藤袴がMAPを手描きし、綾目が注釈を入れてくれたデータもあるので、そのうちそちらと合わせて冊子として校内で配布する予定だ。空木はキーボードを叩く手を止め、コピー用紙を受け取った。
「鵯華、これなに?」
「自分で見て、わかるでしょ? 空木の小説のなかではまとまった量があって、比較的ストーリーラインがわかりやすかった『龍のカゴ釣り』よ。その梗概を勝手にまとめて、それぞれのシークエンスを三幕構成で言えばどこに当たるのか対応させてみた」
空木はコピー用紙をじっと見た。たしかに一行目には『龍のカゴ釣り』とタイトルが書かれており、その下にはおおまかなあらすじが書かれていた。
それとともに、〝セットアップ〟だの〝第一のターニングポイント〟だの空木にはピンとこない単語が記され、なにやら解説もついている。
藤袴が横から覗き込んできた。
「……『龍のカゴ釣り』なら、あたしも途中までは読んでる。投稿サイトに、反響もなくちまちまと連載してるやつっしょ? 男の子が、現代日本で、叔父さんの仇のでっかい龍を釣ろうとする物語」
図書室から借りた分厚いノンフィクションを読んでいた綾目も、同様に目を向ける。
「空木の小説にしては珍しく冒険物っぽい雰囲気で、俺は苦手ではないぞ」
橘だけはそんなもの気にも留めず、椅子に座って熱心にスマートフォンをつついていた。
鵯華は意気揚々と続ける。
「空木、部員の意見は吟味しないといけないんでしょ? 現状は三幕構成になってない『龍のカゴ釣り』を改稿するとしたら……と考えて、整理したんだ。といっても完結してない小説だし、三幕構成にするには足らないピースだらけだから、わたしのアイデアを加えさせてもらった……、空木どうしたの? 頭が痛い? あっ」
空木が頭を押さえたのを見た鵯華が、焦りをにじませた。
「もしかして、変更点が気に入らない? ちがうからね、誤解しないで。わたしはべつに、こう直せ、と一方的に言ってるんじゃないよ。あくまで一例。大事なのは、空木がシナリオ作りの基礎を理解すること。わたしががんばって書いたのはあくまで参考、勉強のための教材であって──」
「うん。鵯華ががんばったのは、この文章量を見ただけでわかるよ。鵯華が書く文章やシナリオは本来、報酬が発生しなきゃならないようなものだろうに。だから、……ごめん、と感じたんだ。頭痛じゃない」
「え、なに、謝らなくていいよ! わたしはそのために入部したんだし、わたしが苦労しただけ空木の頭に入るんなら、やったかいがある──」
「いや、それが申し訳ないんだよ。……せっかく書いてくれたのに興味がなさすぎて、読んでみようと試みてもびっくりするほど頭に入らない」
「──まず頭には入れろや!! 空木がやりたい、書きたいっていう自分の楽しみ優先主義なのは充分わかったけどさあ!」
鵯華が怒鳴って、綾目がなぜかうれしそうにくくっと笑って、藤袴が同情的なまなざしを鵯華に向けたそのときだった。
橘がいきなり、悲痛な叫び声をあげた。
「──あぁあっ!?」
空木たちが振り向くと、思わず腰を浮かせた橘はスマホを摑み、やり場のない怒りと苦しみに耐えるようにわなわなとしていた。
数秒の間がある。
「橘先生?」
鵯華が声をかける。と、橘はしばらく鬼の形相を続けたあと、表情をすうっと消して、椅子に座り直した。それから、最初から浮かべていたと言わんばかりのさわやかな笑顔を、生徒たちに向けてきた。
「諸君、特に空木くん、朗報だよ」
「なにこれ怖い」
鵯華がうめいた。
空木は鵯華案のコピー用紙を指で軽く弾いて、にやりとする。
「朗報って、今週末はどうかって俺が頼んでたやつ?」
「そう。このあいだ保留にさせてもらっていたろう? 空木くんの目標を達成するには良い時期なのはわかっていたし、もともと僕の趣味のひとつだから、休日に付き合うのも決して嫌じゃなかった。……けどね、実はデートの予定が入るかもしれない状況にあって、決められていなかったのさ」
「橘先生、そんな人格なのに彼女いるんですか?」
訝った鵯華の袖を、藤袴が慌てて引っ張った。
「鵯華ちゃん。見てられなくなるから、やめて……」
「あれ、どうして」
「彼女ではないよ。……いまはまだ、ね。それに近い存在ではある。見てみるかい? いくらスレた元子役であっても、子供には早い駆け引きかもしれないけれどね。僕は半年も前からずっと、サヤカちゃんに愛をささやき続けてた……」
立ちあがった橘が、ふっ、と笑って空木たちのほうに歩いてくる。藤袴が、見るに忍びないというふうにうつむく。
橘が手渡したスマホの画面を、鵯華は覗き込んだ。
空木はどちらかと言うと、スマホの画面よりも鵯華の反応を注視していたので、鵯華が目許を引きつらせる瞬間を見た。
「鵯華くんも心当たりはあるだろう? 女の子はね、やはり甘い言葉に弱いんだ。コツは覚めない夢を見させてあげることさ。空木くんと綾目くんも後学のために憶えておくといい。努力は裏切らない、と……」
〝ねえ橘っちー☆ 土曜日ねぇ サヤカったらおヒマなんだぁ♪ このあいだ言ってたお寿司屋さん 出勤前に連れて行ってくれるんなら その前にカラオケかショッピングもありカナ♥♥♥〟
鵯華がスマホを空木に渡して、ぼそりと、苦しそうにつぶやいた。
「……キャバクラの、同伴──……」
つい真実を口にしてしまった天才少女の細い肩を、綾目がいさめるようにぽんと叩いた。そっとしておいてやるんだ、という温もりに満ちた所作だった。空木は、受け取ったスマホを、最新のメッセージが表示されるところまで縦スクロールする。
先ほど橘を叫ばせたのであろうメッセージだ。
それを鵯華に見せる。
〝橘っちごめーん☆ 橘っちに早く会いたかったんだケド うちの猫の調子が悪くて♪ でもぉ お店のオープン直後はしばらくほかのお客さんの予約があるんだけどぉ 九時くらいからは大丈夫と思うからぁ会いにきてネ♥♥♥〟
橘は誇らしげに語る。
「最後まで読めば生徒諸君にもわかるかな? 僕も最初はたしかに、絶望した。苛立った。これまで店に支払った金を返せと思った。が、よく考えさえすれば、文面に込められた愛を見抜けたんだよ。サヤカちゃんは飼い猫の秘密を話してくれるほど僕を信頼し、たくさんハートで想いを伝えてくれてる……」