魔王城、空き部屋あります!

第一話 誕生、ロイヤルハイツ魔王城 ⑤

 シグナが契約書を置いてすごすごと引き下がると、きようは迷わず羽根ペンを手に取った。


「ちょっと待って、おばあちゃん!」


 心配そうな顔で見守る孫娘に対し、きようはにっこりと笑顔を返す。


「大丈夫でしょう。私は契約とか書類は苦手だけれど、人を見る目は確かなつもりだからね」

「それ、まったく同じこと言ってこの前詐欺に引っ掛かりかけたよね!?」

「この前は、この前。今回は今回ですよ」


 言うが早いか、きようはさらさらと達筆な字で自分の名前を書き記し、契約書をバルバトスへ手渡してしまった。


「はい、よろしくお願いしますね」

「うむ。契約成立だな」

「ちょっと待った!」


 満足げに契約書を持ち上げて眺めるバルバトスに、激しい声がかかる。


「くどいぞ。まだ何か文句があるのか、シグナ」


 額に汗を浮かべたシグナがバルバトスに人差し指を突きつける。


「その契約は確かなものかもしれない。しかし、僕はお前を信用していないぞ。何か裏があるはずだ!」

「そうかそうか。構わんぞ、部外者は勝手に疑っておれ」


 余裕たっぷりのバルバトスの右のてのひらに契約書が吸い込まれ、不思議な紋様となって残った。契約を破れば、罰としてこの印がバルバトスに苦痛を与えるのだ。


「部外者になってたまるものか。どうしても、お前がこの城をマンションにすると言うなら」


 シグナは一度言葉を切り、うつむいた。そして、決意を新たにするように顔を上げた。


「僕も、住む!」

「何?」


 今度はバルバトスの顔が引きつった。


「僕がこの魔王城に住み、お前を監視すると言っているんだ。勇者であるこの僕が見張っている限り、お前が何をたくらんでいようが未然に阻止できる。この世界の人々の平和な暮らしは、僕が守護する!」

「馬鹿めが。そんなことを余が許可するとでも思っているのか」


 シグナはバルバトスを無視し、きようの方へ向き直る。


「いいですよね?」

「はい、いいですよ」

「ぬおっ!?」


 きようがあっさりと許可を出してしまった。この場の力関係からいって、バルバトスにそれを取り下げることは出来ない。


「おのれ……ごうはらだが、貴様が入居者第一号というわけだなシグナ。好きな部屋を選ぶがいい」


 苦虫をみ潰したような顔ではあるものの、バルバトスは早速管理人としての仕事を全うしようと努めていた。


「そうするさ。ついでに、城に仕掛けられたトラップの数々も処分させてもらうぞ」

「トラップ……?」


 聞き捨てならない不穏な単語に、が表情を硬くする。


「ちょっと待って、この城、そんなもの仕掛けてあるの?」

「いや、それは……防犯上必要ではないか。侵入者をざんさつする仕組みが」


 慌てるバルバトスに顔を近づけ、シグナは爽やかにほほんで見せる。


「不要なものだよ。上質で豊かな暮らしのためには」

「ぬうう……!」


 何も言えずシグナの後ろ姿を見送った拍子に、バルバトスは窓から差し込む日が弱まっていることに気が付いた。

 西の空が、オレンジから紫へのグラデーションを描き始めている。

 マンションの経営に関する具体的な話はまだ何もできていないが、時刻は午後六時を回っていた。


「うわ。いつの間にか、もうこんな時間になってたんだ」


 がそそくさと立ち上がり、帰り支度を始める。


「なんなら、試しに一泊していってもらっても構わぬが?」


 バルバトスが皮肉っぽい笑みを浮かべて提案すると、きようが目を輝かせた。


「それも面白そうねえ。どうしようか、ちゃん」

「いや、帰るでしょおばあちゃん。話はまた明日だよ」


 少し名残惜しそうなきようの背を押し、は正門へと来た道を戻る。バルバトスはそれに付き添い、門の開閉レバーを手で押し上げた。

 みみざわりな音を立て、魔王城の門が開く。去り際には振り返り、念を押すように宣言した。


「言っておくけど私、まだあなたのこと信用したわけじゃないからね」

「結構だ。元より信用とは時間をかけて育まれるもの、一朝一夕に築けるとは思っていない」


 まるで予想していたかのようにすらすらと返答するバルバトスをいっそうげんそうな目で見て、は引き上げていった。


「……そうだ。信用を得なければ。今のところは、な」


 バルバトスが一人つぶやいた言葉は、誰にも聞かれることは無かった。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 聖剣のいつせんが、炎を吐く彫像を両断する。続けざま、鉄製の矢を吐き出す壁をたたり、中の発射装置を破砕する。


「……僕はだまされない。あのバルバトスが、大人しく人間との共存なんて選ぶはずがない」


 魔王城に無数に仕掛けられたトラップを、勇者が一つ一つ無力化していく。


「人を守る。勇者として、すべきことをする……僕にはその義務がある」


 横から高速で迫ってきたギロチンの刃を見もせずに切り払ったシグナの表情は、生き生きと輝いていた。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 陽が落ち、入れ替わりに月が上る。

 月明かりに照らされる魔王城は昼よりも一層おどろおどろしく、背筋を凍り付かせるような不穏な気配に満ちている。


「……くくくくく」


 今、その不穏な気配に相応ふさわしい笑いが、城内の一室に響いていた。


「くっははははははははは! この魔王バルバトスが、人間と契約を交わして大人しく共存するとでも思っているのか? められたものよな!」


 バルバトスは豪勢な玉座に腰を下ろし、眉を寄せて眉間に指を当てた。


「魔力に乏しいこの地で、ぜいじやくな人間一人一人の持つ魔力などたかが知れている。だがしかし、それでも。一か所に大量にかき集めて燃やし尽くせば相当な量になろう」


 バルバトスは目を閉じ、再度の試算を始める。

 城内の居住可能な部屋が90戸。その全てに人間が住まうならば最低でも90名、家族連れを含めればそれを超える人間が集まるだろう。

 そうして集めた人間をいけにえの儀式にささげれば、膨大な魔力を生み出すことが可能になる。


「うむ、行ける。計算上、余とシグナが再び全力を振るうための魔力に届き得るぞ」


 シグナに明かせば反対されるだろうが、むろん馬鹿正直に伝えるつもりは無い。

 ひそかに準備を進め、取り返しのつかない事態に追い込み、シグナがその力をも使わざるを得ない状況に持ち込む、というのがバルバトスの考えであった。


『魔王城に住まう者たちに一生上質で豊かな暮らしを約束する』と、バルバトスは契約の書面に書き記した。

 しかし一生とは、命ある限りという意味。その命をバルバトスが奪わないなどという約束はしていない。


「その時まではせいぜい、余がこのロイヤルハイツ魔王城を統治するとしよう。良き管理人として……な。くははははは」


 魔王は笑う。

 己の計画の成功を確信し、何も知らない敵の愚かさをあざわらう。

 夜の闇の中で、その笑い声はどこまでも響いていくようであった。

 こうして、異世界から漂着した城の仮の役割として。

 また、魔王の秘密のたくらみの装置として。

 マンション、ロイヤルハイツ魔王城は誕生したのであった。