「それでもわたしは小説をたくさん読んできてて、選考委員やってるようなバケモノ連中が賞をやっても良いかと思うくらいには、小説の体裁を整えられる。でもってそれ以上に、作品を客観視した上で、どういった読者がどんなふうに感じるかを予測するのが上手いと自負してる。書評家でもあるんだから」
作家、鵯華千夏としての二作目は出版されていない。
嘱望はされているだろうに、予定もいまのところないようだ。
代わりに現在注力している活動が、藤袴が入学前から知っていた理由でもある〝鵯華先生〟という名義での書評・読書系動画配信チャンネルなのだった。
鵯華が、近くで見ると思いがけないほどぱっつんぱっつんの胸を張る。
「ほかはともかく、その点だけは自信がある。わたしはあなたの編集者になれる──この言い方だと、ねちねちと口うるさく重箱の隅をつつくクソ野郎じみてるか……、格好良く表現すると、そう、あなたをディレクションできる」
もともと子役時代の終盤にはじめたものだったが、プロ作家デビューとともにチャンネル自体を作り直し、人気が急伸した。最近コミカライズし、アニメ化も時間の問題とされるライトノベル『月剣のベテルギウス』は、鵯華先生チャンネルで激推しされていなければメディアミックスには届かなかったと思うと、作品のファンである藤袴自身が語っていた。
最近は鵯華先生名義での仕事が多く、ネットメディアで書評の連載を持ったり、大手書店とコラボレーション企画をやったり、読書好きの芸能人と対談したり、あれこれやっているのだという。
「気晴らしではじめた鵯華先生の動画チャンネルも、文芸というマイナーなジャンルのなかでは影響力があるほうだし、やり方はいろいろ……、……空木、さっきからなんでそんな、おえー、みたいな顔してんの? ちゃんと聞いてる?」
「いや、ちゃんと聞いてるんだけど、……臭くて」
鵯華の隣で十何枚目かのウェットティッシュを取り出していた綾目が、あ、良くない、といった感じに眉をぴくりとさせる。
部室の隅、体育座りで落ち込む藤袴はびくんっとして、超・文芸部の顧問である橘仁志三十四歳だけは『人間失格』を読みながら、そうだよねえ、とにここにしていた。
鵯華はなにか言いたげだったが、目を潤ませた藤袴をちらりと見て、言葉を吞み込んだ。ひと呼吸置いて話を再開してくる。
「……書く内容によるけど、適切な新人賞に応募するのが第一選択だし、小説投稿サイトに新しく公開するのも有りだと考えてる。そっちはそっちでレッドオーシャンだけど、鵯華先生チャンネルで推しまくる前提ならば勝算はゼロじゃない。どうであれ、わたしは空木を在学中にプロデビューさせる自信がある」
「窓を全開にしてても、臭い……」
「デビュー後に次回作か続編を立て続けて出せる態勢作りも大切、……だけど短命な作家で終わらないための最優先事項は、エンターテインメントの技術をきちんと学ぶことだよ。わたしは、自分の小説を書く際には三幕構成を利用した。特にハリウッドで、観客の心を捉える合理的な技法とされているものよ。空木にあれを叩き込みたい」
「鵯華の制服が、とんこつと味噌と魚介出汁と鶏白湯と麻辣臭い……」
「……。作家はプロデビュー後こそが大変なんだけど、幸運にも空木は若い──わたしとひとつしかちがわない現役高校生だし、わたしとおなじで顔が良いから。作品そのものとはちがう部分での付加価値も高い。わたしも宣伝するし、なんなら顔出しで、チャンネル内で対談するのも──」
「顔が良くても、制服がゲロ臭いのはなぁ!」
「──あんたのお友達が! わたしの制服に! 各種ラーメンをブレンドしたゲロを引っかけたからでしょうがぁぁぁ!!」
超・文芸部は顧問の橘に了承をもらった上で、もともとあったごくふつうの文芸部を新生させた部であり、その活動内容は言わば〝空木が自分なりに長年やってきた創作活動そのまま〟である。
発足時のメンバーは部長の空木、副部長の綾目。一ヶ月後に藤袴が漫研と掛け持ちで入部して、合計三人。これはずっと変わっていなかった。排他的なわけではない。いつでも新入部員ウェルカムだが、だれも入ってくれないだけだ。
活動が悪目立ちすることも多いから。大人たちから注意されるのもしょっちゅうだと、校内のみんなが知っているから。
しかし空木は、自分たちの部を大変気に入っている。綾目は空木がやりたいと提案したことには基本的に反対しないし、藤袴だってぶつぶつ文句を言いながらも楽しんでくれている。空木の創作意欲も、超・文芸部をはじめてから向上した。
ディストピア国家で放送塔を乗っ取ってクラシックを流し、撃ち殺されるまでの心境をつづった『破滅国家にひびく破滅のうた』や、一風変わったオバケと一夜をすごすホラーコメディ『カップラーメンばばあのいない夜』など、活動内容を下敷きにした小説も、空木はよく書いてきた。
本日も、それらとおなじような活動だったのだ。
空木が春休みのあいだに思いつき、綾目たちと詳細を固めた企画だ。
このあたりの全ラーメン店をめぐる。
それぞれの感想を添えたラーメン店のMAPを作る。……もちろんただ食べるだけでは、空木好みの企画にはならない。
第二弾となる今日、昼前からの三時間で回ったラーメン店の数は、五軒だ。
本来とても美味しいはずのラーメン。それが満腹と飽き、さらに限界突破したがゆえの体調不良によって、だんだんと炭水化物と油の怪物のように思えていく様、現代の飽食と虚栄をノンフィクションにする企画なのだった。
先週末に第一弾をやっていたので、一軒目からすでに、全員がラーメンはもうしばらくはちょっと……という気分だった。そこからの各種ラーメンだ。空木も四軒目入店時にはかなり苦しくなっていたし、綾目でさえ五軒目で目の前に唐辛子も花椒も増し増しの麻辣味のラーメンが置かれたときには半泣きで冷や汗をかいていた。
車を出してくれた橘だけは、自分が食べたい二杯のみ食べていたが。
藤袴はほぼ死体と化していて、早速のレポートを書くために学校の駐車場から文芸部部室に向かうあいだ、空木が肩を貸す必要があった。
そして部室にたどり着くと鍵は開いていて、なかに鵯華がいたわけだ。
色っぽさを意識した妖しい笑みを浮かべ、机の上に腰かけて、脚を組んでいた。それを見た空木は先ほど鵯華が言ったように、あ、鵯華千夏だ、と口に出して、藤袴から手を離した。……息も絶え絶えだった藤袴は、椅子に座りたかったのだろう。机のほうに近づいて、途中でとうとう限界を迎え、ゲロを吐き、鵯華にも散った。