不可逆怪異をあなたと 床辻奇譚

二 禁忌 ⑤

 まだが小学校に上がってなかった頃、俺は学校から帰るとよく、妹の手を引いて外に遊びに行っていた。その頃、子供の目に家の周りはとても広く見えていた。少し山に向かって歩けば、小さな森がある。森の入口には姉妹が住む家があって、二人はれいな石を集めたり、枝や花で小物を作ったりして俺たちと遊んでくれた。他にもちょっと古いしきの庭先でその家のきようだいたちと遊んだり、小さな空き地で俺の友達に混ざってサッカーしたり、ごく当たり前のようにとずっと一緒だった。

 今になって振り返れば、相当乱暴な遊びにも付き合わせていたと思う。それでも俺はと一緒が楽しかったし、はいつも「また行こうね!」と喜んでくれた。時々同級生たちが言うように「弟妹の存在がわずらわしい」とは思わなかった。それは「家族ってそういうもの」って思っていたのもあるし、単純に自身がさとくて優しい子供だったからだと思う。

 俺たちは二人でいることが自然で、両親を失ってからは更にそうなった。葬儀の時、が俺の手を握って離さなかったことを覚えている。

 俺はだからを一生守るつもりでいて──結果はこのありさまだ。


「ぉに……ちゃ……あぶなぃ……こと、しない……で」

「大丈夫だよ。無茶しないように気をつけてる」


 最初はかなり用心しながら始めたけど、に戦い方を教わったこともあって回数を重ねるごとに要領がつかめてきた。知識があれば、手には負えなそうな怪奇を見極めることもできる。そういうのは今のところ後回しだ。何しろ俺に何かあったら残されたが困る。


「とりあえず明日は、さっき買った記憶の鳥居に行ってみて──」


 その時ふと、俺は気づく。

 道の先の電柱に貼り紙が貼られている。見覚えのあるそれは、さっきのいなくなった女の子を探す貼り紙だ。通りすがりざま見ると、やっぱりさっきと同じ。「子供を探しています。いのうえきさこ六歳。見かけた方はこちらの番号まで」と床辻警察の番号が書かれている。後は服装とかいなくなった時の状況とか。大分長く貼られているのか右端がちぎれていた。


しお事件』でいなくなったみんなも、こんな風に探されていたりするんだろうか。そんなことを考えながら、俺は電柱の前を通り過ぎる。しばらくそのまま進んで──


「……まずいな」


 道の先の電柱には、また同じ貼り紙が貼ってあった。

 いくらなんでも間隔が狭すぎる。人探しのポスターをたった五十メートルおきになんて普通は貼らない。おそらく俺たちはいつの間にか何かの怪奇に巻きこまれている。


「お……にぃちゃ……?」

、ちょっと走ったりするかもしれないけど我慢しててくれ」


 俺は呪刀を取り出すと、それを手に走り出した。次の電柱が見えてくる。そこに貼られている貼り紙は右端が少しちぎれていた。さっき見たものとまったく同じだ。


「つまり、閉じこめられた?」


 知らない間に何かの禁忌に触れたんだろうか。俺はもう少し走ってみたけど、やっぱり同じ電柱の前に出てしまった。念のためスマホを取り出してみるけど、電波がない。


「そう簡単には脱出できないか」


 閉じこめられ型の怪奇からの脱出パターンはいくつかあるけど「外の世界に電話で連絡を取る」ってのは代表的な一つだ。でもどうやら今回はそれができない。


「他の解法としては抜け道を見つけるか、鍵になっているものを探して破壊するかだったか?」


 セオリー的にはそんな感じだけど、知らない人間は多分脱出できない。そういう人間はいわゆる「神隠し」扱いになるんだろう。普段は怪奇を探して回っているけど、予備知識なしで出くわすのはできれば遠慮したかった。

