第一章 大魔導師の後継者④

 この大きな時代の変化に、魔術研究の知見が劣る貴族たちは大いにあせった。たとえ名門であろうと、今後来る生活魔術の時代についていけなければ、待っているのはちようらくだからだ。

 当然、ベアトリクス侯爵家もそう考える。人界ミドガルズでも魔物が現れないわけではないが、西のそれに比べると弱く、人同士が戦争をするような時代でもない。剣術というのは徐々に廃れていくのは目に見えていた。


「それで魔術の才能があるラピスを養子にしたんだが、前侯爵としてはまだ物足りないらしい」

「他の貴族よりも上に立つ方法が欲しいってのはわかるが……」


 イシュタルの弟子は全部で十人いるが、それぞれが華々しい活躍をしている。

 そんな中、ジルベルトは他の弟子たちと違って唯一、表舞台に出ていない。今では彼がイシュタルの弟子だと知らない者の方が多く、弟子の数は九人だと思っている者もいるくらいだ。

 そんな自分の弟子になったところで、ベアトリクス侯爵家のメリットは少ないのでは? と思うのだが──。


「なぁに、要はわかりやすい装飾品が欲しいんだよ。ってことで私の弟子であるお前とラピスを婚約させたいって話になったんだが……」

「おい」

「コイツが婚約者よりも弟子になりたいって言うから、じゃあそれでって連れてきた」


 ベアトリクス侯爵家としては、婚約でも師弟関係でもグランドマスターイシュタルとのつながりが深くなれば良いと考えたため、ラピスの提案を受け入れたらしい。


「ふざけんな、誰が弟子なんて面倒なもん取るか!」

「はっ! なんと言おうと負けたお前が悪い! 悔しかったら私に勝てば良かったのさ!」

「こ、の、ババア!」


 このままでは本当に弟子を押しつけられてしまうと思ったジルベルトは、なにか言い返せることがないかと考え、自分の兄弟子たちを思い出す。


「つーかそもそも! 優秀な弟子を育てたやつが後継者っていうが、あいつらが弟子なんて育てられるわけねぇだろ! 数日でぶっ壊すに決まってるぞ!」

「弟子を大切にしないやつは私がぶっ殺すから大丈夫だ」

「よく自分のこと棚に上げてそんなこと言えるなテメェ!?」


 大切にするどころか壊れる方が悪い、と言わんばかりの育て方をされてきたジルベルトは、どうしても釈然としない。

 ちやちやなことを言うイシュタルに声を震わせながら、に兄弟弟子たちがまともな人間性を持っておらず、弟子を育てられるはずがないと力説する。

 しかしイシュタルは欠片かけらも気にした様子を見せず、最後には無視し始めた。


「さあラピス、自己紹介だ」


「は、はい! アーデルハイド王国ベアトリクス侯爵家、ラピスラズリ・ベアトリクス! 十六歳です! 好きなことは鍛錬! 嫌いなことは妥協! 好きな言葉は努力と根性があればなんでもできる! どんな厳しい修業にも耐えてみせますので、どうかよろしくお願いします!」


 ラピスの気合いの入った自己紹介に、アルトとジルベルトは思わず引いてしまう。


「どうしましょうご主人様。なんだかとても暑苦しくて、苦手なタイプです」

「どうするって言ってもよぉ……」


 ひそひそと耳打ちしてくるアルトの言葉に、ジルベルトは改めてラピスを見る。

 ふんす! と鼻息荒くしているが、手は震えていた。あおいろの瞳も不安そうで、緊張しているのがよくわかる。

 十六歳といえばこの都市では成人扱いだが、それでもジルベルトから見れば子どもみたいなもの。あまり無下に扱うのも気が引けた。

 ──マジでどうする気だよ……。

 イシュタルをにらむと、彼女は立ち上がり笑顔を見せる。


「じゃ、あとは若いやつらで」

「あ、おい!」


 一方的にそれだけ言って、イシュタルはその場から消えた。

 最初からその場にいなかったかのように、まったく魔術の気配すら見せずに。


「……ご主人様、塩いておきますか?」

「塩いた程度で退散させられるババアじゃねえだろ」

「本当に怪物みたいなババアですからね。とりあえずわなを強化しておきます。ところで……」


 残されたラピスを放っておくわけにもいかず、どうしたものかと扱いに困る。

 身に付けている品物は高級な物ばかり。きっと侯爵家の威信を懸けて盛大に準備をしたのだろう。もしここで弟子入りに失敗した場合、養子である彼女はどんなふうに扱われるか、想像するとあまりいようには思えない。

 ふと、ジルベルトはなぜラピスが婚約ではなく弟子入りをしたいと思ったのか気になった。


「なあ、ラピスラズリって言ったよな?」

「っ──!? は、はい! 長いのでラピスと呼んでください!」

「じゃあラピス。お前はなんで俺の弟子になりに来たんだ?」

「ぁ……えと、その……」


 ジルベルトの疑問に、ラピスが少し顔を赤くして困った顔をする。


「はぁ、まったくご主人様は鈍感ですね」


 なぜそんな表情をしているのかわからないでいると、アルトがいきいた。


「んだよ。お前はわかるって言うのか?」

「そんなのご主人様と結婚したくないからに決まってるじゃないですか」

「え? ちが……!」

「ああ、なるほどな」


 言われた言葉は腹立つが、納得のいく話だ。

 イシュタルは冗談のような雰囲気で話していたが、ラピスの状況はかなり切迫している。せっかく才能をいだされて貴族の仲間入りをしたというのに、気付けばどこの誰とも知らない男と婚約させられそうになったのだ。


「それなら弟子になる方がマシってことか」

「ええ、鬼畜調教師とまで呼ばれたご主人様の魔の手から逃れるには、これしかなかったのでしょう」

「その呼び名についてはあとでじっくり確認するとして──」

「夜にベッドの中でじっくりねっとり……」

「話が進まないから無視するぞ」


 ラピスのおもいを無視して、ジルベルトとアルトは彼女がそういうことだと認識していく。

 違うのだと否定しようとしたところで、ポロリと一枚の紙が落ちた。


「あん?」


 ジルベルトとラピスの名前が記載された婚姻届。

 ジルベルトは孤児だったため、保証人はイシュタルになっている。

 婚姻届にはクロニカ家とベアトリクス侯爵家の両家の名もしっかり入っており、あとは役所に提出すれば大陸中に認められることになる状態だった。


「ガチじゃねえか……」

「駄目!」


 ジルベルトがそれを拾おうとすると、ラピスが慌てて婚姻届を守るように抱える。

 弟子入りか、婚約か。どちらにせよ貴族とイシュタルに振り回された少女だから警戒するのもわかるが、婚姻届を奪うつもりのないジルベルトからすれば心外で──。


「これがなくなったら、師匠を脅せなくなっちゃうじゃないですか!」

「ん?」

「せっかくおさまに頼んでここまでこぎ着けたのに!」

「んんん?」


 なにか思っていたのと様子が違う気がした。