「こいつらは昔から抜け目が無い。その様子から察するに、陽湖、随分時間稼ぎを頑張ってくれたようだな?」
姉の問い掛けに、陽湖は小さく肩を竦めた。
「当たり前じゃない。じゃなかったら、さっさと私だけ逃げてるわよ」
「お前たちの小芝居を見物できなくて残念だよ」
薄情にも聞こえる妹の答えに、名月は「ククッ」と喉の奥で笑う。
グリュプスの兜の奥から、ギリッと奥歯を軋らせる音が漏れた。
それに誘われたように、名月がグリュプスに顔を向ける。
「ところでその声……。お前、鷲丞だな?」
「…………」
「お前の正体は古都鷲丞だろう。最終試験直前の訓練中に事故死したと聞いていたが、生きていたのか」
「……………………」
「真鶴は、知っているのか?」
グリュプス──鷲丞は、答えない。
「遮るものよ!」
答える代わりに、鷲丞はそう叫んだ。
彼がそのフレーズを言い終える前に、名月は立て続けに三本の矢を放っていた。
最初の一本は鷲丞の胸部装甲を直撃し彼をよろめかせたが、続く二本の光矢は鷲丞の左腕に突如出現した円形の大盾に阻まれた。
「斬り裂くものよ!」
その叫びと共に、今度は鷲丞の右手に刃渡り一メートルを超える、真っ直ぐな幅広の剣が現れる。
「振り薙ぐものよ!」
そう唱えたのは名月だ。
彼女の手の中で弓が光に変わり、次の瞬間、光は薙刀の形を取った。
盾を前に翳し、名月目掛けて突進する鷲丞。
名月はその突撃を、横や後ろに躱すのではなく、一歩前に踏み出すことで迎え撃つ。
薙刀の石突きが、真っ直ぐ、一度の傾きも無く垂直に盾を打つ。
鷲丞の突進が止まり、名月が突きの姿勢のまま後退った。
鷲丞が右足を踏み出し、盾の後ろから身体を曝け出し、剣を振りかぶる。
名月が左足を引き、それによって生じた旋回力を乗せて薙刀の刃を横薙ぎに走らせる。
剣と薙刀が激突する。
全くの互角。
すかさず鷲丞が右腕を引き絞り、名月が身体を軸に新たな回転を作り出す。
再現される激突。
またしても互角。
しかし、五合を数えたところで均衡が崩れる。
右斜め上空から撃ち込まれた光弾が、鷲丞の身体を跳ね飛ばした。
転倒し、すぐに起き上がる鷲丞。
翳した盾に次弾、第三弾が襲い掛かる。
名月の薙刀が、盾の下にのぞく鷲丞の胴へ打ち込まれた。
その斬撃を辛うじて剣の根元で受けて、鷲丞は弾き飛ばされるように跳躍する。
空中で、両肩の追加装甲から一対の翼が出現した。装甲と同じ黒銀の、翼の形に固定されたエネルギー。名月の背中にあったのが妖精の翅なら、今鷲丞に生じたのは天使の──あるいは堕天使の翼に似ている。
それは単に、形が似ているだけなのだろう。
羽ばたくのではなく広げたままの翼から微かな光を放ちながら、鷲丞が空へと舞い上がる。
「ナタリア!」
「引き受けました!」
空中から鷲丞を銃撃した従神戦士が、飛び去っていく鷲丞の追撃を開始した。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
邪神の戦士が去ったことで暗雲が消え去り──おそらく邪神が衛星軌道からの監視を遮っていたのだろう──、入れ替わりに戻ってきた心地よい夕暮れ時の風の中で、荒士は全身の力みを吐き出すように「フーッ」と大きく息をついた。
「どうした、荒士。緊張していたのか?」
薙刀を消した名月が、目敏く荒士の変化に気付き問い掛ける。
「そりゃ、緊張してましたよ。助けが来るとは思ってましたが、間に合うという確信はありませんでしたからね」
「成程な」
納得感を表情と声音で表現しながら、名月は右手の指先で喉元に触れた。
そこには虹色の微光を放つ宝石が──宝石らしき物が一粒はめ込まれたチョーカーが巻かれていた。
名月の全身が、宝石と同じ虹色の燐光に包まれる。
燐光が消えた後には、ノースリーブのシャツ、七分丈のパンツ、メッシュのパンプスという夏らしいファッションに身を包んだ名月が立っていた。
荒士の隣にいた陽湖が「靴まで変わるんだ」と感嘆の声を漏らす。それを聞いて荒士は、鎧の下に見えていた黒いボディスーツだけでなく脛と脹ら脛を守る部分鎧を兼ねたロングブーツまでもが、色もデザインも全くの別物へと変じているのに気付いた。
不思議と言うしかない。神々の超技術を荒士は改めて実感した。
「ところで、お姉ちゃん」
「んっ、何だ?」
「荒士君が邪神に狙われたのは、やっぱり一人目のF型適合男子だから?」
地球と神々の絶望的な技術格差に意識を囚われていた荒士は、陽湖が名月に向けた質問を聞いて我に返った。
自分のことだ。関心を持たずにはいられない。──否、無関心は許されない。
「間違いなく、それが理由だろうな」
陽湖と荒士に見詰められながら、名月はしっかりと頷いた。彼女の態度は、言葉以上に曖昧さとは無縁だった。
「何で邪神は荒士君のことを知ってたんだろうね? アカデミーの生徒の個人情報は守られてるんじゃなかったっけ?」
小首を傾げる妹に、名月は「分からない」というように頭を振った。
「荒士の場合はその特殊性を鑑みて、個人情報が特別厳重な管理下にあると聞いている。一体どうやって嗅ぎつけたのか、皆目見当が付かない」
「邪神も神……ということでしょうか?」
「そうだな……」
荒士の言葉に名月がため息を吐く。
「とにかく」
そしてすぐに、気を取り直した顔を荒士に向けた。
「ここに突っ立っていても仕方が無い。祖父さんの家に行こうか」
「うん、賛成」
陽湖が気持ちを切り替えた態度で荒士へと振り向いた。
「ほら、行くよ」
「……そうするか」
荒士は躊躇いがちに頷き、平野姉妹の後に続いた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
鷲丞は従神戦士ナタリアの銃撃を盾で防ぎながら、後ろ向きに飛ぶ格好でひたすら上昇していた。