魔女に首輪は付けられない 特別短編

【前日譚】魔女の見る通勤風景③

 ◇


「君の目的地じゃないのかい?」


 声がして目を開けると、白い髪の少女が笑っていた。

 理解不能。

 周りを見回すと、皆無事で、というかさっきまでバスジャック犯をやっていた男もちゃんと座席にいて、『魔道具』を膝に抱えている。

 どういうこと?

 さっきまで夢を見ていたの?

 いや全然違う。男の『魔道具』はバスを浮かすためのもので、それだけは確かに証拠として残っている。

 そうだ。

 私の大事なリュックは——。


「居眠り中に落としてたよ」


 白い髪の少女が右手を差し出している。そのほっそりした腕に、私のリュックがぶら下がっている。


「今度は離さないようにね」


 そう言う少女の顔はとても綺麗で綺麗で、身体から神経が抜き取られたみたいに私は動けなかった。

 クラクション。

 どこかの誰かが出したやかましい音で、私は覚醒した。

 引ったくるようにして少女からリュックを奪い取る。しっかり重い。盗み取られてはないみたい。


「……中身のこと知ってたの?」

「私じゃなくても気づくさ。金塊でも入っているような取り扱いの仕方だったよ」

「……」

「気をつけたまえ。ことを起こす前に盗まれては駄目だよ。あれでは泥棒に狙ってくださいと言っているようなものだ」

「……止めないの? 警察に言ったり」

「言って欲しいのかい?」

「……正直に言えばやめて欲しい」


 気づけば両手が小刻みに震えている。現実の景色を見ながら、ありうる最悪の未来を直視しているからだ。


「……私はこれがないと、生きていけない」

「だったら持っていればいいさ」


 あっさり言う少女に腹が立った。

 いいわけないでしょ、こんなの。私の意思一つで大勢死ぬのに。


「——っ何でそんな軽々しく言えるの!」


 衝動に任せて怒鳴りつけた私は——



「劇的であって欲しいからさ」



 その一言で凍りつく。


「物事は致命的であればあるほどいい。私は『楽しさ』ってやつを望んでいてね。だから君には〈それ〉を持ち続けていて欲しいんだ。もちろん君は自分の欲望を抑えるために、苦悩するだろう。だけど、それでいいんだ。君は綱渡りに耐えてきた。驚嘆に値するよ。素晴らしい素質だ、きっと、これからも耐えられるはずさ。そうだろう?」

「——あ、ああ」

「なあ、アイリーン?」


 少女は笑みを浮かべながら言う。

 私が『爆弾』を起爆させてもその顔のままだろう。だって人間じゃないんだから。〈離れ〉しているとかじゃなくて、別物なんだから。

 気づいた途端、私のごく個人的な恐怖は吹き飛ばされる。

 震えも止まる。

 呼吸も止まる。

 見えるのは少女の蒼い瞳だけ。


「悪いことをすると■■がやってくるよ」


 そう言えば子供の頃によく言われてたっけ。悪いことなんて『爆弾』以外にしてこなかったから、全然覚えていなかった。


「おや、気づいたのかい? 珍しいねえ。自慢していいよ。■■には分かりやすい特徴はないからね、面を合わせても判別は困難なんだよ」

「あなたは——」

「さようならアイリーン。楽しかったよ」


「〈精神支配ドミネート〉」

 蒼い瞳が光り輝いた。


 ◇


 バスから〈アイリーン〉が降りていくのを、白い髪の少女は微笑みながら見つめている。〈アイリーン〉は外に出るなり、警察たちに話しかけられた。面食らっているものの、受け答えははっきりしていた。概ね、『いじった』乗客と同じような反応だ。つまり「バスジャックなど起きていなかった」と証言をしているのだろう。

 レコーダーへの干渉は済んでおり、犯人も逃走済み。警察は何も得られず、バスの浮遊事件は他の『魔術犯罪』に埋もれていくはずだ。


「楽しいねえ、二人とも」


 識別名〈人形鬼〉は立ち上がると、出口へ向かった。警察は少女に目をくれようともしない。まるで、そこに誰もいないかのように、素通しする。

 この街は退屈しない。人口の多さはそのまま危機的状況に直結する。少女にとって遊園地と同じだ。

 明日は何が待っているだろうか。

 自然と笑みが浮かぶ。

 人だかりを抜けると、少女はふいに「ああ」と言った。



 ——明日だったか。

 新しい捜査官が来るのは。

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