転生程度で胸の穴は埋まらない

第一章 異世界転生 ③

 女性の前で奴隷ハーレムなんて言葉に反応してしまってあせるコノエに、しかし、にやりと教官が笑う。そして、何度もうんうんとうなずきながら肩をポンポンとたたいてきた。


「いいじゃないの。男の夢だもんね?」

「……いや、その」


 わかるわかる。男ってそんなもんだよねと。

 こういうのは世界が変わっても同じだね、なんて言う。


「期待していいよ。何人でも、何十人でも大丈夫。生命魔法を習得し、認められ──アデプトになれば。金貨千枚とか簡単に稼げるから」


 奴隷商に行って、わいい子を片っ端から買えるよ! と。

 あまりにな態度に、コノエも引くを通り越して真面目に聞いてしまう。


「都にしきを買って、沢山の奴隷をはべらせて──うん、まあ、訓練は厳しいけど、それさえ乗り越えればあとはヤリたい放題というわけだね!」


 教官が、どう? いいでしょ? すごいでしょ? と、すごく都合のいいことを言う。コノエの肩をパンパンとたたく。

 衝撃にコノエの視界が揺れて──同時に、少しだけ、心も揺れていた。


「あそこを見て? エルフの娘達がいるよね?」


 教官の指先につられて視線が動く。そこには先ほど見たエルフの少女達がいた。地球人と明るく挨拶していた、金髪の美しい少女たち。

 その金色は、太陽の下でただただ輝いている。地球にはない異界の美がそこにある。


「君たちの世界にはエルフって居ないんだよね? あんな娘たちだって、きっと好きに出来る」

「……」


 コノエは目を泳がせる。本当に? そんなことが、現実に?

 うそじゃないかと思って──でも、先ほど教官は神に誓っていた。

 それなら、こんな自分にも、本当に奴隷ハーレムが?

 それは、つまり──。


『──僕の人生に、意味はあったのかな』


 ──今度は、一人ぼっちの病室で死ななくてもいいんだろうか。

 今度は、どうでもいい誰かじゃなくて、今度は、邪魔な誰かじゃなくて。コミュ障でも、まともに人と関係を築けなくても、今度こそは誰かと一緒に。


「アデプトへの道は大変だけど、真面目で努力家な君ならきっと大丈夫。安心して? 生命魔法は教育が手厚いから。何年でも、何十年でもしっかり最後まで面倒を見るよ」

「──」


 ……揺れる。心が揺れていた。なんだか訓練が厳しいとか聞こえた気がするけれど、それが気にならなくなるくらいには、揺れていた。


「──神に、誓うよ。私に下心はなく、悪意もなく、人のため、世のため、神のために、見込みのある君をスカウトしているんだって」

(……見込みがある? 僕が? 本当に? 真面目だから?)


 コノエには真面目だという自負はあった。そういう風に生きてきた。そうしないと、立場を築けなかった。邪魔者のコノエ。雑談一つまともに出来ないコノエ。社会の中で生きるには、真面目の皮をかぶるしかなかった。


「……」


 生命魔法を習得すれば金を沢山稼げるかもしれない。

 金を稼げば、奴隷のハーレムを作れるかもしれない。

 今度こそ、人に囲まれて生きていけるかもしれない。

 そう思うと、目がくらんだ。どれだけ苦しんでも手を伸ばしてくれる人すらおらず、死んで悲しんでくれる人もいない。そんな最後だけは、もう──。


(──いやいや、待て。落ち着け)


 脳がグラグラと揺れていて、しかし、そこでコノエは冷静になる。

 長年つちかってきたうたぐぶかさがコノエを引き留める。

 そして何度も落ち着けと自分に言い聞かせた。そんなに都合よくいくわけないだろと。これまでの人生でそんなにうまくいったことなんてなかっただろと。


(……そうだ、そもそも奴隷なんか買ったって)


