半も後半。もう週末という山頂が手に届きそうなほど近い平日である。そう、普段ならば。

 時刻は午前10時20分。嵐の前の静けさなんてとうの昔に過ぎ去り、今は台風の中である。具体的には、明日の大口案件二つの商談に向けて、大量の処理をさばいていた。これもギリギリになって方針転換した営業課の上層部が悪い。

 確かに方針転換した方が従前のものよりいい案ではある。やはり数年でこの会社を大きくした営業課の手腕は確かだ。

 しかしそれは外から見た時の話だ。中で処理を進める身にもなってくれ……。前の案で行くなら、この木金も日付が変わる前には帰れそうなくらいには準備していたが、全部水の泡だ。はかない。

 既に昨日の徹夜を乗り越えているため、目の下には真っ黒なくまが見て取れる。事務課(とは名ばかりの事務と企画担当)は総出で朝からフルスロットルである。

 いつもは元気のいい後輩ズも顔が死んでいる。そうか、修羅場は初めてか。ようこそこちらの世界へ。


「ちょっと外の空気吸ってきますわ」


 さすがに今日は出勤している女上司の相澤さんに声をかけて、席を立つ。


「いってらっしゃい。営業課のバカどもに会ったら一発殴っといて」


 いつもは穏やかな相澤さんも今日ばかりは荒れている。まぁたぶん俺と先輩の小峰さん、課長の相澤さんは今日も徹夜だからああもなるか。

 いとしき我が社の自動ドアをくぐって近くのコンビニへ向かう。世間はもうすぐ大型連休か、駅前のノボリを見て気がつく。今年はちょっと実家に顔を出すか。確か学生時代の同期たちも帰ってきているだろうし。

 コンビニの棚からコーヒーとエナジードリンク、それと後輩たちへのお土産をかっぱらうとレジでお会計する。

 暗雲立ちこめる事務部屋に帰ってくると、先輩の小峰さんが上司の相澤さんと話していた。


「こっちの案件、進め方とりんの上げ方この方式でいこうと思いますがいかがです?」

りんの回し方はこれでいいけど、進め方はもう一つの案件と抱き合わせの方がいいんじゃない? 途中までルート同じでしょ」

「あ〜確かに、一旦両方作ってまたお見せします」

「よろしく、頼りにしてるわよ」


 いつになく和やかに進んでいる。修羅場でもこうであってくれ。

 後輩ズは必死に書類をさばいているところだ。二人の前にプリンとシュークリームを置く。


「来週抜けたら楽になるから耐えような」

「「ばい゙……」」


 ゾンビのような声で返事をした二人、目の前の甘味に気を取られたのは一瞬、すぐに書類をさばき始めた。こりゃ末期だな。早く帰ってもらおう。

 パチパチとキーボードをたたく音、シュッぺラッと紙をめくる音が空間を支配する事務課。普段なら内線も鳴るが、営業課は明日に向けてのミーティング、経理もうちと同じで修羅場ってるのだろう、今日に限って電話は静かなもんだ。


「休憩!」


 上司の相澤さんが鶴の一声を上げる。言葉になっているのかいないのかわからないうめき声を出しながら、先輩の小峰さんが机につっ伏す。


「二人とも、一旦休もうか。お昼でも食べに行こう」


 目の死んだ子犬二匹を連れてエレベーターへ向かう。外に連れ出さないと休み時間まで仕事しそうだもんな、この後輩ズ。

 先週よりも暖かくなった大通りを抜けて、一本中の路地に入る。

 普段一人で昼食をとりたい時に訪れる小さな和食屋の暖簾のれんをくぐる。


「あら鹿見ちゃん、いらっしゃい」


 女将おかみさんの穏やかな声に迎えられて、店に入る。ここはこぢんまりした個人経営の和食居酒屋である。

 本来は夕方から開いているが、昼からランチをやっている場合もある。

 女将おかみさんいわく「仕込みのついで」らしい。開いている日も不定期なため、隠れ家的ランチスポットとしてひそかに人気を誇っている。

 四人がけのテーブルに着くと、後輩たちにメニューを見せる。


「鹿見先輩はいつも外で食べてらっしゃいますが、こういう所に来ていたんですね……!」


 事務部屋にいた時より幾分目に光が戻った、後輩のはるさんが話しかけてくる。周りを見回してポニーテールが揺れている。


「そうそう、ここはお昼から営業してるの不定期だから今日は運が良かった」

「そんな秘密のお店、僕たちに教えて大丈夫なんですか?」


 元気を取り戻してきたすず君が心配そうに口を開く。大学ではしっかりスポーツをやっていたらしい彼は実直で真面目、たまにミスはするけどカラッとした性格で好ましい。


「二人とも働きすぎで潰れそうだったからね。いいお店紹介するのも先輩の務めってやつよ」


 ぱぁあと顔を明るくした後輩ズはメニューを食い入るように見る。写真のない文字だけのメニューは想像で補完されるからか、おなかいていればいているほどしそうに感じる。

 俺はサバのていしよくにしようかと考えていると、カラカラという音とともに扉が開き、一人の客が入ってくる。


「あら! いらっしゃいひよりちゃん!」

女将おかみさん〜お久しぶりです! 今日は残業になりそうなのでお昼にお邪魔します。開いててよかった」

「げ」


 みのある、というか最近毎日聞いている声を耳にして悪態をつく。このタイミングは無いでしょうに。


「「秋津さん! こんにちは!」」


 顔をしかめた俺を見てげんそうな顔をすると、後輩ズたちが挨拶する。


「こんにちは。あなたたちも来てたのね」


 こいつ、社内で知らない人はいないどころかえらい人気なもので後輩たちからも憧れのまなしを向けられている。


「せっかくだしご一緒していいかしら?」

「「ぜひ!」」


 さっきから声がよくそろうなぁと詮無きことを思っていると、秋津まで同席することになってしまった。


「ほら、そこの顔の死んだ鹿見くんも」

「俺課長から営業課の人間見つけたら殴っていいって許可もらってんだよな。秋津さん」

「物騒なこと言わないの。あなたどうするの、サバの?」

「エスパーかよ。頼もうとしてるやつ当てるのやめてくれ、こわいわ」

「これが営業課の力よ」


 俺たちのやり取りを見て後輩ズがぽかんとしている。あ、やべ、疲れてるからか素でこいつと接してしまっていた。


「俺たち同期なんだよ、実は」

「そうなんですね……! 普段からお話されるんですか?」

「いや、しないな。研修とかで会う時くらいだよ」


 ノリノリで要らんこと言おうとしている秋津の足を自分の足で小突く。

 高校の話はするなよ。絶対面倒くさいことになるんだから。

 そうこうしているうちに俺の前にはサバのていしよくが、鈴谷君の前にはカツ丼、春海さんはを頼んだようだ。

 秋津はといえばひややつこに切り干し大根、唐揚げにだし巻き玉子、の揚げ浸しだ。こいつ一人だけ御膳を頼んでやがる……。

 全員で手を合わせて食べ始める。食事中の話題はといえばやはり明日の商談。店に俺たちしかいないのもあり、話に花が咲く。


「明日の案件、取れそうでしょうか……?」


 入社二年目でも今回の案件は雰囲気が異なると感じとれるのか、春海さんが心配そうに聞く。


「任せなさい、絶対に取ってくるわ」


 会話を聞いている鈴谷君は今年度の数字が安泰なことにほっとした顔をしたかと思えば、明日以降の処理に思いをせて遠い目をしている。