銀河放浪ふたり旅 ep.1 宇宙監獄の元囚人と看守、滅亡した地球を離れ星の彼方を目指します

第一話:別に僕はピテカントロプスじゃない ④

 カイトは自分の命が地球からどれだけ離れたところまで保つのか、不思議なほどに高揚していた。心配や不安ではない。楽しみなのだ。

 出来れば誰も辿たどいていないところまで、行ってみたいものだと。

 誰も評価しない。誰も批判しない。誰も知らない。

 実に自己満足に満ちた、人類最後の死出の旅。


「出発」


 それがまさか、最後の旅にならないなんて思わなかった。


***


「マスター・カイト。本機は先ほど木星の軌道を通過しました」

「了解」

「おめでとうございます。マスター・カイトは人類史上初めて、木星軌道を超えた民間人として記録されました」

「ありがとう。低くない確率で、最初で最後になるんじゃないかな」


 それほど大きくない鉄のかんおけの中で、カイトはエモーションからの報告にぼんやりと返した。

 目は手元のタブレットに注がれている。日課であるトレーニングと食事を終えたあとは、趣味の読書にたんできするのが彼の流儀だ。


「エモーション。次は阿修羅鰻アスライイル先生の『ニューウェイブ』を出してくれるかい」

「またですか? 私のメモリには古今東西の著作が保存されています。西暦年間の作品ばかり……何もそんな古典ばかり読まなくてもいいじゃないですか」

「名作は何度読んでもいいものさ。阿修羅鰻アスライイル先生の作品群も、テリー8先生の『ロスト・エド』も何度読んでも新鮮な感動があるよ」


 エモーションは特に反応しなかった。この話はこれまでにも何度かしているから、お互いに今更なのだ。


「それで、エモーション?」

「はい?」

「食料と水と酸素の残りはどれくらいかな」

「申し上げにくいのですが、食料と水の残存量はマスター・カイトの消費量から考えますと四十日分程度です。消費量を減らして延命の可能性を探りますか?」

「いや、必要ないよ。酸素は?」

「循環機能は正常に動いています。不慮のアクシデントがなければ四十日以上は保つでしょう」

「そっか」


 欠伸あくびをひとつ。

 最後に見た地球は、色あせつつあった。宇宙へと上ってきた時に見たカラフルな色彩が徐々に赤と茶色に浸食されていたのだ。滅亡したという説明を額面通りに理解出来てしまう、そんな変貌。

 片道切符の宇宙旅行も、あと一ヶ月ほどで強制的に終わりを迎える。


「まあ、当面の目標は達成できたから、悔いがないといえばないのかな。僕が死んだら、アースリングの標本として──うおっと!?」


 突如全身にかかる、すさまじい衝撃。エモーションと一緒に壁面に激突する。痛い。


「何ごとだい!?」

「小惑星の激突です! 現在当機は中規模の破損を受けています。姿勢制御を最優先に行います、動かないでください!」

「そうか。僕の人生のさいは木星軌道上で宇宙のくずってわけだね。ここまでツイてたツケがとうとう取り立てられるってことかな!」


 諦めたはずの命だった。それでもか、不思議な高揚感がある。回転が止まったところで、カイトは実に久々に外部カメラを起動した。人生のさい辿たどいた場所の景色を目に焼き付けようと思ったところで。


「……何だアレ」


 モニターに映った光景に思わず悲鳴を上げた。


「エモーション!」

「何でしょう!? 今、忙しいのですが!」

「外部カメラの向こうにある構造物について、僕は何の説明も受けていないんだけど」


 しかも、船はどうやらその構造物に近づいているように見える。

 巨大な構造物だ。この距離からは全貌が確認できない。小さな惑星ほどだろうか。

 あちらこちらから漏れている光は、宇宙から見えた夜の地球の光にも似て。

 カイトは自分で思っていた以上に強く郷愁を覚えた。


「何のことです? センサーは何の異状も示していませんが」

「ということはこれは幻覚かな? 死にかけの時にはいろんな幻覚を見るって言うしさ! このモニターの向こうに見えているコレは、僕の脳が作り出した錯覚というわけだ!」


 深層心理が生み出した、帰る場所の幻覚。感じた郷愁など、思い当たる節がありすぎた。エモーションの中から彼女にしては珍しく回路の動く音がする。

 カイトはエモーションからメンタルに対する強い警告が出るのを覚悟した。

 が。


「驚きました。確かにメインカメラが巨大構造物を映しています。あの大きさでこちらのセンサーを誤魔化しているのか、あるいはセンサー類の不調でしょうか?」

「なんだって?」


 エモーションの電子音声が、混乱している色を帯びる。

 彼女の内部から聞こえてくるキュルキュルという音は、彼女なりに目の前の現実を処理しようとしている音だろう。

 カイトは半ば楽しくなってきてしまった。


「これも民間人では初ってことでいいのかなあ、エモーション!?」


 収監されてから一度も切っていない髪は、腰まで伸びている。無意識に手でそれを束ねながら、思わず声を荒らげた。


「生きたまま踊り食いとか、卵を産み付けられるとかは勘弁願いたいんだけどね!」

「古典ムービーの見すぎです。マスター・カイト」


 まだ処理途中のはずのエモーションが、切れ味鈍く答えた。


「出来れば人生さいの選択は、こんな難易度の高いものにしたくなかったんだけどねえ!」


 死ぬか生きるか、異星人の虜囚か。果たしてどれを選ぶのがアースリング的に正解なのか、カイトの頭脳はちっとも働いてくれなかった。