魔導人形に二度目の眠りを

第1章 変わり果てた世界 ⑤

「そんなことないわ。みんな、つらかったのよ。被害に遭うことはもちろんだけれど、ああやって誰かが被害に遭うときに、自分が見ているしかできないってことが。エルガが怖いベリングをやっつけたおかげで、勇気が出たのよ」


 ベリング以外は普通の人間だった。倍近い人数がいれば、町民たちでも無力化することは難しくなかった。


「そういう意味ではなく。この町を管理している者に知られれば、町民のみなさんに罰があるのではないですか? それに、また別の騎士長が来るでしょう」

「罰? 誰も受けないわ。だって、ベリングたちは来なかった。今日、この町の人は誰もそんな人たちは見なかったんだもの」


 はっきりとした口調に、なるほど、とエルガは納得する。


「内緒ですか」

「ええ。そうよ」


 きようしんしんといった様子でリーニアが顔を寄せた。


「ねえ、剣を作ったでしょ? やりになって矢になって、剣になって炎が出て。あれって何?」

「……」


 モグモグ、と口を動かすエルガは、なんと説明したものかと考えた。


「深入りはしないほうがいいです」

「ベリングのことを宿主って言ったじゃない? なんなのか、教えてちょうだい。もしかすると、反抗するためのヒントになるかも……」

「反抗?」


 エルガが繰り返すと、リーニアは唇の前で人差し指を立てた。


「あとでね」

「これだけは教えてください」

「何? あ、エッチなのはダメよ?」


 リーニアはいたずらっぽく笑って、胸元を腕で隠した。


「違います」


 エルガがきっぱり言うと、鼻白んだようにリーニアは目を細めた。


「……わかってるわよ。冗談通じないのね」

「ベリングのように、体が異常に大きかったり異変をきたしている人物は他にいますか? 怪物のように体が変わるような」


 ベリングが特別であれば、あとは魔術師を探して封印してもらおう、と段取りを考えるエルガだったが、リーニアが食事を続けながらさらりと言う。


「お館様がそうよ。ああいうの、そんなに珍しいことでもないでしょう?」




 昼を過ぎたあたりから酒宴がはじまり、夜を迎えていた。

 窓の外からは、飲めや歌えやの大騒ぎをしている男たちの声がまだ聞こえてくる。

 リーニアの家にやってきたエルガは、ベッドに横たわる家主をていた。


「気持ち悪い……」


 血色は非常に悪く、紙のように白い。


「あなたのような少女がたくさん飲むようなものではないでしょう」

「だって、みんなが楽しそうだから」


 この世界のこと、宿主のこと、他にも色々ときたいことがあったのだが、真面目な話をする前に、酒を飲みすぎてこうなってしまった。


「教訓にすることです。楽しいからと飲みすぎると、また道端で盛大に吐くことになりますよ。人前でなかったから良かったものの」

「やめて……言わないで……」


 自重するように、とエルガは酒屋で再三忠告したが、リーニアは聞かなかった。

 上機嫌に杯を重ね続け、やがて死んだように机に突っ伏すので、酒屋の主人に頼まれ、エルガは教えてもらった家まで送ることになり、今こうしている。

 胃の中にあった物を道端に生えた雑草の肥料にしたのは、その道中での出来事だった。


「見ないでぇ~、ではありません。介抱する以上見てしまいますから」

「エルガって、厳しいのね……」


 はぁ、とエルガは小さなため息をついて、寝台の脇にあった椅子に腰かける。

 もう一つ寝台があることから、誰かと暮らしているのは想像がついた。


「ご家族がそろそろ帰ってくるのではないですか」

「……帰ってこられたらいいのだけど」


 頭痛に顔をしかめながら、リーニアは力なく笑う。

 調理場のあたりに水をめたかめがあったので、水差しに注ぎ杯を持ってリーニアのところへ戻る。


「水、飲みますか」


 尋ねると、リーニアは緩慢な動作で起き上がり、エルガが入れた水をゆっくりと飲んだ。


「兄と二人で暮らしていたの」

「いた?」

「エルガが王政側だったら、ベリングに立ち向かうなんてことしないわよね」

「王政側?」

「兄は、現王政に異を唱える解放軍を指揮していたの。けどそれがバレてしまって、連れていかれてしまったわ」


 また喉を潤すリーニアは、杯の中にある水に目線を落とした。そこにかつての記憶があるかのように、じっと見つめている。


「今日来た騎士やお館様みたいな特別な人が、私たちを奴隷のように扱っているわ。この町が特別なわけではなく、他もそうだと聞いている。旅人のあなたも、こういった光景はどこかで見かけたんじゃない?」


