天才ひよどりばな先生の推しごと! ~アクティブすぎる文芸部で小生意気な後輩に俺の処女作が奪われそう~

第一章 焦がれ続けた超超超大ファンから ⑥


 当惑するひよどりばなに、たちばなは大人の余裕たっぷりの笑みを見せた。


「心配せずとも安泰だよ。なんせ僕の父親はこの学校の理事長で、僕は遅くに生まれたひとりっ子だ。溺愛されているからね」

「うわあ」


 ひよどりばながゴミを見る目を向けたので、あやが一応フォローした。


「その、なんだ、たちばな先生は多趣味でさまざまな道具を貸してくれるから、活動の上では頼りになることも多いんだ」

「そうだろうあやくん、言ってやってくれ。煩わしいときも多いが、うつくんが部長になってからの文芸部活動は、僕にとっても仕事のなかじゃ楽しいほうなんだよ」


 あやがうなずいた。


「それに学校側も無茶な部活動をけっこう見逃してくれるしな。……ひよどりばな、気持ちはよくわかる。親の威を借る三十代はみっともない。俺もたちばな先生のような大人になるくらいなら腹を切るし、理事長はこんな息子を抱えておいて、よくもまあ笑顔で校内を歩けるものだなとは思うんだが……」

「……あやくん?」


 たちばなせない様子で首をかしげた。

 うつひよどりばなへと続ける。


「要するに、昨日の今日でそこに座ってるのは早すぎるってこと。ふつうに考えれば、そうだな、始業式の翌々日かその次の日には入部届け書いてたろ?」

「う」


 とどめを刺す。


「俺、腹芸みたいなやり口は好きじゃないんだけどなぁ」


 ひよどりばなは気まずそうに、それでいて迷うようにうつむいた。

 風がふわりと吹き込んでくる。春の匂いがする。ゲロの臭いもだが。窓の外にアゲハチョウが飛んでいるのが一瞬見えた。ひよどりばなが、ささやく。


「わたしが、………………だからよ」


 小声すぎて、ほとんど聞き取れなかった。


「うん?」


 うつが首をひねり、ひよどりばなはついに覚悟を決めて顔をあげた。

 目は潤んでいる。頰は真っ赤だし、唇は震えていて緊張の極みだ。にもかかわらず、そのまなざしはうつの心を焼き貫いて、消えないしやくねつを刻んだ。うつは明確にどきりとさせられた。──なんだ? と戸惑うほどだった。

 去年の夏からずっと抱える胸の痛みが、べつのなにかに強く上書きされていくかのようだった。ひよどりばなが再び、今度は部室の外にまで響きそうな声で言った。


「わたしが、うつのファンだからよ!!」


 懸命さと強さ、まっすぐな情熱が──。

 その経歴などよりもよほど、ひよどりばながいったいどういう人間なのかをうつに実感させた。はじめて会うような人間どころではない。うつは自分の小説に対して、ここまで言ってくる人間が祖母のほかに存在しているなど考えたことすらなかった。

 予感はやはり正しかった。


うつが書く小説の、ファンなの……! 最初に読んだときからクリティカルヒットで、すごく好きだった! けど、エンタメとしては欠けすぎてて、わたし以外が読んでもたいていは楽しめないのがわかるから、もったいないんだよ。自己満足より大切なものはある! わたしならうつの小説をもっとエンタメとして磨ける自信がある……あぁもう、くそ! こんな直接言わせんな! わかったでしょ、わたしは真面目に──」


 うつひよどりばなをさえぎった。


ひよどりばなのその必死な感じを、原稿用紙何枚かでびっしりと詳細に描写したくなるな」

「──は、……はあっ!? けん売ってんの!?」

「ちがう。……ちがう、ちがう、ちがう! はは、うれしいんだよ、……俺はさ、このごろずっとスランプぎみだったんだ──どっかで、前よりもずいぶんと世界が錆びついた気がしてた。だから、ひよどりばなが言ってくれたことはありがたいよ。ひよどりばなの入部で、……いつ以来かな、こんなに面白く感じるのは!」


 ひよどりばなは時間が止まった顔をした。

 うつが本気で言っているのが充分に伝わったからだろう。ひよどりばなはそうっと目をそらし、むずがゆそうに頰をかいた。しかし堪えられないうれしさがにじみ出ている。ようやくスタート地点に立った、そんな表情になっているのが、うつにはまた楽しかった。

 その無防備な明け透けさが。


「……うつ、わかるよ。だれの反応もない創作を続けるのは孤独で、つまらないものだもの。わたしの言わんとすることを理解してくれて安心した。……でも、ふふ、ぐずぐずしてるヒマはないからね! プロの世界で、わたしとうつのすべてを燃やし尽くすには、人生まるごと使っても足りないんだから──!」


 うつは笑顔で首をかしげた。


「いやそういうのは完全無欠に興味ないんだけど」

「じゃあ、なんなのよ!?」


 ひよどりばなの悲鳴がまたしても響き渡ったのだった。



 学校の正門から駐車場を通ってテニスコートのあたりまで、しきを縁取るように並んだソメイヨシノはほぼ散っていて、時折、風が花びらを舞いあげる。

 窓から差し込むうららかなしのなか、本日はこれで解散というタイミングで、うつはふとひらめいた。


「そうだ。ひよどりばなの歓迎会として、このあとみんなでラーメンでも──」

「「「嫌だ」」」


 断った部員たちの表情も実にドキュメンタリー的で、まさにうつが今回のラーメン店めぐり企画でえがき出したいものであった。


3.


 うつひよどりばなにとっては、ゴールデンウィーク最終日が運命の日となる。



 ……その十三日前。放課後。

 ふたりきりの部室で、ひよどりばなが口を開く。


「そういえばうつさ、クラスの友達から聞いたんだけど」


 うつは4Bの鉛筆を動かしながら相づちを打った。


「なに?」

「わたしがうつに好きだと告白して振られた、といううわさが流れてるんだって。知ってた? 初耳? ね、この話を聞いてどう思った?」

ひよどりばなにも友達いるんだなぁ、と思ったよ」

「友達くらいいるわ! 絶対、うつよりはいっぱいいるわ! そうじゃなくて、こんな美少女を振ったと勘ちがいされて鼻高々かってこと! うつがいま彼女いないのはわかってるけど、好きな人はいる? その人にも一目置かれるんじゃないの?」

「っつーか、恋愛的な意味じゃ単に事実じゃないからさぁ。鼻高々もクソもないだろ。ひよどりばながよく言ってくる、意味のわからない……ええっと、なんだっけ、プロ……作家? エンター……テインメント? みたいな話では、ひよどりばなを振ってると言えるだろうけど」

「意味わかんないわけないでしょ! とつぜん一般名詞すら聞き覚えがないっぽい顔しないでくれる!? だいたい答えになってないよ。どうなの? 好きな子とか、……前に付き合ってた子とか、いないわけ?」


 うつは、脚を組んで椅子に座るひよどりばなをじっくり観察する。