思わず尋ねると彼女はきょとんとした顔で固まった後、自身の胸元を指さした。
「私は、カリナ」
「それは聞いたよ」
「じゃあ、あなたは何者?」
「…………」
言葉に詰まった。
さきほどの彼女の反応もわかる気がする。自分の名前は教えた。それ以上、他に言うことが思い浮かばない。
だって僕は、まだ何者にもなれていないのだから。
答えあぐねる僕を見かねて、彼女は質問を変えてくれた。
「どうして夜にこんなことしてるの? 普通、夜はみんな寝るものでしょ」
昼間じゃ怒られるから、なにもしないと不安で眠れないから。理由は色々と思い浮かぶが彼女が知りたいのは、そういうことではない気がした。
しばし黙考し、僕はゆっくり口を開く。
「普通じゃ僕がなりたいものになれないから、かな?」
やはりというか、カリナは首を傾げてしまった。
彼女に伝わるように、僕は胸の内にある気持ちの断片を拾い集めてどうにか言葉にする。
「強くなりたいんだ。姉さんの弟だなんて呼ばれたくない。意地っていうのかな……こんな僕だって、男だから」
上手く伝わっただろうか。おそるおそるカリナの表情を窺うと、彼女は納得したのかしていないのか判別のつかない顔で僕を指さす。
「男……こんなリュートも、男の子だものね」
「繰り返さないで。恥ずかしい」
「じゃあ聞かせてよ」
「なにを?」
問うとカリナは「うーん」と困ったように小首を傾げ、ぽつりと呟く。
「リュートが男の子かどうか?」
「男だよ」
即座に言い返すと、綺麗に整っていた彼女の顔にクスリと笑みが零れた。
からかわれたのかな……けど、不思議と悪い気はしなかった。
ちょこんと芝生に腰を下ろしたカリナが僕を見上げる。
「さっきの、リュートが強くなりたい理由を教えて」
僕を見つめる彼女の瞳は純粋そのものだ。
「うーん、上手く伝えられるかな」
そっと隣に僕も腰を下ろした。
柔らかい芝生の先がちくちくと手のひらに刺さる。
優しかった姉さんのことを思い浮かべながら、僕はゆっくり言葉を紡いだ。
「僕には姉さんがいてね。一人で星屑獣を倒せるくらい、とても強い人だったんだ。みんなが英雄と呼ぶ、ヒナ・ロックハート。以前は第二特務隊の隊長をやっていたんだけど……」
「私が第二特務隊に入ったときには、隊長はもうギニアスだったわ」
「姉さんが隊長だったのは五年も前のことだからね」
口にして、あれからもう五年も経ったのだと実感する。
どんよりと胸の内が重くなる僕にカリナは言う。
「名前は知ってるわ。星浮島を守るために自らを犠牲に星屑獣と一緒に地上に落ちた人」
「そう。表向きは、そうなってるよね」
「……違うの?」
問われた僕は小さく息を吸い込み、きつく拳を握り締めた。
「本当はあの日、地上に落っこちるはずだったのは僕なんだ」
あれから五年も経ったのに、あの日の後悔は微塵も薄れていなかった。
でも、それでいいと思う。
姉さんがしたことを僕だけは絶対に忘れちゃいけない。
五年前の僕が抱いた決意は、今も変わらず僕を突き動かし続けている。
「だからなんて言うか、姉さんの代わりに生きている僕は、姉さん以上の存在にならなきゃいけないんだ。それが、僕が強くなりたい理由」
星輝剣の使い手の中でも群を抜いて姉さんは強かった。たった一人でも星屑獣を倒した姉さん以上の存在になるにはどうすればいいか。
たどり着いた僕の答えをカリナに告げる。
「僕の夢はさ、いつか地上の星屑獣を全部倒して、地上を人の住める場所にしたいんだ」
「地上の星屑獣を全部……」
勢いのまま理想を語る僕に、カリナは目を丸くしていた。
たぶん呆れているんだと思う。呆れられても僕は気にも留めない。この理想を曲げるつもりはないのだから。かつての姉さんのように胸を張っていればいいんだ。
ぱちぱちと瞬きを繰り返していたカリナは、ふと穏やかな表情を浮かべて言った。
「素敵な夢ね」
「え?」
聞き間違いかと思った。
だって地上は星屑獣が蔓延っていて、星輝剣を造った地上の人々でさえ空に逃げるしかなくて、地上を取り戻すなんてできるわけがない、とみんなが口を揃えて言う。今までさんざんそうやって馬鹿にされてきた。
「リュートが地上を人の住める場所にするか、私が一番輝く星になるか、競争ね」
けれど僕を見るカリナの瞳に嘲りや侮蔑の色は一切見られず、僕は彼女の顔をまじまじ見つめ返してしまう。
「笑わないの?」
「どうして?」
不思議そうに首を傾げる彼女に、僕は言う。
「だって普通なら姉さんを超えるなんて無理だって、地上を取り戻すなんて不可能だって、みんな笑うよ」
「そうなの? でも私はみんなじゃないから、よくわからない。リュートだって、みんなじゃないでしょ?」
「そりゃそうだけど……」
戸惑う僕に、カリナは優しく微笑んだ。
「大丈夫。みんなが寝ている夜も頑張るリュートは、みんなとは違う。それだけ強い想いがあるんだもの」
「まあ、想いだけなら誰にも負けないけど……」
「強い想いは、魂の輝きの強さ。力になるから。だから、大丈夫」
僕はみんなの英雄になった姉さんを超える存在になりたい。
みんながバカにするその想いを、カリナだけはちゃんと聞いてくれた。彼女の優しさから応援してくれただけかもしれない。それでも応援してくれたことが、嬉しかった。
「そっか。じゃあもっと頑張ろうかな」
そばに置いていた星輝剣を摑み、僕は勢いよく立ち上がる。
同調の感覚を忘れていたらどうしようかと思ったけど、星輝剣はちゃんと光ってくれた。
見上げた空にはいくつもの星が輝いている。あのすべてが星屑獣だとしても、不安や迷いはない。握った星輝剣は淡い光を纏っていて、いつもより身体が軽かった。
なんだか今なら、あの星空すら斬れそうだった。
☆ ☆ ☆
十数分前。