銀河放浪ふたり旅 ep.1 宇宙監獄の元囚人と看守、滅亡した地球を離れ星の彼方を目指します

第一話:別に僕はピテカントロプスじゃない ③

「マスター・クラウチが生存できる期間であれば、火星軌道を超えるまでは向かえると判断します」


 ぼんやりと質問しながら、自分の心と向き合う。

 残りの日数を、何も考えずにここで過ごすという方法もあるのだ。だが、それはそれで絶妙にそそられない選択肢だった。

 ここに残るか、地上に戻るか。口をついて出たのは、そのどちらも選ばないもの。

 何となく理解する。カイトにとって、ここで過ごす日々は命を無駄に消費する行為ではなかったのだ。何だかんだと言って、心のどこかでは地上に戻った後の日々が存在するものだと感じていた。

 自分の想像していた地上が。そこで新たな人生を始める未来が取り上げられた。戻ることに前向きになれない理由は、きっとそこにある。


「火星入植を目的とした船は、火星軌道までは向かったんだよね?」

「イエス。今から八十六年前に、火星への降下に失敗。降下準備の最中に何らかのアクシデントがあったようです。乗組員は全滅したと記録に残っています」


 別惑星を対象とした宇宙開発への意思が世界的にくじけたのもこの頃だと聞いている。あと二十年もてば再び宇宙開発への意欲を取り戻すのではないか、などという社説を地上にいた頃目にした覚えもあるが、残念ながらそんな日は最後まで来なかった。精々が月にステーションが出来た程度。それも結局は権力者と金持ちの別荘地のひとつとして終わってしまった。

 とはいえ。火星軌道まで到達した前例はある。

 馬鹿げた選択かもしれないが、これはおそらく今の文明を生きる人類としては最後の旅路になる。出来る限り遠くを目指したい。

 元刑務官殿からきゅるきゅると音がする。どうやらあちらもあれこれ計算しているようだ。


「無理をしたらどこまで行ける? 火星軌道っていうのは僕の安全に考慮した上での話だよね」

「……マスター・クラウチの安全を考慮せず、周囲から改造のための資材を集め、可能な限りの加速を行ったとして。およそ半年程度で木星軌道に到達できるかと」

「オーケー。じゃあ、それで行こう」


 だろうか。

 何となく口にした瞬間から、カイトの頭からは他の選択肢が抜け落ちていた。

 行くのだ。彼方かなたへ。命ある限り、遠くへ。


「確認します。地上への帰還は希望されないのですね? まだ状態を調べてもいませんが」

「僕は地上への帰還を希望しない。地上がまだ人の住める環境だったとしても、もう住めない環境だったとしても、僕は旅立つことを選ぶよ」

「分かりました。それではマスター・クラウチの選択を尊重し、当機は木星軌道への到達を目指すこととします」


 木星軌道に到達したからといって、生きながらえることが出来るわけでもない。

 自分が彼方かなたへ向かったことを知る者もいない。自分が宇宙に追放されたことを覚えている者だって、地上に残っているかどうか。

 かなり無理筋の旅路になる。小惑星の激突でもあれば道半ばに死ぬかもしれない。

 結局のところ、これは死に方の選択に過ぎない。

 残って死ぬか、戻って死ぬか、行って死ぬか。

 不毛な選択だが、カイトは不思議と高揚していた。

 自分の意思で選んだのだ。自分自身の行く先を。


「やあ、楽しくなってきた」


 見回せる程度の狭い世界でいま、カイト・クラウチは誰よりも自由だった。


***


 出発までは数日を要した。

 加速のための燃料調達や、申し訳程度の船体の強化を元刑務官殿が施していたからだ。

 地球の周辺には、それなりに燃料の搭載された衛星などが残っていたらしい。誰の管理下でもなくなったそれらに取りつき、解体し、機体を増築する。

 木星軌道までの距離はおよそ六億キロ。日速四百万キロという速度で進む航海だと元刑務官は説明してくれた。何かに激突すれば終わり。故障すれば終わり。それ以外に何かのアクシデントに出遭えば終わり。木星軌道までたどり着く可能性より、途中で死ぬ可能性の方がはるかに高い。