 俺はとりあえず明かりがついている家の玄関前まで行く。庭先に見える窓からはカーテン越しに食事をしている人影が見えた。それを確認して俺はインターホンを押してみる。ピンポンと軽い音が家の中に響き、けど食卓にいる人は立ち上がる様子がない。もう一度鳴らしても同じペースで食事を続けているままだ。

 俺はおもむろに庭に入りこむと、人影が見えるガラス窓をたたいてみる。


「……なに、してる……の?」

「んー、他の人間に接触できるかと思ったけど駄目だな。反応がない」


 窓をどんどんたたいても人影はこっちを気にしない。おそらく全部の家がこうなんだろう。俺はそのまま家の裏に回る。ループしている道路からできるだけ離れてみようっていう試みだ。向こう側の塀にあった通用口を開けて外に出る。


「おおっと」


 けどそこに広がっているのは元の道路だ。電柱の貼り紙も変わらない。空間がループしている。じゃあ他の可能性は、ということで俺は電柱に歩み寄ると貼り紙に手をかける。溶けかけたテープに手をかけ引きはがした。けどやっぱり辺りには変化がない。


「これが一番怪しいと思ったけど、ただ目立ってただけか」


 無関係の貼り紙だとしたら悪いことをしてしまった。俺は剝がしたテープでもう一度電柱に貼り紙をくっつけようとして──


「あれ? 昭和五十三年?」


 貼り紙に書かれた文章を、俺は改めてちゃんと読む。

いのうえきさ子ちゃんが、昭和五十三年、五月五日午後五時ごろ、いなくなりました。最後に目撃されたのは、自宅前で遊んでいたところです。服装は、白いブラウスに赤いスカート、赤いサンダルです。見かけた方は床辻警察署までご一報ください】

 思わずぞっとする。こんな昔の貼り紙、今の時代に残っているはずがない。

 やっぱりこれも怪奇の一種だ。俺は貼り戻そうとした貼り紙を畳んで電柱の下に置く。

 そうして顔を上げて、違和感に気づいた。


「さっきより辺りが暗い……」


 気のせいじゃなくて道の先が暗くなっている。建ち並ぶ家々からあかりが消え始めているんだ。

 まだそんな夜中じゃないし、これは早いうちに脱出しないとまずい。

 そう思っているうちに背後の家がぱっと暗くなった。さっきインターホンを押した家だ。


「ぉ……にぃちゃ……だいじょ……ぶ?」

「大丈夫だ」


 そう断言する。あせっていても、それを見せたらが不安になる。

 今まで怪奇に踏みこんだことはあるけど、知識なしに空間タイプに閉じこめられたのは初めてだ。空間タイプのトリガーに出くわしたこともあるけど、今までは禁忌の情報があったから避けられていた。けどこれは知らない。知らないってことは巻きこまれて戻れた人間が少ないってことだ。いわゆる初見殺し。こんなことなら記憶屋で火器を借りて帰ればよかった。

 ふっと、また遠くで一軒あかりが消える。


「ひょっとして……あかりの数がタイムリミットか」


 全部のあかりが消える前に脱出しないと、俺たちは多分ここに閉じこめられる。

 どこに進むべきかしゆんじゆんしていると、三軒先、あかりの消えた家の窓がガラリと開いた。

 真っ暗なそこから声だけが聞こえてくる。


「き、きサ子ちゃぁん、どこナのぉぉ!」

「うげ……」


 引きつれたような高い声は、明らかに人間のものじゃない。しかも何十年も前に行方不明になった子供を探す声だ。俺は少しだけ迷って足元にスポーツバッグを置く。


、ちょっとここで待っててくれ。すぐ戻ってくるから」

「気……をつけ、て」

「任せとけ」


 短く請けあって、俺は呪刀を持ったまま声のした窓へ走る。塗りつぶされたみたいに黒い窓からまた調子外れの声が聞こえる。


「キさ子ちゃァン! どこに隠れたノォ!」

「知るか」