血と臓物の臭いが一体を覆っている。
無数に転がっている兵の遺体には、臭いに釣られた中型小型の肉食生物が集まり、口の周りを赤黒くしながら食べきれないほどのご馳走を貪っていた。
軍士官のドウロンは、その光景を小高い丘から眺め、オエッとえずいた。
援軍として少ない数を率いてきたドウロンだが、助けるべき同胞は全滅し餌となっていた。次は我が身だと思うと、暗澹たる気持ちに包まれた。
ドウロンは、山裾に広がる敵軍勢に目を眇める。
「あれが人間?」
視線には嫌悪が混じり、眉間には皺ができていた。
隣に控えていた一〇代半ばの少年が落ち着いた声で補足する。
「正確には、人間だった者、です」
敵は、いずれも異様な姿形をしていた。
体軀に不釣り合いな蟹のような巨大な爪を持つ者、河豚のように膨張した体を持つ者、鱗らしき物で体を覆っている者、いずれも、元は人間である。
完全に怪物と化してしまうのであれば嫌悪感も薄らいだだろう。個体差はあれど、人間だった頃の名残がわずかにあるため、一見して吐き気を催す者も少なくなかった。
「宿主を見るのは初めてですか?」
敵を見据えたままの少年が尋ねると、士官ドウロンは素直にうなずいた。
「しゅくしゅ……操蟲に乗っ取られた者のことだな。怪物のようだと聞いてはいたが、寄生されると、ああなってしまうのだな」
人や生物に寄生し、生物を乗っ取り変異させる寄生虫、操蟲。
空からなのか地中なのか海からなのか、どこからやってきた生物なのかいまだに不明。大陸西部の小さな漁村が発端とされていたが、今や漁村があった国を吞み込み、隣国を浸食しその数を増やし続けている。
「勝てるのか」
「負ければ、国も街も人も、操蟲の物になる。それだけです」
そうじゃない、とドウロンは首を振った。
「……エルガ、君のことだ」
そこでようやく、少年──エルガは士官を一瞥する。
二人の背後では、足音を忍ばせた部隊約三〇〇が続々と集結していた。
「今下にいる奴等は三〇〇〇という話だ。正直手前の兵では心許ない。援護するはずの部隊はあの通り。我らは援軍とはいえ、さすがに少なすぎる」
よっぽど不安だったのかドウロンは吐露した。
「ドウロン特別将校。あなたは指揮官に向ていませんね」
遠慮も礼もないはっきりとした発言だったが、ドウロンは反論どころか怒りもしない。
「当たり前だ。人手不足だからと先週この部隊を任されるようになった、ただの事務官だぞ! 自棄にもなる」
募る思いを吐き出し、ドウロンは大きなため息をついた。
「もうこの戦いが起きて七年経つが、人手が足りないからといってどうしてこんなことに」
「兵に聞こえます。落ち着いて。勝てるかという質問には、結果で答えます。ご心配なく」
平坦なエルガの声に微塵の揺らぎもない。恐れも興奮も気負いもなく、確かな自信を覗かせていた。
部分的もしくは全体的に操蟲に変異させられた異形の宿主を相手に、一般兵をぶつけても分が悪く、損耗率が非常に激しい。
戦いがはじまった当初は、押されに押されまくり、大陸の四分の一を操蟲に掠め取られる事態に至った。そんな中、操蟲に有効な手段が二つ判明した。一つは、連綿と受け継がれた呪いという学術の結晶である、魔術。
魔術は、何もない所から焰を発現させ、烈風を巻き起こし、雷を落とし、傷を癒すなど、用途は多岐にわたる。
魔術を意のままに操る魔術師は、常人には不可能な超常現象を可能とした。数こそ多くないが、戦地の兵にとって心強い存在だった。
そして、もう一つの手段は──。
「エルガ、君は結果で答えると言うが……私は、君ら『子供たち』がどれほどの存在なのか、いまいちわかっていない」
人類史上初の出自不明の寄生生物との戦いに、現状を憂いだ各国は共同の研究機関を立ち上げた。そして、分析を進めたあるとき、操蟲は操蟲の攻撃に弱いことが判明した。
その結果をもとに、世界最高の魔術師ザリオンは、操蟲の力を制御下におくことに成功し、その力を扱える存在を魔術によって生み出した。それら魔導人形を、ザリオンは『子供たち』と呼んだ。
毒を以て毒を制す──忌み嫌われた敵の力を利用する外法は、内外から批判の的となったが、生み出された魔導人形が圧倒的な戦果を叩き出し続けるうちに、雑音はいつしか消え去った。
「人間に見えるかもしれませんが、俺たちは、操蟲殲滅のためだけに造られた兵器です」
ザリオンが造り出した、対操蟲用の人造人型兵器『子供たち』。
エルガはその中の一体だった。
「ドウロン特別将校。では、先に行きます」
「行く? 行くだと? どこにだ。丸腰で、どこに行こうと!?」
「蟲がいるところへ」
そう言い残し、エルガは急峻な丘を一人で駆け下っていく。まだ後ろではドウロンが何かを喚いていたが、もう答えることはしなかった。
敵の一部がエルガに気づく。そういう奴がいる、という情報が回っていたのか、宿主たちは警戒心を露わに唸り声を上げていた。
転がっていた手頃な枝をエルガは拾うと、彼の腕の中で何かが素早く蠢きはじめる。すぐさまそれは手の平へと移動していき、枝へと伝っていく。
ゾゾゾゾと枝の中をくまなく動き回ると、持ち手が、鍔が、刃ができ、腰ほどの長さの枯れ枝は無骨な鉛色の剣へと変異していった。
目と鼻の先では、耳障りな雄叫びを上げる宿主たち。エルガが一団に飛び込むと、宿主の首が三つ瞬時に刎ね飛んだ。
剣の間合いに宿主がいなくなる。かつて人間だった誰かの死体を跨ぎ、踏み越えていった。その足を止められる宿主は誰もおらず、また敵の首が空へ舞う。
立ち塞がろうにも立ち塞がれない。正に理不尽そのものだった。
通ったあとには死体が並び、血が川を作っていた。
エルガが単騎で軍勢を横断しようかというとき、言葉にならない何かを喚いている宿主を発見した。蟷螂のように両腕が大きな刃物になっている。人間の面影が少なければ少ないほど力が強い。その個体がそうだった。
おそらく、この部隊の長。
軋むような鳴き声を上げた蟷螂の宿主が周囲の宿主を押しのけ、怒りの形相でエルガのほうへ向かってくる。
「同じ力を持ちながら何故人間に与する!? 何故立ち向かってくる!?」
咆哮する蟷螂の宿主にもエルガは冷静だった。
「操蟲撃滅が、俺たちの使命だからだ」
敵が鋭く上と横から斬撃を放つ。
しかし、事はすでに済んでいた。
「勇敢と無謀を履き違えたな」
すれ違いざまにエルガの放った一閃により、すでに敵は両断されていた。
部隊長と戦意を失くした敵残党は、エルガとドウロン率いる部隊により殲滅。死体の山が築かれた。