 地球から離れる準備が出来た頃には、監獄はそれなりの宇宙船らしい体裁を整えたらしい。

 らしい、というのはカイトがそれを見ることが出来なかったからだ。

 元が監獄であるからか、船外作業用の宇宙服なんてものは用意されていない。一応監獄が破損した時用の生命維持スーツはあるが、それも気休めに過ぎない。

 そして、増築されたのはあくまで外装であり、当たり前だが内装はこれっぽっちも充実してはいないのだ。

 窓の外が遮られなかったのだけは、褒めてもいいと思った。


「さて、それではマスター・クラウチ。この船に名前をつけてください」

「名前? 名前か……」


 予想外のミッションだ。出発前に言うくらいなら、もっと前から言っておいて欲しかった。

 何にしようかと悩んでいると、元刑務官殿は追加でミッションを課してくる。


「ついでに私の名前も設定していただけますか」

「え?」

「もう刑務官ではないと言っているのに、いつまでも刑務官殿刑務官殿と。船と私の名前を設定するまで、出発は出来ないと思ってください」

「ぐぬう」


 中々ユーモアがあるじゃあないか。

 カイトはその日、自分のネーミングセンスの無さと生まれて初めて向き合うことになるのだった。


***


 不満そうな雰囲気というのは不思議と伝わってくるものだ。

 それが表情を持たない鋼の球体であっても。

 カイトはそんな意味のない知見を得つつ、相手の反応を待つ。


「マスター・クラウチ。これは私に対する皮肉ですか。それとも本気でこの名前をつけようと考えたのですか」

「い、一応本気……だけれども」

「『情動』ですか。あくまで機械知性である私にその名前をつけると」

「あ、そっちなんだ。船の名前が気に入らないのかとばかり」

「何を言いますか。そちらは実にいネーミングでしょう。目的を端的に表現し、この船名を見た誰もが意図を理解できる。マスター・クラウチのネーミングセンスを評価したところですのに。ですが、それと私の名前の落差はどういうことかと」

「えー」


 何というか、予想外だ。

 むしろ船の名前の方が馬鹿にしていると怒られると思っていたのに。

 ともあれ、気に入らないというのであれば仕方ない。


「んじゃ、新しい名前を考え直すことにするよ」

「え?」

「ん?」

「名前というのは、命名された側がそれを拒否する権限がないと聞いておりますが」

「いや、別に気に入らないなら考え直すよ?」


 気に入らないなら、考え直せば良いだけのことだ。

 だが、それはそれで気に入らないのか、きゅるきゅると音を立てる。


「マスター・クラウチは私の命名に特別ネガティブな意図があったわけではないのですね?」

「それはもちろん。これまでの感謝と君のイメージから必死に考え出した名前だよ」

「……ならばこちらの命名を受け入れることにします」

「え?」

「次の名前が、これよりもいものになるとは予測できませんので」


 否定できない。

 ともあれ、元刑務官殿は新しい名前を受け入れてくれたようだ。満足したわけではないようだが、これ以上蒸し返す必要もないだろう。きっとお互いの精神衛生にも良くない。

 名前が決まった以上、出発までそれほど時間がない。ついでにカイトも自分の要望を伝えることにした。


「あ、そうそう。僕のことは、これからは名前で呼んで欲しいんだ」

「おや、です?」

「地上が壊滅したのに、今更みようを使う必要もないでしょ。僕はどこの何者でもない一人のカイトとして出発したいね」

「了解しました。では以後、マスター・カイトとお呼びします」

「ありがとう」


 ぐん、と機体の姿勢が変わった。

 窓の外を見るとよく分かる。地球の姿が見えなくなっていた。

 中央の椅子に座る。ベルトを締めて、背中をしっかりと預け。


「マスター・カイト。それでは『グッバイアース』号、出航します」

「頼むよ、『エモーション』」


 実に機械的なカウントダウンを聞きながら。