第一章 大魔導師の後継者③

「ああ、いてぇ……死ぬかと思った……」


 最終的にアルトの菜園だけは守り切ったジルベルトだが、ボロボロの身体からだってしきのソファに座る。

 先ほどまで黒焦げで地面に倒れていたことに比べるとだいぶ回復しているが、それでもダメージは大きい。もっとも、普通の人間だったらとっくに死んでいる攻撃だったが。


「クソが」


 悪態をく権利くらいはあるだろう、と目の前に座るイシュタルをにらむ。

 しかししゆにんである彼女は、むしろあきれた様子でいきいてくる始末。


「はぁ……こんな死に損ないのババア相手に誰も勝てないとか、私は悲しいぜ。これじゃあ落ち着いて引退もできやしない」

「だったら死ぬまで現役してろよ」


 すでによわい八十を超えているはずだが、いまだに史上最強の名を欲しいままにしている。

 その弟子であり、子どもの頃から彼女を見てきたジルベルトは時々、自分の師匠が本当に同じ人間なのか疑わしく思う。

 ──新聞にも書いてあったが、全員と戦った後なのに元気すぎるだろこのババア。

 直弟子たちはそれぞれが大陸最強を名乗ってもいい実力者だが、見たところイシュタルにらしいはない。本当に化け物だと改めて認識する。

 新聞には犯人が誰かわかっていないように書かれていたが、彼らを倒せるのはこの女傑以外にはいないのだから、あの新聞社もグルだろう。

 そもそもこの都市を運営している魔術協会のトップが目の前の師匠なのだ。なにかあってもすべてもみ消せる権力者であり、一新聞社程度が抵抗できるはずもなかった。


「で、結局なにしに来たんですかこのババア」

「おいジル、お前のせいでアルトの口が悪いぞ」

「こいつの口が悪いのは元からだよ」


 改めて紅茶を用意したアルトがジルベルトの前に置く。


「どうぞご主人様。最近香りがいと評判の紅茶らしいので、買ってみました」

「おう」


 カップからはたしかにい香りがした。奮発したのだろう。


「どうぞババア。らしのお茶を用意してみました。お口に合えば幸いです」

「……さすがにここまで嫌われてると傷付くんだが」


 明らかな対応の違いに、豪胆なイシュタルも少しった顔をした。

 アルトの過去を考えたらこの対応は当然だろうと思うが、あえて口には出さない。


「さて、気を取り直して……私が来た目的だったな」


 その言葉とともに、しきのチャイムが鳴った。

 しきの周りには普段からひとけの結界を張ってあるので、知っている人間以外は辿たどけないようになっている。だというのにこのタイミングで来訪者など、イシュタルがらみであるのは間違いなく──。


「なあ、嫌な予感しかしないんだが」

「奇遇ですね。私もです」

「ほら客人だ。さっさと連れてこい」


 いったい誰がこのしきの主なのか、そう言いたくなるようなイシュタルの態度。

 どうせろくなことはないのだから無視を決め込みたいところだが、ここでその行動を取っても目の前の女傑はいなくならない。


「……アルト、行ってこい」

「はぁ……仕方ありませんね」


 嫌そうに出ていくアルトを見送り、しばらくすると一人の少女を連れて戻ってくる。

 見覚えのない少女だった。

 クセのある金髪を肩より長く伸ばし、あおいろの瞳はクリッと丸くあいきようがある。高級そうな白のドレスで小柄な身を包み、首にはシンプルながらも美しいペンダント。立ち居振る舞い、それに格好から彼女がどこか高貴な出であるのだろうということは一目でわかった。

 少女はジルベルトと目が合うと、なぜかうれしそうな顔をして、すぐに自分の頰を引っ張って表情を硬くしようとする。

 ──なんだ今の?

 いきなり挙動不審な動きをする少女に疑問を覚えつつ、貴族の娘がここにやって来た理由を考え、答えが出ないことだとすぐ理解する。諸悪の根源であるイシュタルを見ると、ニヤニヤと笑いながら今の状況を楽しんでいて、まともな理由じゃないことは明白だからだ。


「私ももうい年だ。そろそろ正式に後継者を決めようと思ってな」

「弟子の俺らの寿命が尽きても暴れ回ってそうなクセに」


 ──とはいえ、このババアの名前はマジで大きいからな……。

 この魔導都市ヴィノスの魔導技術は、大陸に存在する各国の百年先を進んでいると言われている。魔術の進歩による軍事力は他国を大きく引き離し、ただの一都市であるにもかかわらず、大陸の全国家と戦争をしても勝つのはヴィノス、というのは周知の事実だ。

 そんな都市の運営を王侯貴族ではなく魔術協会がにない、その協会長という地位に立つのがこのイシュタル。彼女の弟子というだけで周囲の目は変わる中、後継者になど任命されたら──。

 ──地獄だな。

 人知れずのんびり過ごしたいと思っているジルベルトにとって、名声というのは邪魔でしかない。想像しただけでぞっとする話だった。

「しかし、今のままじゃ誰も私を超えられそうになくてなぁ……」

 そんなジルベルトのおもいなどは一切伝わらず、イシュタルは言葉を続けている。


「だから私の弟子の中でやつを後継者にすることにした!」

「……は?」


 明らかにおかしな選定方法に、ジルベルトは思わず聞き返してしまう。

 イシュタルが連れてきた貴族の少女を見れば、その言葉に対して目を輝かせて、鼻息荒くうんうんとうなずいていた。


「弟子を育てることで己の未熟さを見直し、ともに成長する。我ながら天才的なアイデアだな」

「まさか……」


 嫌な予感がした。ヒタヒタと足音を鳴らしながら、面倒なことが近づいてくる気配を感じた。

 ジルベルトは口元をらせながら、視線を貴族の少女に向ける。


「というわけで、こいつの名はラピスラズリ・ベアトリクス。お前の弟子になるやつだ!」

「いやなに勝手に話を進めてんだよ。もう少しちゃんと事情を説明しろって」


 ベアトリクス家といえば、魔導都市ヴィノスと隣接する国──アーデルハイド王国の侯爵家。

 剣術の名門として名をせ、特に長女の剣才は歴代トップクラスとして有名だ。

 ──だが今の時代を考えると……。

 この魔導都市ヴィノスが大陸西部から来る魔物たちを抑えていることにより、各国は魔物の襲撃もなく平和が訪れている。それにより魔術は戦いの技術から生活の質を向上させるものにシフトしていき、どの国も研究開発に力を入れ始めていた。

 今では貴族と平民が一緒になって魔術の研究するのが当たり前で──。


「ベアトリクス家は剣術の名門だが、魔術方面はからっきしでな。今後、貴族社会で生き延びるためにどうすればいいか、って前侯爵に相談されたんだよ」