 否定をするか迷ったが、まずは話を引き出すことにした。


「傍若無人な振る舞いでしたね」

「そういった扱いに堪えられなくなった兄は、志を同じくする近隣の村や町の人たちを集めて、解放軍を作ったのよ」

「リーニア、あなたは?」

「私も、手伝いみたいなことを少しだけ。兄には、関わるなとキツく言われていたけれど、不満を持っていたし、町の人たちの暮らしを良くするためなら、多少危険だったとしてもできることならなんでもやりたかった」


 そして、その活動がお館様と呼ばれる近隣を納める領主に知られ、リーニアの兄は連行されていったのだという。


「そういった身分でしたら、見せしめに処刑されそうなものですが」

「身内の妹相手に発言が遠慮ないわね」


 あきれたような半目でリーニアは口をへの字にするが、負けを認めたように肩をすくめた。


「まあ、おつしやる通りよ。他の解放軍の人たちは、裏の顔がバレるとベリングたちがやってきてその場で……」


 その先は言わず、口をつぐんだ。


「兄の捕縛が判明して、解放軍は今では解散状態。もし兄が捕まっているのなら助けたい。でも私一人じゃ何もできなくて。町のみんなを巻き込むわけにもいかないし」

「そこに、俺が現れたということですか」

「そう。あの恐ろしいお館様にも、あなたならかなうかもしれない」


 しゃべっていくうちに酔いが覚めたのか、口調もしっかりしたものに戻っていった。


「リーニア、こちらからも質問を」


 うん、とうなずくのを確認して、エルガは尋ねた。


「そのお館様というのは、この一帯を治める貴族ですか?」

「そう。ブリッツ伯爵。この町の他にもいくつか町と村を治めているわ。それぞれにベリングのような騎士長を置いて、名目上は治安を守っているの。実態は、お館様が気に入りそうな娘や子供、金品を家探しして持ち帰るだけの強盗よ」

「体が怪物のようになるというのが、ブリッツ伯爵? それは、その人物だけの特異なものですか? 他にも目撃したことは?」


 矢継ぎ早な質問に戸惑うリーニアだったが、考える間を置いて答えた。


「お館様とベリング以外はないの……。ただ、しきで働いていた人がそういう話をしていて」

「ご自身で目にしたことはない?」

「ええ。けれど、貴族ってそういうものでしょう? その手の話はよく聞くわよ」


 す、とエルガの目が細まった。

 やはり宿主が他にもいるのだ。

 そしてこの少女……。

 背後から介抱したとき、服の隙間から左の僧帽筋からやや下あたりにあざがあるのが見えた。

 あれは──。


「ねえ、エルガ。お願い。あなたがいれば、捕まっている兄を救うことができるはず。解放軍をまた組織すれば各地の情報も入ってくる。そうしたら、そのマジュツシ? だったかしら。それも探せると思うの」


 宿主がたまたまこの地域にだけいるとは思えない。さっきの口ぶりからして、特権階級は往々にしてそういった傾向があるとのこと。

 そう考えると、手近に情報網があるほうが宿主を発見しやすくなる。

 そうを感じ取るには、視界に入る程度近づかなければならない。あてもなく探し回るより、そのほうが効率はいい。


「協力してくれるのなら、ここにいる間この家を好きにしてくれていいから」


 金もなく夜露をしのぐ屋根もないエルガにとって、それは願ってもない話だった。

 そう撃滅の使命を遂げるのは、速やかなほうが望ましい。人民への被害が結果的に少なく済む。そして使命が終われば、魔術師を見つけてまたあそこに封印してもらえばいい。そのためには、拠点になる場所が必要だった。


「わかりました。できる限りのことはさせていただきます」

「ありがとう。改めてよろしくね。リーンとかリイとか愛称で呼ぶ人もいるけれど、好きに呼んでちょうだい」


 エルガの手を取ってリーニアは握手をした。


「では、リーンと。よければ、ファミリーネームを教えてもらえますか?」

「ファミリーネーム? そんなもの、貴族でもないしないわよ。町のみんなもそうよ」

「そうですか」


 当時も田舎町や村の住民でファミリーネームがないのは珍しくなかった。

 エルガは質問を変えることにした。


「エウデュリアという姓に聞き覚えはありませんか」

「いいえ」


 首を振るリーニアに、そうですか、とエルガはまた応えた。

 ……あのあざ

 見間違いでなければ、エウデュリア王国王家の血筋に現れるとされる聖印だ。

 その王国は、エルガをはじめとする魔導人形が仕えたかつての王家。

 あれは、王家の血をリーニアが継いでいる証拠だった。