嫌悪感を剝き出しにして荒士が罵倒の言葉を吐き捨てる。
「神々の統治で、一般人が一体何の不利益を被ったというんだ? 神々は人間の日常生活に関与しない。司法も行政も経済も、人間の手に委ねられている。凶悪犯罪者に天罰すら下さない」
それが気に入らない人もいるんじゃない? と陽湖は思ったが、口には出さなかった。独立派に対する嫌悪感は、彼女も荒士と同じだった。
「それに神々は、戦争や大災害から人々を守っている。俺たち日本人はそのことを良く知っているだろうに。七年前の東海大地震で町が津波に吞まれなかったのは、代行局が展開してくれたエネルギーシールドの御蔭じゃないか。人間にはどうしようもない自然災害だけじゃない。人間の愚かしさが引き起こす戦争も結局人間だけでは止められず、東欧でも中東でも発生と同時に代行局が鎮圧した。独立派は一体何が気に食わないんだ」
「支配されているのが気に入らないんじゃない? 本当の理由は知らないけど」
「……ところで陽湖。今日は入学前に家族団欒の予定だったんじゃなかったか? 隆通さんも分からず屋の相手なんか、弁護士や警察に任せておけば良いだろうに」
陽湖の冷めた口調で自分がすっかり熱くなっていたことに気付いて、荒士は少し恥ずかしそうに話題を変えた。
陽湖も荒士と同じく、アカデミーに入学することになっている。
アカデミーは「神々の戦士」の候補者を教育する一種の軍事機関。普通の軍人向け教育機関ほど規律は厳しくないが、それでも自宅から通ったり自由に帰宅したりはできない。
アカデミーに入学する新入生は入学式の直前に身内でその栄誉を盛大に祝うのが、日本だけでなく世界中で見られる光景だった。
「パパは良いのよ。どうせ、しょっちゅう顔を見に来るんだろうし」
確かに、代行局と太い取引パイプを持つ隆通はアカデミーに出入りする機会も多い。
「だから今日は、ママとお祖父ちゃんの家でパーティをすることになったんだ」
「そうか」
「……荒士君も来る?」
「この後、師匠のお宅にはお邪魔するつもりだった。だがそういうことなら、ご挨拶だけで失礼させていただく」
「柄にもなく遠慮してるの?」
「柄にもなくって……失礼なヤツだな。ご家族水入らずに割り込む程、俺の面の皮は厚くないんだよ。それとも、何か? 俺に来て欲しかったのか?」
「はっ? そんなわけないでしょ。礼儀として誘っただけよ」
荒士も陽湖も、それ以上この話題を深掘りしなかった。
何となく黙り込んだまま、肩を並べて二人は歩き出す。行き先は同じ、陽湖の祖父の家。
別々に行く(帰る)のも不自然だと二人とも考えたのだろう。荒士は陽湖の歩調に合わせて歩く速度を落とし、陽湖は荒士と付かず離れずの距離を保った。
良い雰囲気だった。
ただ誰かにそう言われたなら、二人はすぐに否定しただろう。
慌てて──ではなく、笑いながら。
照れ臭そうに──ではなく、面倒臭そうに。
真っ赤になって──ではなく、白けた顔で。
二人は幼馴染みだが、恋人ではない。今も、昔も。
陽湖の地元からこの町まで、最短で約三時間。
一緒にいたのは長期休暇の間だけ。小学校を卒業した後は、年間の日数を合計しても一ヶ月に満たない。同じ「学校」に所属するのは今回のアカデミー入学が初めてだ。
会うたびに懐かしく、再会してすぐに気の置けない空気を取り戻す。それが荒士と陽湖の関係だった。
しかしその穏やかで心地の良い時間は、道半ばでいきなり断たれた。
突如、緊迫した気配が二人を包む。
夕暮れ時の優しい風が淀み、鳥肌を誘う冷え冷えとした空気に変わる。晴れていた夕焼け空からいきなり光が失われ、今にも雨が降り出しそうな暗雲が頭上を覆っていた。
「荒士君、雨が降りそうだよ。走ろう」
陽湖の言葉は、本心ではない。この異常な変化が単なる天候の急変ではないと、本当は彼女にも分かっていた。
陽湖の提案とは逆に、荒士は彼女を背中にかばうようにして足を止めた。
「──誰だ!?」
鋭い誰何が荒士の口から放たれる。
十六歳とは思えない、気迫のこもった一喝。
とはいえ、虚勢混じりだったことは本人にも否定できないだろう。
「──大したものだ。我が神の目に留まるだけのことはある」
薄闇の向こう側から、人影が歩み出た。まるで舞台の演出に使われる濃いスモークを抜け出てきたように。
陽湖がビクッと震える。それが荒士の背中に伝わってきた。
荒士は口の中が緊張でカラカラに乾いていた。
背中には逆に、冷や汗が滲み出している。先程までのランニングでウェアがまだ湿っているのを、荒士は心の片隅でラッキーだと感じていた。──御蔭でビビっている格好の悪い自分を陽湖に覚られずに済む。
「その姿……」
荒士の正面で立ち止まった青年は、鼻まで完全に覆う猛禽のようなフェイスガード付きの西洋式の兜とスマートなフルプレートアーマーを身に纏っていた。色は黒銀。羽根のような模様が刻まれた追加装甲が両肩と肩甲骨を覆うように回り込んでいる。
一見金属製だが、鏡のように光を反射するのではなく自ら微かな光を放っているように見える不思議な材質だった。
「そして、神? アンタ、邪神に寝返った戦士か!?」
アカデミー入学者には神鎧と従神戦士について事前に学んでおくよう、教材が貸与される。
だから分かった。青年の鎧は、明らかに地球人類の技術による物ではない。だが神々の戦士は自分たちが仕える相手のことを「神々」と複数形で呼ぶ。「神」と単数形で呼ぶことはない。
荒士の叫びに、青年の口角が苦笑の形に上がった。
「無知故のセリフを咎めるつもりは無い。だが二度と間違えないでくれ。確かに俺は裏切り者だが、邪神の兵士ではなく善神の使徒だ」
気圧されたのか、荒士の表情が歪む。
「……その使徒様が、一体俺に何の用だ」
だが、荒士の声は震えていなかった。
「神様が目を付けたとか言っていたから、用があるのは俺なんだろう?」
「話が早いな。頭の回転が速いガキは嫌いじゃないぞ」
「そりゃどーも。人をガキ扱いする程、兄さんも年食ってないだろ」
邪神の使徒は先程より柔らかな苦笑を浮かべた。
「まあな。まだおっさんと呼ばれる程の年ではない」
男はすぐに、兜の下で表情を改める。
「新島荒士。一緒に来てもらおう」
「俺の名前を知っているようだが、俺はアンタを何と呼べば良い?」
「仲間の間では『グリュプス』と呼ばれている」
「コールサインみたいなものか?」
「そうだが……」
意味があるのか疑わしい質問に、グリュプスと名乗った邪神の使徒が兜の下で訝しげに眉を顰める。