魔女に首輪は付けられない 特別短編
【前日譚】魔女の見る通勤風景②
◇
「おーい、ちょっと来てくれたまえ」
白い髪の少女は犯人を呼び寄せた。うんざりした顔で犯人が通路を歩いてくる。他の人たちはその様子を固唾を飲んで見守っている。
「うるさくすれば落とすと言ったぞ」
犯人は『魔道具』を少女に向けた。でも少女はわざとらしく肩をすくめて、
「確かに言ってたねえ。すまない、私は忘れっぽいんだ」
「それが最後の言葉で良いんだな?」
「もう二言くらい待ってくれたまえ。筋肉君、君がバスジャックに挑んだ理由についてだが」
「話す必要はないと——」
「いやいや、君に話してもらわなくても大丈夫さ。もうわかったからねえ」
「——!」
犯人が目を見開く。というか、私たち乗客も驚いている。
満足そうに白い髪の少女は頷くと、立ち上がった。それから両手を掲げると私たちを見回して、
「それじゃあ、これを見てくれ」
右手に何か持っている。
細かい細工が施された光沢のある物体。
えっと、これって——。
白い髪の少女はにたにた笑う。
「全員見れたかい? そう、君たちご存じの、イレイル市警のバッジさ」
「一体、いつ——」
「いつも何も、君の方から私に近づいてきたんじゃないか。忘れたのかい?」
「返せ!」
『魔道具』を振るおうとした男に、さっと少女は手を振った。分厚い胸に市警のバッジがぶつかった。犯人は慌てて受け止めて、それからほっとしたように息を吐いた。
「落ち着きたまえ。返さないとは言ってないさ。ちょっと拝借しただけだよ」
「あんた……」
男は少女を睨みつけるけれど、怒っている風じゃなかった。自分の中から無理やり怒りを振り絞ろうとしているみたいだった。
白い髪の少女は口を開いた。
「〈憂さ晴らし〉だろう?」
「……」
「ストレスが溜まる仕事だからねえ。少しくらい暴れたくもなるさ。それ以外の目的なら——そうだね、身代金が目的だったら、こんなにのろのろしてられないさ。君は私のような不遜な人質さえ生かしている。あくまで〈警察〉として暴れることに拘っているんだ。つまるところこれは〈ごっこ遊び〉だ——バスジャックのふりをすること自体が目的の、誰も犠牲にならない、安全安心の優良犯罪だよ」
男はよろよろと空いている座席に手をついた。顔に観念したって書いてあった。
「……あんた、俺の心でも読んでんのか?」
「勘の良さには自信があるんだよ」
「は……」
と男が軽く笑って、
「……うんざりしたんだ。報われない仕事に。犯罪者どもは『魔術』で好き勝手している。だが俺たち市警はあらゆるルールで縛られている。感謝する奴もいない。市民から疎まれてすらいる。だから、自分で同じことをしたらすっきりするかと思った。奴らと同じ土俵に上がれば、俺の行き場のなさもどうにかなると思った……まあ、そんなのは幻想だったみたいだがな」
「ふむふむ、大変そうだねえ。思わず同情してしまうよ」
そういう割には、白い髪の少女の笑みが深まっていく。
「君は下に降りたらバッジを剥奪され、裁判にかけられる。抵抗の余地もなく、懲役刑が課せられるだろうね。それでも降りるつもりかい?」
「……ああ。もう気は済んだ。迷惑をかけたな、あんたたち。今すぐ解放してやる」
男が周りの人に目を向けたとき、
「まだ、だろう」
はい?
不吉な予感がした。
白い髪の少女は目を細めながら、
「まだ君のやるべきことは終わってないだろう?」
「……何を言ってるお前」
犯人は呻くように言った。
にっこりしながら白い髪の少女は通路を練り歩く。運転席の側に行って、運転手さんの肩に手をつくと、
「君はこのバスを落とすべきだ。うん、せっかくここまで準備したのに諦めるのかい? そんながっかりすることはしないよね?」
運転手さんがすごい顔つきになった。
多分、私も。
というか皆が。
「な、何で——解放するって言ってるじゃない!」
声を上げると少女は、
「いやあ、アイリーン。君には彼の心の叫びが聞こえないのかい。彼は全然満足していないよ。心底バスを落下させたがってる」
「聞こえない!」
「それは残念だ」
がくんと急にバスが揺れた。床が斜めになっている。
見れば自首しようとしているはずの、犯人が『魔道具』をバスの床に向けている。目は爛々としていて、正常な状態には見えない。
「あ、あなたが何かやってるの!?」
白い髪の少女はかぶりを振った。
「やってるのは彼の方さ」
車内がざわめく。
浮遊感。
バスが百メートル先の地面に落下していく。
私のリュックが膝から離れていく。
ああ!
大事なものなのに!
皆をぶっ殺すために必要なのに!
◇
白い髪の少女風に言えば、私は〈自爆テロごっこ〉をしようとしていた。だって、教授、生徒、皆悪い人ばかりだ。いわゆる賄賂。媚を売る人と受け取る人。犯罪者ではないけど悪い人。きっと実際に検察になっても関わるのはそういう人ばかりなんだろう——とか考えると、リュックに『爆弾』を詰めずにいられなかった。『爆弾』でいつでも誰でも吹き飛ばせるように心構えておかないと、やってられなかった。私にとって『爆弾』は生きるための究極のお守りだった。
素敵で大きな『爆弾』。
ネットを見て頑張って作ったのに。
私のための救世主なのに。
『爆弾』がリュックから飛び出して天井にぶつかるのが見え、私の意識は途切れた。



