魔王城、空き部屋あります!

第二話 就任早々大清掃 ①

 東京都江東区とよ。川の流れにほど近く、心安らぐ景観と都心の利便性を併せ持つ土地に、景観にまない異様な建築物が立っている。

 高くそびえる四つのせんとうと強固な二重の城壁を持ち、怪物を模した浮き彫りが不気味な空気を漂わせる巨大な城。

 異世界から転移してきたその城は、様々な事情により、この日本でマンションとして生まれ変わろうとしていた。

 その名を、ロイヤルハイツ魔王城という。

 今、その城門付近には看板が立てかけられ、「ロイヤルハイツ魔王城 入居者募集中」とおどろおどろしい書体で書かれていた。

 しかも、赤黒い塗料で。

 かみしろあきがおでその看板を眺めながら正門前に立つ。

 すると程なくして、ごうおんを立てながら巨大な門がゆっくりと開いていく。城主が門の前に立つ者を確認し、遠隔で開閉を行っているのだろう。

 ずり落ちてきたショルダーバッグを一度肩にかけ直し、は城の中へと足を踏み入れた。


 が昨日訪れたのと同じ部屋を訪ねてドアをノックすると、すぐに扉が開き、部屋の主が姿を見せる。

 頭部に角を持つ目つきの悪い銀髪の男、バルバトス。

 人類を宿敵とする魔族の王で、同時に、現在はこのロイヤルハイツ魔王城の管理人でもある。


「こんにちは」

「フン」


 尊大で無愛想。挨拶さえまともに返さない魔王バルバトスだが、エプロンを付けて片手に皿を持っている。


「エプロン……」

「何だ。何がおかしい」

「いや、魔王がエプロン付けてるのが違和感がすごくて……もしかして、食事作ってたの?」

「当然だ。ネフィリーがすくすく健やかに成長するためには、完璧な食事が必要だからな」

「あー。ご飯中だったら、出直した方がいい?」

「それには及ばん。すぐに済む」


 不機嫌そうな顔ながらも、バルバトスはを室内に招き入れた。食卓を前にして、椅子に腰かけ足をぶらぶらさせている小さな少女が目に留まる。


「ネフィリーちゃん、だよね? こんにちは」

「こんにちは」


 ネフィリーは、挨拶の返事と共にぺこりと頭を下げた。

 そのまま隣の椅子に座ると、ネフィリーは少しはにかんだ様子でを見つめ、ぱっと目をらして、照れたようにテーブルの下で指をいじり始める。

 色素が薄くはかなげな印象ではあるものの、ネフィリーの仕草は小さな子供そのもので、見た目もバルバトスよりずっと人間に近い。素直でわいらしい反応にの頰が緩んだ。


「バルバトス、ご飯作ってくれるんだね」

「うん」


 ネフィリーはこくりとうなずく。


「良かったね。ご飯何かな、楽しみだね」

「んー……」


 ネフィリーは、今度はへにょりと首をかしげた。


「楽しみじゃないの?」


 微妙な反応に疑問を持ったがさらに問いかけようとしたその瞬間に、バルバトスが意気揚々とネフィリーの目の前に白い皿を置いた。


「さあ、できたぞネフィリー」


 皿の中央には紫色のカプセルのような物体が一つだけ載っている。


「何これ……?」


 あつられていると、ネフィリーはそのカプセルをぱかりと開き、出てきた煙のようなものを吸い込んだ。


「いや……何、これ?」

「ミストミールだ。様々な食材から栄養だけを取り出し、魔法で霧状に加工している。吸うだけで一瞬で食事が完了する優れものだ」


 は眉をひそめて得意げなバルバトスを見つめ、次いでネフィリーに顔を寄せてささやく。


「ネフィリーちゃん、それ、おいしい? 正直に言ってみて」

「おいしくはない」


 ふるふると首を横に振るネフィリーにバルバトスが苦笑する。


わがままを言うものではないぞネフィリー。このミストミールさえ吸っておけば一日に必要な栄養素を全て賄い、効率的に魔力を生成する事ができるのだ」


 そう言うと、バルバトスも食卓につき、カプセルを開いて煙を吸い込んだ。


「便利だし、需要ありそうだけど。そういう効率だけ重視した食事ってどうかと思うなあ」


 はショルダーバッグの中からプラスチックの容器を取り出し、テーブルの上に置いた。

 容器の蓋を開けると、れいな焼き色がついたパイ生地のお菓子がいくつも並んでいる。


「おい。何だ、それは」

「バクラヴァ。おばあちゃんが手土産に持って行けって。よかったらどうぞ」


 バルバトスは眉根を寄せ、不審そうな目つきでそのバクラヴァを眺めた。

 バクラヴァは、地中海の国々や中東地域で食べられる甘いお菓子。

 ピスタチオやクルミを挟んで幾重にも重ねた薄い生地を焼き上げ、シロップをみ込ませたものだ。

 無論、ロッケンヘイムには存在しない。


「余は魔王だぞ。庶民からの施しなど受けぬ。ましてや、人類の食事だと? こんな不気味な物体を口にする気はっネフィリィイイー!?」


 バルバトスが慌てて文句を中断したのは、ネフィリーが既にバクラヴァを一つ手に取り、かぶいていたからだ。


「こら! そんなもの食べてはならん! ネフィリー! ペッしなさい!」


 椅子から立ち上がったバルバトスは目を白黒させて慌てふためいているが、当のネフィリーは目を輝かせてもぐもぐとしやくしている。


「おいしい?」


 の問いかけに、ネフィリーはこくりとうなずいた。


「おいしい。あまい」

「よかった。あとね、食べる前にはいただきますって言うんだよ」

「わかった。いただきますっていう」

「ぬぐぐ……」


 口元に生地の欠片かけらをつけて上機嫌にほほんでいるネフィリーの姿を見ては、バルバトスもそれ以上止める気にはなれなかったらしい。

 むすっとした顔で腰を下ろし、目の前にあるバクラヴァをにらみつけている。


「食べないの?」

「こんな得体の知れん食物を……いや、しかしネフィリーだけに食わせておじづいていると思われたくはない……!」

「別に誰もそんなこと思わないけど」

あなどるな。余は魔王バルバトスだ。食らってやろう、バクラヴァとやらを」

「いただきますは?」

「誰が言うか!」


 勝手にいきどおりながら、バルバトスはバクラヴァの一つを手に取った。そのまま一口かぶいて目を見開き、二口、三口と食べ進める。


「何か感想は無いの」

「まあ……人類の産物にしては、想像したよりは悪くはない……という気持ちが、かすかにも沸き上がらないかというと……そうでもない」

「はっきり言いなさいよ!」

「余の食べっぷりを見て察することも出来ぬのか! これだから人類は!」

「なんで私が人類ごと怒られるの……? 少しは感謝の言葉があってもいいと思うんだけど」

「ええい、そもそも何しに来たのだかみしろ! まさかこのバクラヴァで余をろうらくしに来たわけではあるまいな!」


 がっつきながら怒るバルバトスにへきえきした様子を示しながら、は本来の話題を切り出した。


「このお城をマンションにするって話にはなったけど、まだ決めてない事が山ほどあるでしょ。それを決めに来たの」

「決め事があるのならば、きようさんを連れて来んのだ? 余が契約した土地の持ち主はあくまできようさんだぞ」

「おばあちゃんは色々忙しいから。……それに、連れて来ると誰かさんに言いくるめられちゃう可能性が高いからね。まず私が話を聞いて、おばあちゃんには私から話します」