 そもそもの話、奴隷を買ったって自分ではうまくいく訳がない、と思う。

 この世界の奴隷制の知識はないが、ここは物語ではなく現実であって、いくら奴隷と言っても自由意思はあるはずだ。好きになる人を選ぶ権利はあるはず。

 奴隷を買うことはできるかもしれない。でもその先で仲良くできるかは、主の器量次第だ。つまり、友人すらまともに作れない人間にはハーレムなど不可能。好かれるどころか裏で陰口をたたかれて、傷ついて、ハーレムのはずが逆に孤立してしまいそうだ。


「どうしたの?」


 教官が不思議そうな顔をして問いかける。コノエが突然冷静になったからだろう。


「……いえ、やはり止めておこうと。では失礼します」

「え、なんで? 待って待って」


 無理やり逃げようとして、また捕まる。肩をつかまれる。

 なので、コノエは先ほど考えたことを仕方なしに口にする。

 人には身の程というものがあること。自分のような人間に、ハーレムの維持はできないこと。人間関係的に、早晩破綻することなどを、説明した。

 ──だから僕は、今まで通りもっと無難な生き方をするべきだ。そう思って。


「うーん、維持、そして人間関係かぁ。……大丈夫! それなら心配はいらないよ!」

「──え?」


 あははと、教官が笑う。そして、コノエの肩に置いた手に力を込める。


「そう思うのなら、むしろ君はアデプトになるべきじゃないかな」


 教官は至近距離でコノエを見つめ、にっこりと笑みを浮かべて──。


「──いいかな? 奴隷には基本的に人権がないの。命令を拒否する権利もない」

「……」

「そして、生命魔法を極めた者、アデプトはその職務上人より多くのことを許可されているの。例えば、特殊な薬の使用許可とかも。他の加護ではそうはいかないよ? 錬金術師は作れるけれど、使用は禁止されているし」

「……それが、なんだと」

「聞いて。つまり、アデプトなら──惚れ薬きんしやくぶつを、使える」

「────」


 ──コノエは。それに。

 誰からも必要とされなかったコノエは。

 誰ともまともに話せなかったコノエは。


「………………………………………………はい」


 コノエは、欲望に負けた。

 目の前にぶら下げられたニンジンに、全力で飛びついたんだ。



 ──れ薬について、コノエは思う。

 人を、強制的にれさせる薬。人の感情を好き勝手にいじる悪魔の薬物。

 あまりにも身勝手で、道から外れている薬だ。

 日本でつちかった倫理観が悲鳴を上げていて、頭の中の冷静な部分がくずと己を罵ってくる。

 許されるはずがない。許していいはずがない。


「……」


 でも……ほかに、方法があるだろうか。

 二十年以上生きてきて、誰ともまともに関わることが出来なかったコノエ。どこに行っても孤立してきたコノエ。まともに目を見て話すことも苦手なコノエ。

 そんなコノエに他の方法なんて思いつかなかった。

 おもうのは、ただ一つ。こんなコミュ障でも。


(……れ薬なら、僕みたいな人間でも、誰かの一番になれるんだろうか)


 誰かにとっての特別。大切なナニか。

 ずっと憧れていたそれに、自分もなれるのだろうかと──。



 ──そして数日がつ。

 その日、転生者の講習が終わった。

 転生者たちは一部を除いて皆寮を出て、己の選んだ道を歩き出す。それぞれの選んだ加護を手に入れるために、戦士になるものは戦士ギルドへ向かい、魔法使いになりたいものは魔法ギルドへ向かう。


「……」


 そして、コノエもまた生命魔法ギルドの扉をたたいた。

 ひとしきり歓迎され、しかし「ありがとうございます」と「頑張ります」としか言えない自分にげんなりした後、ギルドの奥へと連れていかれる。すると、そこには話に聞いていたがいた。

 神様は背中に天使のような翼が生えた、真っ白な少女の姿をしていた。

 美しい顔で、邪気なんてない瞳で、コノエを歓迎していた。


なんじ、生命の道に進むことを望みますか?』


 それにコノエは。


「──はい」


 目を少しらし、一言で返す。失礼だと思ったけれど、目を見ていられなかった。