第一章 大魔導師の後継者①

 子どもの頃は夢と希望にあふれていたジルベルトだが、今は見事なまでにダメ人間へと成長していた。具体的にどれくらいダメ人間かというと、太陽が頂点に達した時間にもかかわらずソファでぐーたら横になり、時間がつのをただ待ち続ける程度にはダメ人間だ。


「ご主人様、真っ昼間からだらだらされると邪魔なんですけど」


 目を開ける。絶世の、と頭につくほど美しい容姿をした銀髪のメイドが掃除機を構えて立っていた。


「アルト、お前なんて目で見てんだよ……」


 あかい瞳がゴミを見るように見下ろしている。人によってはごほうだろうが、残念ながらジルベルトの性癖とは合っていないので怖いだけだ。

 彼女は無言で掃除機のヘッドを取ると、細い円形の部分を股間に押し当ててきた。ぴったりと股の間にセットする仕草は、あまりにも手慣れている。


「おい、なにする気だ。掃除機はめろ」

「それはつまり口で吸ってもらいたいと? ご主人様は変態ですね。まあそれが望みなら全力でやらせていただきますが?」


 獲物を狩る捕食者のような目で見られ、これ以上抵抗すると本当にズボンを下ろされ股間を吸われかねない。そう思ったジルベルトは諦めて立とうとする。しかしある一ヶ所を押さえられているせいで、身動きが取りづらい状況だった。


「退くからさっさとこの掃除機をうおぉぉぉっ!?」


 アルトが自然な動作でスイッチを入れたせいで、股間がすさまじい力で吸い取られそうになる。

 慌てて立ち上がると掃除機の吸引口も付いてくるが、勢いでなんとか外れてくれた。


「お、おま……いきなりきようでやるやつあるか!?」

「全力でやると言ったはずです。それに、さっさと立たないご主人様が悪い」


 淡々と告げられると、本当に自分が悪いんじゃないかと思ってしまう。しかし世の中、男の股間をいきなり掃除機で吸うよりひどい悪行があるだろうか? とも思ってしまうのだ。


「どうやらまだ反省が足りないようですね……それなら本当に口で──」

「お前、どこ見てる」


 小声でなにかを言いながらみずみずしい唇に指を当て、アルトはようえんに笑う。そんな彼女の視線が明らかにヘソより下に向いているので追及すると、視線を上げて何事もなかったかのような澄まし顔に戻った。


「ご主人様はお気になさらずに。はい、お掃除お掃除っと」


 誤魔化すようにソファの下に掃除機を入れて掃除を再開したアルトを見て、ふと思う。

 ──そこ、俺が横になってても掃除できたんじゃね?

 邪魔だったのは否定できないのでなにも言えないのだが、釈然としない気持ちになった。


「ん?」


 アルトの背後から彼女を見ると、一房に結われた髪が尻尾のように揺れている。これは彼女の機嫌がいときに見られるものだ。


「はい、終わりましたよ……ご主人様?」


 掃除機を止めたアルトは、不思議そうにジルベルトを見る。

 普段はもっと冷徹な雰囲気があるのだが、やはりどこか柔らかさがある気がした。


「お前、なんかいことでもあった?」

「え、どうしてわかったんですか?」

「まあ、八年も一緒にいたらな」


 癖を見ていたと言うのは少し恥ずかしく適当に誤魔化すと、アルトは頰に手を当ててうれしそうな顔をする。


「ご主人様に性奴隷として連れ去られてから、そんなに時がちましたか。初めて出会ったあの日、嫌! もうめて! と泣き叫ぶ私を無理やり抱きしめて激しく──」

「お前、冗談でも外で言ったら二度としきに入れねぇぞ」

「横暴です」

「正当だよ!」

うそいてないのに……」


 そもそもメイド服は彼女が勝手に着ているだけで、性奴隷として買ったどころか従者として雇ったわけではない。

 事情を知らない人間からしたら主従関係に見えるだろうが、本質的には同居人というのが正しく、親をくしたアルトをジルベルトが家族として迎え入れただけの話である。


「ちなみに私はもう十八歳で、ご主人様は二十四歳なので結婚もできます。なぜならこのヴィノスでは十五歳から結婚できるからです」

「……なんで今それ言った?」

「いえいえ、他意はありません。ありませんよーっと」


 掃除機を片付けるためアルトが離れたので、ソファに腰を落ち着ける。いじってくるのは毎度のことだが、鼻歌まで歌っていて本当に機嫌が良さそうだ。


「これはこれで疲れるが、まあいいか」


 機嫌を損ねると干したとんが妙に湿っていたり、読もうと思っていた本の並びを全部逆にしたり、ジルベルトの嫌いな食べ物だけで料理を作ったり……。

 家事全般をやってくれている中、絶妙に怒りづらい嫌がらせをしてくるので今日みたいに機嫌良くいじってくる方がマシだった。


「立つことのできたご主人様には、ごほうとしてお茶を入れてあげましょう」


 さすがにそれは甘やかされすぎじゃね? と思いながらアルトを見ると、お盆に昼食と紅茶、それに新聞を載せた状態でやって来る。


「朝刊が見当たらないと思ったらお前が持ってたのかよ。朝の占い見損ねたじゃねぇか」

「起きて最初に見るのが新聞の占いなあたり、ご主人様って乙女みたいな趣味してますよね」

「誰が乙女だ」


 元々眼光の鋭いジルベルトがにらむと、裏社会の住民のような雰囲気になる。もし彼を知らない子どもが見れば大泣きして逃げ出すだろう。

 もっとも、長年そばにいるアルトは怒られようとどこ吹く風だ。


「オトメンとかいうジャンルがったのは結構前で、今更ご主人様が目指してももう遅いですしモテないと思いますけど……あ、でも私はオトメンチックなご主人様も格好いいと思いますよ? ええ、多分この世界でそう思うのは私だけなので、料理とか育児をする場合は私の前だけにしてくださいね。あとご主人様のエプロン姿はぜひ見たいので今度見せてください」

「お前は本当にぶれねぇなぁ……」


 一息で自分の欲望を言い切ったメイドに感心しながら紅茶を飲み、新聞を手に取る。占いコーナーだけ切り取られていた。アルトを見ると口元がヒクヒク動いて笑うのを堪えている。

 ──なんて嫌なメイドなんだ。


「……はぁ」


 ジルベルトはいききながら仕方なく見出しを見て、思わず目を丸くする。


グランドマスターイシュタル・クロニカの直弟子、次々と襲撃される! 犯人の目的はいったい!?』


 そんな大きな見出しと、しきを半壊にされて途方に暮れるボロボロにされた兄弟子の写真が載っていた。


「……お前が機嫌良かったの、これか」

「はい! こいつら嫌いなのでざまぁみろ! です」

「そうか。それよりも……」


 ジルベルトは新聞を読み進め、顔を青ざめさせる。

 グランドマスターイシュタル・クロニカはユグドラシル大陸史上最強の魔術師とうたわれ、古代龍や魔王すら殺してみせた超越者。そしてこの魔導都市ヴィノスに存在する魔術協会の長である。