転生程度で胸の穴は埋まらない
第一章 異世界転生 ⑤
なお、普通の鍛錬なら凡人が中級の治癒魔法を習得するには二十年かかるようだ。コノエはそれを聞いて喜ぶより先に
(……まあ、結局僕に
コノエは折れた心でそう思う。人には、分相応というものがあるのだと。自分みたいな凡人には過ぎた夢だったのだと。
「…………」
──だから、その日の深夜。
辞めますと教官に言うために、コノエは訓練が終わった後、学舎の廊下を歩く。
アデプトの訓練は続けるのは難しくても、辞めるのは簡単だ。
一言、教官に辞めると言えばいい。そんな人をこれまでに何人も見てきた。だからこれまで何度も見送ってきたように、コノエも。
「…………?」
──そんなときだった。ふと気づく。
教官の部屋に続く廊下に、何かがいる。いや、何かじゃない。知っている。見たことがある。
真っ白な翼と、真っ白な髪の毛。現実とは思えないような美しい顔立ち。赤い目。その輝きが廊下の片隅からコノエをじっと見ている。
──神様が、そこにいた。
4
教官の部屋へと続く大きな廊下。その片隅の柱から、コノエを見ている影がある。
静まり返った深夜の空気の中。壁のランプだけが照らす薄暗い場所でも輝く、真っ白な人影。
──神様だ。
生命魔法の神様の分体。作り物のように美しい少女がこちらをじっと見ていた。
「……?」
……コノエは、なぜだろう。そんな神様の顔が少し悲しげに見える。
どうしてそんな目で僕を見るのだろうと思った。
もしかして僕が辞めようとしているのが分かったのだろうかと思って、いやいや、神様は僕ごときが辞めても悲しい顔はしないだろうとも思う。
よく分からなくて、でも自らを見ている神様から目を
「………………」
「………………?」
しばらくして、神様が手招きをする。こっちに来てと言わんばかりに。
神様はコノエに向かって、そんな仕草をする。
「…………?」
それに、コノエは振り向いて自らの背後を見る。もしかしたら、誰かがいるのかと思った。コミュ障の性だ。でも誰もいなくて、また正面を見ると、神様は少し不思議そうな顔をしつつ、まだ手招きしていた。
コノエは自分の顔を指さす。すると神様はすぐに
「……」
神様に一歩近づくと、神様も歩き出す、その先には部屋が一つあった。
コノエは後ろを付いていく。頭の中には疑問符が浮いていて、緊張していた。しかし神様に手招きされて逃げ出せるほど図太くはなかった。
──入った部屋には、机と椅子二つだけが置かれていた。
机の上にはティーセットが置かれていて、お茶菓子も用意してあった。
神様が片方の椅子に座る。そして、もう片方を手の動きでコノエに勧めた。
コノエは、恐る恐る椅子を引いて、座って。そんなコノエを横目に、神様はティーセットに手を伸ばす。
「…………」
「…………」
神様がお茶をカップに注ぐ。その音だけが部屋に響いている。
そして、お茶は二つのカップに注がれて、片方がコノエの前に置かれる。
神様は、どうぞとジェスチャーをする。
言葉にはしない。この方は祝福などといった特別な時を除いて決して口を開かない。それはコノエも知っていた。
──なぜなら、この世界において神の言葉は絶対だからだ。
この世界の人間は、神に逆らってはならない。逆らえば、加護が失われてしまう。だから、神の言葉は人にとって命令に他ならず、故に、神様は言葉を口にしない。
自らの何気ない言葉が人を苦しめることがあると、この方は知っているからだ。
「……」
今、コノエの目の前には命令ではなく、神様に良かったらどうぞと勧められたお茶とお菓子がある。
「……」
カップに手を伸ばす。ゆっくりと口に含む。
すると
「……おいしい」
思わず
……そして、また少し沈黙の時間があって。
ふと、神様がコノエに向かって
その仕草にコノエは、
【──訓練は、
言葉はなくても、神様にそう問いかけられた気がした。
それに、コノエはようやく現実を認める。神様が今回誘ってくれた理由。この方は自分が訓練から逃げようとしているのを知って、だから声をかけてくれたのだと。
そんな神様に、どう言葉を返そうか悩んで。
「……そうですね、
するりと、誤魔化しのない本音が漏れる。それはお茶で口が緩くなっていたからか、それとも神様の
すると、神様からそっか、という意思が伝わってきた。
【大変だったもんね。ここに来て一年間と少し、よく頑張ったね】
「……ありがとう、ございます」
神様から
いやまあ、こうしてわざわざ声をかけてくれるくらいだから、そういうものなのかもしれないけれど。でも神様が自分なんかのことを、と思う。
【でも、もう限界?】
「……はい」
【──うん、そうだね。すごく頑張ってたもんね】
神様から、寂しそうな雰囲気が伝わってくる。
残念だと、本気でそう思っているのが伝わってくる。
「……っ」
コノエは思わず、そんな神様に情けないことを言う自分を恥じる。弱音が恥ずかしくて、そして思わず、やっぱり辞めないと言いそうになって。
「……」
でも、もう本当に限界だった。だって、もう分かってしまった。
学舎に来て一年。アデプトの訓練はまだまだ序盤で、しかし先がなんとなく分かるくらいには努力してきた。
──コノエに、生命魔法の才能はない。
本当に、これっぽっちもない。アデプトを目指し、才
この一年、後から入ってきたアデプト候補たちにどんどん追い抜かれていった。その度に、先に行く彼らを見送っていた。
己の才のなさを痛感した。コノエなりに努力はしたけれどそれでは足りなかった。どこまでも凡人だった。そして、そんな自分がアデプトになるまで一体何年かかるのかと途方に暮れた。
……だから。もう、限界だった。
奴隷ハーレムなんて、ろくでもない夢は諦めて凡人は凡人らしく生きるべきだと思った。
「……申し訳、ありません。僕では、無理でした」
【……そっか】
「努力が足りないのは分かっています。でもこれ以上は」
【え?】
と、そこで神様から驚いたような雰囲気が伝わってくる。
見ると、大きな目をさらに見開いてパチパチと
【努力が足りない?】
「……? はい」
【それは、絶対に違うよ】
「……え?」
【見てたよ。君が頑張っているのを。毎日、ずっと遅くまで
──見ていた? 神様が?
神様が言っていることが事実かと言われれば、事実だった。
確かに毎日訓練が終わった後も遅くまで訓練場にいた。休日も遊びには行かなかった。
でもそれは……コノエにとってはある種の逃避だった。
だって、コミュ障だから。寮の部屋に戻っても居場所がなかった。
休日に連れ立って遊びに行く皆に交じることなんて、できるはずもなかった。だから、コノエは訓練や勉強に逃げた。



