天才ひよどりばな先生の推しごと! ~アクティブすぎる文芸部で小生意気な後輩に俺の処女作が奪われそう~

第一章 焦がれ続けた超超超大ファンから ⑦

 ひよどりばなが向けてくる、煮えたぎるまなざしを、うつなりに味わいたいと思ったからこそいまこの状況だ。うつはスケッチブックに描いたものの一部を消しゴムで消し、再び鉛筆を持ち直した。答える。


「いないよ。俺はこれまでも特に、だれとも付き合って──」

「へえええぇえ、ふぅぅぅううん。そうなんだぁ」

「……なんだよ。にやにやしすぎじゃねぇ?」

「いーえ、べっつにー? なんでもないですよー? たださぁ、あー、わっかるぅ、と思っただけー。うつってばデリカシーないもんねぇ? それでよくあんなれいな文章書けるなあという感じだもんねぇ? わかるわかる、あっははー、恋愛経験ないわけぇ? うわーたしかにモテなそうー」


 さすがに反論したくなった。


「自慢じゃないけど、告白されたことは何回かあるぞ。っつーか動くなよ。ほら。あとすこしで完成するから」

「へっえぇぇぇ? そりゃうつったら中身はちょっとアレでも容姿はいですからねぇ? 自慢じゃないならですかねぇー? 告白されて断った? ストイックな芸術少年気取りですかぁー? 女の子に対しても、わたしがうつに連日聞かせては無碍に扱われてる創作論みたいに、興味ないんですかぁー?」


 ……女子に、興味。

 ないわけは、ない。けれどこれまではもっと興味のある、やってみたいことが多すぎて、そんなことにまで手が回らなかったのだ。ただ、……いまは。

 いま、うつが最も興味のあることは──。


「──ひよどりばな、……のほうこそどうなんだよ。さぞかしモテてきただろ。少なくとも、マウント取れそうになってはしゃぐ程度には恋愛経験が──」


 がらり、と部室の引き戸が開けられた。

 たまたまどこかでいっしょになったのか、クラスの用事があると言っていたあやと、漫研に寄ると言っていたふじばかまが並んでいた。並ぶとあやの体格の良さがきわつ。

 ふじばかまうつに目を向け、短い声を漏らした。


「うげ」


 ひよどりばなが尋ねる。


「なに、ふじばかま


 他人の呼び方は、うつりがちなものだ。ひよどりばなはこの部でいちばん年下だが、うつがそう呼ぶし、本人たちも気にしないから、ふじばかまのこともあやのことも、すっかり呼び捨てで定着したらしかった。

 あやも口を開いた。


「気にするな、ひよどりばな。あとですぐにわかる。……うつ、おまえがデッサンをしているということは、今度は美術を題材にして書いてみたくなったのか?」

「ってか、たちばな先生はどこよ? パチスロ?」


 ふじばかまが教室を見回す。ひよどりばながうめいた。


「マジでそんな人なのね、ここの顧問……」


 うつは鉛筆画を最終調整する手を止めず、あやふじばかまの質問に返答した。


たちばな先生は、勤務時間内にはパチスロ行かないよ。失職のリスクのあるサボりとリスクのないサボりを、きちんと見分けられる男だ。単に、学年主任から、逃げられないタイミングで仕事を頼まれたみたい。で、俺は美術ネタを思いついたわけじゃない。なにかの参考にしようと思って描いてない」


 ひよどりばなのほうが反応した。


「え、そうなの? わたしもそうなんだろうなと思ってたのに。じゃあうつ、どうして急に、わたしの絵を描きたいと言い出したの?」

「そうしたいと思ったから。ただひよどりばなを描いてみたくなっただけだよ」


 ひよどりばなはどきりとしたようだった。

 あやが、お、というふうに目を丸くする。それも、さながら、しばらくつぼみをつけなかった植物の花が咲いているのにふと気づいたような、肯定的なものだ。


うつ、それって」


 信じがたい、といった否定的な声音でこぼしたのはふじばかまで、当のひよどりばなも期待と不安が混ざった、どきどきした感じの声を発した。


「わ、わた、……わたしを、いったいその、どんな理由で……」

「だってひよどりばなの表情は、なんていうかな、あざやかなグラデーションで、あれみたいじゃん。……油で汚染されて虹色になってる河川! ──よし」

「たとえが悪すぎんでしょ! ──できたの?」

「うん。完成。もういいよ」

「……あぁ、肩凝ったなー。さあ、出来はどうかなー」


 ひよどりばなは椅子から腰を浮かし、一度伸びをする。それから、急いでいませんよーっ、というぜいで歩いてきた。

 しかしその表情は気もそぞろだった。うつはすこし笑い、目の前まできたひよどりばなに鉛筆画を見せる。


「ほれ。どう?」

「これが、わたし──…………、…………くっそ下手じゃねーか! これをよくあんなくろうと面して描いたよね!?」


 ひよどりばなが思わずといった様子で、スケッチブックをすぱーん! とたたいた。うつにも出来の悪さの自覚はある。デッサンは狂っているし、顔の描き方は悪く言えば幼稚園児、良く言っても小学校低学年だろう。

 けれどもある程度の満足感はあった。


「あはは、ひよどりばなのそういう反応も楽しみの一部だったんだ」


 あやふじばかまがそれぞれ、しみじみと語った。


「俺が先ほど言った通り、すぐにわかったろう」

うつはけっこうなんでもできるほうだけど、絵心は壊滅的なんだよねぇ……。頭のなかで補正かかりすぎて見たままを描けないのかな?」

うつの脳内補正かかると、わたしの顔、こんなちんくしゃなの……?」


 ひよどりばなは不服さが顔に漏れ出すぎて、逆に、うつが描いた鉛筆画に似てきていた。うつひよどりばなのそんな横顔を見ながら考える。

 満足感──ある程度の。

 ついこのあいだまでは、それさえも得がたくなっていたのだ。ひよどりばながこの超・文芸部に入部してからの一週間ほどで、うつの日々はずいぶんマシになった。

 なのに、楽しさだけではなく引っかかりが芽生えていた。

 ……これだけでは、足りていない。

 むろん、プロ作家デビューを目指すための小説を書く、などというのは論外だ。そんなのはクソだ。断じて、ない。だが考えはまとまっていなくても、ある程度の、よりも先があるはずだ、というかつぼうじみた感覚があるのはたしかだった。

 ありていに言えば、うつひよどりばなという少女に抱いている感情を、自ら充分にはたんのうできていない。

 あるいは、目の前に未知の世界への扉があるにもかかわらず、それを押し開けられていないような──。



 ゴールデンウィーク最終日からさかのぼること、十一日。


「入部してから改めて、うつの小説を読み返してみたの。で、はい」


 ひよどりばなが、自分で表と文をプリントアウトしたとおぼしきコピー用紙を複数枚、手渡してくる。うつはそのとき、自宅から持ってきたタブレッドPCで、先日の限界突破ラーメン店めぐりの原稿をすいこうしていた。