魔導人形に二度目の眠りを

第2章 宿主 ②

 出してくれたのは、半分ほどのパンに皿の底が見えるほどしか入っていないスープ。一人分を分けてくれているようで、お世辞にも量が多いとは言えない。


しきに詳しい人物に思い当たる節はありませんか? さっき言った商人は?」

「商人は、時々やってくるだけで普段町にいないわ。それ以外で詳しい人となると……」


 顎に指を添えて宙に視線をやるリーニア。何かを思い出したのか、目線がエルガに向いた。


「ずいぶん前に、お館様のしきの改築をした職人のおじいちゃんがいるわ」

「なるほど。図面を見たこともあるでしょうし、兄上がとらわれているであろう場所がわかるかもしれません」


 善は急げと食事を済ませたエルガとリーニアは、その職人が住む家へと向かった。



「お館様のおしきのことなんていて、何する気だ?」


 老夫婦二人で暮らしている簡素な家にやってきたはいいが、リーニアが用件を言うとすぐさま老職人は難色を示した。

 老職人は不安げにリーニアに目をやって、そのあとエルガにもいちべつくれた。


「兄を──」


 この流れからして、バカ正直に言って教えてもらえるとは思えない。エルガはリーニアを小突いた。


「ちょっと、何」

「ここは俺に任せてください」


 不思議そうに首をひねるリーニアに変わってエルガが話した。


「以前俺がお館様のおしきに滞在していたとき、忘れ物をしてしまって。それが非常に大切なもので、用件を伝えても門前払いされてしまうのです」


 ん? と想定と違う話にリーニアが不審げにエルガをのぞき込む。老職人はほぅ、と耳を傾けた。


「あんた、昨日ベリングをやっつけた旅の人か」

「はい」


 ふうん、と老職人は鼻を鳴らして、もう一度エルガの顔を見る。


「あんただけになら、いいか」

「私は?」

「リイちゃんはダメだ」

「なんでよー?」


 唇をとがらせて不満を言うリーニア。老職人はエルガだけ中に招いた。扉を閉める直前までリーニアはずっとふくれっつらをしていた。


ばあさんの足が悪くてな。もてなしはできんが」

「お構いなく。リーンには聞かせたくなかったのですか?」

「ああ。もちろん。あいつの兄貴……ルカスが、とらわれているって話は? 知ってるならいい。しきの中のことや侵入できそうなところがあるって聞いてみろ。あのじゃじゃ馬、一人で行っちまうだろ」


 ふっと脱力した老職人は、深い笑いじわを作る。


「真面目で誠実で正義感があって、おひとし。そんなバカなきようだいだよ。町のみんな、好きなんだ。二人とも、オレらじじいばあさんは赤ん坊の頃から知ってる。あの子に、危ねえはさせたくないんだ」


 とても大切にされて、おもわれている。こういったことをなんと言うのだったか、とエルガはすうしゆん考え、思い出した。

 そうだ。愛されている、だ。

 それはこの老職人だけではなく、町の人たちからも感じられた。


「では、侵入経路はあると?」

「そういうこった」


 続きを待っていると、老職人はエルガの背後を指差した。振り返ると、リーニアが窓ガラスにへばりついていた。


「リーン、進む話が進みません」


 窓を開けたエルガが至極迷惑そうに言うと、リーニアは納得いかなそうにねた。


「どうして私がいちゃいけないのよ」

「それが先方のご希望ですから」

「あ、そ」


 投げやりに言うと、怒ったような大股で家から離れていった。


「もう大丈夫です」


 老職人が優しいまなしでリーニアが去った方角を見つめている。孫に近い年代のせいか、ああいう跳ね返り娘がわいく映るらしい。


「手間取らせてすまんね、旅の人」

「いえ」

「本題に戻ろう。もう一四、五年も前になるが、おしきの改築作業にこの町の大工たち数人が携わった。そんときには、地下室があるんだなぁと思ったことを覚えてる。貴族様のおしきってのは、そんなもんがあるんだなと感心したもんだ」

「では、リーンの兄上はその地下にとらわれている可能性があるということですか」

「さすがにそれはわからねえ。ただの食料庫かもしれねえしな」


 エルガが知っている当時の貴族のしきに、地下室は珍しくなかった。老職人が言うように食糧庫であることが多いが、懲罰房という場合もあった。それ以外にも、何かあったとき、その地下から別の場所に出られる脱出経路が確保されていることもあった。


「別棟を建てたりした他に、地下から続く秘密の抜け道を作った。しきの向かいにある丘に続いている。口外禁止とキツく言いつけられて口止め料みたいなもんをもらった」

「いいのですか? 俺のようなものに口を滑らせてしまって」

じじいになると、昨日食った飯の内容も覚えてねえんだ。誰に何しゃべったかなんて、すぐ忘れちまうよ」


 カカ、と老職人は肩を揺らした。

 リーニアが商人から聞いた話では、兄らしき人物がいるかどうかわからないと言っていたそうだ。見つからないのであれば、その地下にとらわれていると考えるのが自然だろう。


「忘れ物、見つかるといいな。万が一お館様にバレてみろ。ベリングを倒せるほど強いあんたでも、お館様にはかなわねえ。忘れ物は諦めて逃げることを勧めるよ」

「ブリッツ伯爵の特別な力を見たことがあるのですか?」

「たまたま、一度だけな。しきの改築中のことだ。かんしやくを起こして男の使用人を殺したのを見ちまった。そのときのことは、思い出したくもねえ。この人に逆らっちゃいけねえ、地下の抜け道のことを他言しちゃオシマイだって思わせるには、十分だったよ」


 思い返したのか、老職人は、眉間にしわを作りゆっくりと首を振った。

 やはり、ブリッツ伯爵は宿主で間違いないだろう。老職人の話ではもう六〇歳に近いという。筋力体力が落ち、病気にもなりやすい年代だ。

 次の体をリーニアの兄ルカスに決めてもおかしくはない。


「リーニアには、今した話は聞かせないでくれ。もしも、忘れ物のついでに……勝手すぎるお願いだが、ルカスをもし見かけたら連れ出してやってくんねえか」

「善処します」


 立ち上がって、エルガは老職人と握手をして家をあとにした。

 老職人の家のそばにある木の下にいたリーニアは、合流するとエルガをなじった。


「あんな適当なことをおじいちゃん相手に平然とよくツラツラとしゃべれるわね。信じられない。大うそつき」

「リーンがバカ正直に用件を伝えていたら、あの老職人は何も教えてはくれなかったでしょう」

「どうしてよ」

「町の人は、あなたを危険な目に遭わせたくないと思っているからです」


 知り合いたちの顔が思い浮かんだのか、リーニアは気勢をがれたように口ごもった。


「そうかもしれないけれど……」

「しかし、そのうそつきのおかげで、重要な情報が手に入りました」

「え、ほんと?」

「ですが、俺は大うそつきなのでリーンに本当のことを言うかどうかは怪しいです」

「ちょっと、ねえ、うそつき呼ばわりしたこと、根に持ってるの?」

「いえ。全然」

「いや、持ってるわよ、絶対。なんか嫌な言い方だったもの」

「俺が情報をき出したこととそれをリーンに話すのは別問題なので」

ねてる」

ねてません」


 町の人たちが、善い人間であることはエルガにもわかった。娘や孫のようにわいがっているリーニアを災難から遠ざけようとする人情も、理解することはできた。


「エルガが一人で行ったって、誰が兄なのかわからないでしょう?」