第一章 大魔導師の後継者⑤

「なあラピスラズリ、俺との婚約が嫌だから弟子になりに来たんだよな?」

「違いますよ! 師匠の弟子になりたいから来たんです! あとラピスって呼んでください!」

「そうか……なら放り出しても問題ないな? 別に弟子を取りたいと思ってないし」

「大ありです!」


 ラピスは手をビシッと前に出し、婚姻届を突きつけてきた。


「イシュタル様は言ってました! 普通にやっても師匠は弟子にしてくれないだろう、と。だから二人で考えたんです!」

「お前も犯人側かよ」


 婚約するくらいなら弟子にした方がマシかと思ったが、これなら追い出しても良さそうだ。

 そしてやはり余計なことをそそのかしたのは自らの師匠だという。


「さあ師匠! 私をお嫁さんにするか、弟子にするかの二択ですよ! ここで私を追い出したら、その足でこの婚姻届を役所に提出してきますからね!」


 その瞳はぐで、後ろめたさなどじんも感じている様子はなく、とても人を脅している人間の姿には見えなかった。

 つまり、純粋にヤバいやつである。


うそだろお前……そんな弟子入りの仕方あるか普通……」

「とんでもないのが来ましたね。私、ちょっと面白くなってきました」

「俺は全然面白くねぇよ……まあいい。紙を奪っちまえばいいだけの話だろ」

「いやっ!」


 同情の気持ちもなくなったジルベルトは、婚姻届に手を伸ばす。

 それを警戒したラピスは慌てて胸の中に隠してしまった。とつの行動だったせいか、ジルベルトも伸ばした手を止められず、そのまま胸に触れてしまう。


「あん……」

「……」


 一瞬固まる二人。

 ラピスの顔付きは少女らしさが残っているが、胸はしっかりつかめるほどには大きい。

 さすがのジルベルトも気まずくなって慌てて手を離す。


「す、すまん」


 顔を真っ赤にして震えているラピスに謝罪すると、彼女は顔を上げた。


「せ、責任!」


 その表情は、羞恥心に染まり涙目になっている。


「あん?」

「私のおっぱいんだ責任取ってください!」

「そうですね。おっぱいんだ責任は取らないと駄目ですね」

「おいアルト、テメェ楽しんでるだろ」

「正直、ご主人様が困る姿は見ていてとても愉快です」

「テメェーー!」

「弟子! それか婚約!」


 急に騒がしくなった室内。

 元より婚約などするつもりはないが、弟子を取るのも面倒だ。かといってイシュタルが連れてきた以上、弟子入りを断ったらまたやって来てボロボロにされるかもしれない。

 さっきは紙を奪って終わりだと思ったが、そう簡単な話ではなさそうだ。

 自分の胸を隠すラピスを見ながら悩んでいると、アルトが提案を出してきた。


「弟子入りの件ですが、試験をしてみてはいかがでしょうか?」

「試験?」

「今回の件、ご主人様の意思を完全に無視して行われた密約です。なので無視してもいいと思いますが、あのババアの場合拒否したらなにをしてくるかわかったものじゃありません」


 ジルベルトのねんてんをきっちり押さえて、アルトは淡々と言葉をつむいでいく。


「なのでラピスさんが試験をクリアできたら弟子入り。諦めたら婚姻届をこちらに渡して侯爵家に帰ってもらう、というものでいかがでしょう?」

「……諦めたら、ということは無期限か?」

「はい。ラピスラズリさんが諦めた、という事実が大切ですので」

「条件は?」

「どんな手段でも構わないので、ご主人様に一撃でも当てられたら合格が良いかと」

「……」


 仮にも弟子になろうと思っている以上、自分との実力差はラピスも理解しているだろう。

 だが勝てというならともかく、という条件は端から見たら悪くないように思えた。

 問題は、この提案がラピス側にメリットがないというところだが──。


「あの! 私、それでいいです!」

「なに?」

「その代わり……もし試験をクリアしたら、ちゃんと私を見てください!」


 このままなし崩しに弟子になっても、形だけで適当にあしらわれる可能性があった。

 もちろんラピスはジルベルトがそんなことをしないと信じているが、納得していない相手に無理やり弟子入りするのだ。そのような態度を取られても仕方がないというのも理解している。

 だからこそ、ラピスは必死に声を上げる。これはチャンスなのだと、そう判断して。


「本気で向き合ってほしいんです! だから、それが条件だとしたら……私のことを見てくれるなら、その試験受け入れます!」

「……」


 その感性、そして迷いなくチャンスを得るために動ける行動力はジルベルトから見ても悪くなかった。問題はそれをつかれるだけの実力があるとは限らない、ということくらいか。


「本当にいいのか?」

「はい!」


 ラピスが力強く返事をすると、アルトは淡々とした表情のまま告げる。


「それではラピスさん、貴方あなたが諦めるまではこのしきに滞在することを許します。応援はしませんが、客人として寝床と食事くらいは提供しましょう」


 不可能だろう、というニュアンスが込められた言葉だ。今回の試験はアルトが提案したものだが、今のラピスにはあまりにも難易度が高い。

 そのことにラピスは気付けなかった。

 ジルベルトは気付いたが、なにも言わない。


「先ほども言いましたが、どんな手段でも構いません。ご主人様に一撃でも当てられたら合格です。それでは、頑張ってみてください」

「はい! では行きます! !」


 その返事とともに風の剣を生み出したラピスは、力強く床を踏み込んで迫る。

 それをかわしたジルベルトは、軽くその顎に手を添え、でるように彼女の脳を揺らした。


「ぁ……」


 気絶して地面に倒れたラピスを、ジルベルトは淡々とした表情で見下ろす。

 イシュタルとの戦いでは一方的にたたきのめされたとはいえ、彼もかつては世界最強クラスの魔術師だったのだ。ブランクがあろうと、ラピス程度の攻撃、目を閉じていても当たらない。


「思い切りは悪くねぇ」

「ですがこれでは、いくらやってもご主人様に一撃を当てるなんて無理でしょうね」

「まあだが、約束だから付き合うさ。コイツが諦めるまではな」



 しきに住むのは明日からということで、ラピスは一度荷物をまとめるために宿へ戻る。

 その夜、イシュタルによって破壊されたしきの修復を終えたジルベルトは、リビングのソファでひといきいた。


「あのクソババア、ちやちやしやがって……げっ」


 適当に魔導テレビをつけると、丁度イシュタルが映っていた。

 魔導テレビはヴィノスの中心に立てられている魔塔バベルが放つ魔力波を拾い、街の出来事を映し出すことができる代物だ。

 遠くの国の出来事などは放送できないが、魔導都市内のことは大体把握できる。

 画面の中心にはイシュタルがいつも通り堂々とした姿で座り、彼女の下に映るテロップには『緊急会見! グランドマスターイシュタル引退宣言!?』と書かれている。


『長くグランドマスターなんてもんをやってきたが、私ももう年だ。そろそろ後継者を決めないとってずっと思ってたんだが……残念なことに後継者どもの中に私に勝てるやつがいなかったんでな。選定方法を考えることにした!』

『そ、その方法とは!?』