第一章 大魔導師の後継者②

 ヴィノスはどの国にも属さない独立都市であるが、それはこのイシュタルが存在するから許されていると言っても過言ではない。

 そんな女性の直弟子も当然人類最強クラスの傑物たちだ。それが襲われたとなると、新聞の一面にデカデカと載るのも納得できる

 問題なのは、イシュタルの直弟子は自分を含めて

 そして──新聞には昨日の時点でが襲われたと書かれており──


「アルト! 急いで結界の強化を! あとできる限り殺傷力の高いわなを仕掛けろ!」

「当然もうやってます。これ以上ないってくらい万全の態勢で。なにせご主人様の優秀なメイドさんですからね」


 どや顔したアルトをジルベルトが本当に褒めようとした瞬間、バリンと結界が破れる音がした。続いてしきの庭では激しい爆発音が鳴り響き、それが徐々に近づいているのがわかる。


「「……」」


 万全の態勢があっさり壊されていく状況に気付いた二人は、お互いに目を見合わせた。


「なあ優秀なメイドさん。俺は逃げるから、足止め頼んだ」

「無理です嫌です、というかどうせあのババアの用事はご主人様に──」

「はーはっはっは! なかなかの結界だったが、この私を止めるにはまだまだだなぁ!」


 二人が押し付け合いをしていると、窓をぶち破りながら美しい女性が入ってくる。

 太陽を反射する黄金の髪、自信ありげなへきがんに、美の女神を体現するような抜群のプロポーション。年齢は二十代半ばに見えるが、実年齢はその数倍以上であることをジルベルトたちは知っていた。

 古代龍の生き血を全身に浴びたことで永遠の若さを手に入れ、大陸西部に存在する魔界ニヴルヘルの魔王すら殺してみせた人類最強のグランドマスター──。


「ようジル! お前が愛してまない大好きなお師匠様が遊びに来たぞ!」

「異議あり! ご主人様が愛してまないのはこの私です!」

「馬鹿アルト! 話をややこしくする前に逃げるぞ!」

「でももう私たちが張った結界が乗っ取られてしまったので、あんな感じで……」


 アルトが指さす方を見ると、このしきと外の世界を区切るようにオーロラのような空間の揺らぎが発生している。本来は外敵からしきを守る超高度な結界で、触れれば激しい魔力の迎撃が襲うはずの結界魔術。それが今、ジルベルトたちを逃がさないように敵意を内側に向けていた。


「そういうこと! というわけ、けんするぞ!」

「っ──!?」


 イシュタルと距離があったはずなのに、一瞬で詰め寄られて腕をつかまれた。そう思ったときにはすでに破られた窓からしきの庭に放り出される。


「このっ!」


 地面を削りながらイシュタルをにらむと、彼女の腕から激しい紫電がほとばしっているのが見えた。

 ──やべぇ!?


召雷ライトニング! 雷の矢!」


 とつに横に飛び、同時に飛んできた雷の矢をける。

 かわした、と思ったときには強烈な衝撃が頭を打ち付け、身体からだが一瞬で何回転もしながら飛んでいた。


「っ──!?」

「遅い。私の後継者候補のくせに、怠けすぎなんじゃねぇか?」


 ぞっとするほど冷たい声。

 蹴られた、と理解したのは回転した先で美しい足を上げた状態のイシュタルが見えたから。

 死んだ、と思ったのはそのイシュタルの腕に魔力が込められているのが見えたから。

 呼吸が止まり、死の気配に襲われる。


「ま、この程度もさばけないんじゃ死んでも仕方ないな。召雷ライトニング……爆雷球」


 ほれ、とイシュタルは軽く物を投げる仕草で爆雷球を放つ。

 あっさりした動作からは想像もできない速度で迫るそれは、もうけることは不可能。

 脳が揺れる中、無防備に受ければ本当に死んでしまう威力で──。


「ふざ、けんなぁぁぁ!」


 いきなり来て、しきちやちやにして、ボコボコにしてきて、ジルベルトの怒りは限界に達する。ほうこうを上げると同時に体内へ魔力を通し叫んだ。


付与エンチヤント!」


 全身に行き渡る魔力によって身体からだが熱くなり、揺れていた脳によりぶれていた視界も明瞭に。

 魔術は大きく分けて、攻撃、防御、支援、回復の四つに分類される。

 ジルベルトが得意とするのは、支援魔術の中でも最も高難易度に属する魔術『付与エンチヤント』。

 対象の魔術の威力を増幅、あるいは属性を付与・変化させることができる魔術だ。

 使いこなせば強力だが、対象となる一つ一つの魔術に対して深い理解が必要なうえ、いまだに解明されていない感覚部分ですら制御しなければならず、使える場面も少ない。

 苦労に対して結果が伴わず、付与エンチヤントを習得するなら他の魔術を鍛えた方が効率がいい、というのが魔術師たちの共通認識だ。

 そして、そんなになのほとんどいないこの付与魔術を、ジルベルトは世界中の誰よりも使いこなしていた。

 ──死の危険があるのは強力な雷だからだ。ならその属性を変化させてやればいい!


「雷を水に!」


 爆雷球に二本の指を差す。燃えるような衝撃が指先に走る中、ジルベルトはその魔術を水の属性へ変換。熱湯となった球体が手をらす。

 本来命を刈り取るはずだった爆雷球の一撃を、二本の指の火傷やけどという最小限のダメージに抑えることができた。


「一瞬で属性を変化させるとはな! 相変わらずそっちの腕は悪くない!」

付与エンチヤント! 治癒を最大に!」


 イシュタルがうれしそうに叫ぶが、それを無視して再び付与魔術を使う。

 本来ジルベルトには回復魔術の才能があまりなく、かすり傷を治せる程度。しかし付与エンチヤントによってその効果は最大限まで引き上げられ、火傷やけどした指が元に戻る。

 回復魔術のエキスパートほどでないが、この程度の傷であれば治すことも可能だった。


「これで──」


 状況は振り出しに戻った。油断さえなければ、あんな不意打ちのような蹴りもらわない。

 そう思ってイシュタルをにらむと、彼女の背後には雷の矢が千を超えて展開されていた。


「まじでさ……ふざけんなよ?」

「これ全部を属性変化させられるか見物だなぁ」


 イシュタルはニヤニヤと人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。

 それを見た瞬間、かつての修業内容が走馬灯のように流れ、怒りが頂点に達する。

 ジルベルトの脳内で、プツンとなにかが切れる音がした。


「やってやろうじゃねぇかクソババアァァァァ!」


 その叫びとともに、万の軍勢同士が争い合うような爆音がしきの周辺に響き渡った。

 先ほどまでソファでだらけていた男とは思えないほど機敏な動きで、ジルベルトは次々と雷の矢をさばいていく。

 一手ミスればあの世行きになりそうなそれを、極限の集中力で属性を変えていき──。


「あ、ご主人様。私が丹精込めて作った菜園壊したらぶっ殺しますからね」

「アルトお前も状況見て言ってくんねぇかなぁぁぁぁ!」

「だいぶなまってると思ったが、意外とやるじゃないか。というわけで、おかわりだ!」

「ちょっ、うそだろ!? クソがぁぁぁぁぁ!」


 無情にもさらに追加される雷の矢に押し切られたジルベルトは、そのまま魔術の海に飲み込まれるのであった。