でも家族がかかっているなら別だ。実際、この街にはみんなが避けて通る【禁忌】がある。そこにまつわる怪奇に俺は積極的に向かっていく。きっと命知らずの愚行だろうけど花乃にかえられるものじゃない。首だけの妹は間違いなく生きているし、体もきっとどこかで無事なはずだ。たとえば今の花乃は飲み食いしなくても平気だけど、吸い飲みで水を飲ませると、その水はどこかに消えてしまう。おそらく体の方に移動しているんだ。今、見る限り首と体が離れているだけで、本当はまだ繫がっているんだと思う。
今のところ、確実に消滅させたと言える怪奇は十二だ。一年間でこれじゃ時間がかかりすぎる。もっとペースを上げたいのが本音だ。
ただ花乃自身には「体の情報を集めるために怪奇から情報収集してる」って言ってある。本当のことを言えば、妹はきっと俺を止めるだろうから。
「花乃、絶対お前の体を見つけるからな」
「おに……ちゃ、むり、しないで……」
「大丈夫。怪我もしてない」
正直、バスの前に立ちふさがったのはかなり怖かったけど、それは内緒だ。あれがただ真っ赤に塗っているだけの普通のバスだったら死ぬところだった。一応、赤バスが出没しているって情報を聞いたから待ち伏せはしていたんだけど。
「蒼汰さん、何か新しいことは分かりました?」
「グレーティア」
花乃を膝に抱いた少女が俺を目だけで見上げる。薄茶色の長い髪に青い両眼。日本人のものではない顔は綺麗に整っており、等身大の人形そのものだ。
彼女はこの記憶屋の人間で、俺や花乃の事情を知って手助けをしてくれている一人だ。
「赤バスは討伐してきたけど、今日は情報はなし」
今まで花乃の体について怪奇に尋ねて返ってきた答えは『この街にある』『これが初めてではない』『捧げられた』『守られている』『どこにでも現れる』って感じだ。ふんわりしていて、よく分からない。
「そうですか。郷土資料に前例が残っているくらいですから、知っている怪奇もいるとは思うのですが、なかなか当たりませんね」
グレーティアの言う通り、実は市内の郷土資料に当たって、花乃と似た事例も見つけている。
今から三百年前の江戸時代、床辻で一人の少女が行方不明になった。数日後その娘は首だけになって家に戻り、でもその首は生きていた。少女は「体は差し出してしまった」と言っただけで、不思議なことに痛みを感じる様子も衰弱する様子もなかった。そして首のまま老いることなくそこから五十年を生き、時折予言めいたことを口にするので重宝されたという。
不思議な話だけど花乃と似ている。予言めいたことを話すっていうのはよく分からないけど、首だけになったのをきっかけに、花乃のように「見える」ようになったってことかもしれない。肝心なのはこの話において、なくなった体は「どこかに差し出した」ってなっていることだ。
多分、花乃もこれと同じ怪奇に見舞われたんじゃないかと思うんだけど、どっちの事例も「体を失った」って結果しか分かってない。床辻の怪奇は触れないで済むように、先触れか禁忌かが知られている場合が多いけど、これについてはどの禁忌を侵したらそうなるのか分からない。神隠しが起きる禁忌は割と多いし、やっぱり百体を目標に潰していくのが当面の目標だ。
そうなると協力者は必要だ。
「グレーティア、花乃と留守番しててくれてありがとう」
「花乃とお話は楽しいから」
「ならよかったよ。怜央は?」
「──いるぞ、ここに」
ちょうど死角になっているカウンターの裏から声が聞こえてくる。俺は奥まで行くと、カウンターの上にクロスボウと袋に入ったままの呪刀を置いた。二つの武器はこの記憶屋から格安でレンタルしているものだ。実際に使ってみてフィードバックするまでが俺の役目。
「怪奇破りのクロスボウはやっぱり強かった。けど相手との距離が近いと次の矢が装塡できないから、今のところ初撃専用だと思う」
「あー、やっぱりか」
カウンターに戻ってきた怜央は、当然のようにそう言う。
二十代半ば過ぎに見えるこの男が記憶屋の店主だ。とは言え、怜央はおおよそ「アンティークショップの店主」という肩書から想像される人間じゃない。スーツを着た長身はかなり鍛えてあって、正直俺より断然強い。というか『血汐事件』の後、俺に一通りの立ち回りを教えてくれたのも怜央だ。一年前、怪奇の落ち武者に殺されかかっていた時、たまたま通りかかって助けてくれたのがきっかけで、それ以来事情を話して細々と協力をしてもらっている。
ただ怜央自身はオカルトの専門家ってわけじゃなく、元は海外で傭兵みたいな仕事をしていたらしい。それが数年前グレーティアを拾って、彼女を育てるために引退して日本に帰ってきたそうだ。今では現役時代の伝手で輸入アンティークを売りながら、裏では特殊な商売もしている。怪奇に対抗する物品の取り扱いもその一つで、床辻に店を開いたのは単に「この街が一番不可思議な揉めごとが多くて、他の地方都市よりよく物が売れるから」という理由らしい。床辻で生まれ育った俺には微妙な顔になってしまう話だけど、そのおかげで今助かってる。
「あとはクロスボウだと、どこを狙っていいか分からない現象相手に使いづらいんだよな」
「それはどの武器もそうだろう。火炎放射器でも持っていかないと」
「あるの?」
「普通の火器でいいなら手配はできるけど、捕まってもうちの店の名前は出すなよ」
それは実質無理ってことじゃないだろうか。床辻市はちょっとオカルト系の話が多いってだけで無法地帯でもなんでもないし、呪刀振るっているところも通報されたら結構やばい。
俺は悩んだ結果クロスボウを返却して別の武器を借りる。呪刀は使いやすいからそのままで。なんでもどこかのいわく付きの木から削り出したって刀らしいけど、謎のお札がべたべた貼ってあるし、俺の手元に来るまでも色々あったらしい。でもそれに関しては突っこむ気がないし、怪奇については今更だ。床辻にはそんなもの嫌になるくらい溢れている。
怜央は、俺が手首に嵌めている水晶の数珠をちらりと見やった。透明なそれは三粒だけ中に亀裂が入っている。
「役に立ったみたいだな」
「おかげで腕が折れずに済んだよ」
どこかの好事家の蔵から出てきたっていう数珠は「稀に持ち主を衝撃から守る」というお守りだ。代わりに体のどこかに小さな傷ができるし、発動するかどうかも運任せ。でも今日は降ってくる女の子を受け止める時に発動してくれた。残りは三十三粒。保険としては十分だ。
「お前の呪刀みたいな特異A級の武器はなかなか手に入らないけど、そっちの数珠はC級くらいだからな。その程度の稀有さなら半年に一度くらいはお目にかかれる」
「Cで半年に一度とか途方もないな」
そう思うとこの呪刀を借り受けられたのは本当に幸運だった。とは言え、引き取り手がいなくて、お札を何枚も貼ってようやく俺が使える状態になっているそうだから当然の帰結か。
俺は椅子に座る少女を振り返る。
「グレーティアに新しい記憶は入ってる?」
「入ってる。ついさっきだ。お前が花乃を預けていった後に売り手がきた」
「それ、買い取るよ」
「助かる」
俺はポケットから出した二千円をカウンターに置く。これは「記憶」の値段としては最安値の部類だ。怜央が俺たちの事情を鑑みて割り引いてくれているし、そうでなくても彼は、グレーティアにあまり怪奇の記憶を保持させたくないらしい。