あのとき育てていただいた黒猫です。2

第二匹 ランドセルを背負う猫 ⑥

 相変わらず結羅の制服姿は派手で目を引いた。何よりも本人が煌びやかで華のある少女なので、こんなに大勢の人間が行き交う中でもすぐに居場所がわかった。

 相変わらず、純真な男子たちが結羅の谷間や生足に目を奪われては木々にぶつかっていく。


「ごめん、教室でみんなに質問攻めに合っちゃって」

「ははっ、そりゃそうだろーな。こんな話題の塊みたいなやつのことを小学生たちが見逃すはずもねえ。しかも、こんなに天使な可愛さなんだからよっ」


 そう言って、結羅はテトの頭をガシガシ撫でて、そのまま肩に腕を回してきた。


「あ、暑いよ結羅」

「もうちょっと堪能させてくれ」


 テトの頬から耳にかけて結羅の横乳が押し付けられる。乳房とは脂肪で肉塊だ。つまり熱が籠る。端的に言って、暑かった。

 二人は歩き出す。その中でテトはすん、と鼻を鳴らす。

 いつもの薔薇の匂いが香った。しかし、


「…………そういえば、結羅。香水変えた? ……というか、減らした?」

「んぇ?」


 結羅が驚いてテトを振り返る。


「よ、よくわかったな? やるじゃねえか」

「僕、鼻はいいからね」

「いや、別に隠すようなことでもねえんだけどさ……」


 結羅は恥ずかしそうに視線を泳がせながら、頬を人差し指で掻く。


「前にテトがあたしのこと香水くせえって言ったろ? ……だから、使うのやめたんだ。代わりに、同じ系統の匂いのシャンプーにしたんだよ」

「僕のため?」

「…………に、二回も言わせんなよ。だから、そうだって言ってんだろ」


 結羅は前を見て歩きながら、テトの視線から隠れるように横髪をいじっていた。

 照れた結羅を見るのは珍しい。テトはなんだか嬉しくなって、大股で歩いた。


「ありがとう、結羅。僕、結羅のそういうところ好きだよ」


 詰まるところ、この少女はどこまで行っても素直でいい人なのだ。


「は、はぁ!? ちょ、急にそういうこと言われると、ヤバいから! あたし、そういうの慣れてないから!」

「? そういうのって何?」

「そういうのって、えっと、その、つまりだな…………っ」


 テトは照れている結羅を見て、ニマニマしていた。


「テ、テトが今、天使よりも小悪魔に見えるぜ……」

「匂いが強いのがちょっとだけ苦手ってだけで、結羅の匂いが嫌いなわけじゃないよ。と言うかむしろ──」


 テトは肩に回された腕を引く。

 そして、結羅の脇に顔を突っ込んだ。


「ちょっ、テト、お前何してっ。ばか、今日あたし、体育あったから……っ!」


 そして吸う。香った。薔薇の匂いが。結羅の匂いが。


「すぅ──はぁ。僕は結羅の匂い、結構好きなんだ」


 小さい頃から嗅いでいた匂いだ。

 瑠璃香と一緒に遊んでくれた、快活な少女。狭かったテトの世界では、結羅の存在は大きかった。遊んでくれる人間は、数える程しかいなかったから。


「そ……そうかよ」


 結羅はそれからテトの顔を覗き込んで、


「…………ちなみに、るりぃとあたしの、どっちの匂いが好きだ?」

「う〜ん」


 首を捻る。


「どっちも好き」

「どっちも好きってのはなしだ」

「なんでよっ!」

「なんでもだ。どっちもっていうのは何も答えていないのと同じだからな。テト、選べ」

「うーむむむむむ………………………」


 それから結羅を見上げて、


「瑠璃香のは落ち着く匂いで……結羅のはなんか、ワクワクする匂い」

「ワクワク?」

「うん。結羅が来ると、いっつも楽しいから。だから結羅の匂いはワクワクする。だから好き」

「ふーん……」


 結羅は否定も肯定もしないまま、そのまま視線を前に向けたまま歩き続けた。

 結羅の口元はモニュモニュと緩んでいた。

 そうこうしているうちに、朝に潜った門に辿り着く。

 大学生も高校生も中学生も小学生も、皆が一緒になって続々と校門を後にする。

 校門のすぐ前にある信号で立ち止まると、おもむろに結羅が言った。


「なあ、テト。ちょっとこの後時間あるか?」

「へ? もちろんあるけど……瑠璃香には学校が終わったらまっすぐ家に帰りなさいって。校則にもそう書いてあるって」

「バレやしないって」

「でも瑠璃香が心配するし」

「瑠璃香が心配するよりも前に帰るからだいじょーぶ」

「た、退学になっちゃったりしない?」

「ならねーよ。もしそうならあたしなんて今頃百回以上、退学してるっつーの」


 結羅はぐい、と顔を寄せてきた。


「なあテト。ルールってなんのためにあるか、知ってっか?」


 テトはムッと膨らませた。それくらい元猫のテトでも知っている。


「もちろん守るためだよ」

「チッチッチ。違うな。すり抜けるためにあるのさ」

「すり抜ける?」

「学校にまっすぐ帰る途中に。──そうだろ?」

「…………。うん、そうかも」


 頷いたテトの顔には結羅に似た悪戯っぽい笑みが浮かんでいたことだろう。

 結羅は肩から腕を外して、代わりにテトに手のひらを向けた。


「よく言った。ちょっとあたしに付き合えよ。たのしーこと教えてやる」


 瑠璃香に恩返しをする。そのために人間らしくなる。

 さらにそのために人間について、社会について学ぶ。

 それが、テトが学校に来た理由だった。

 テトは思う。

 ──結羅と、もっと遊んでみたい。そして、もっとこの世界について知りたい。

 思考の末、テトは大きく頷いて、結羅の手を取った。


「ねえ、結羅。僕にいろんなこと教えて」


 結羅が笑う。信号が、青に変わる。



 テトと結羅は七旗駅に来た。

 七旗駅とはテトたちの住むマンションからの最寄り駅で、四種の路線が通る大型駅である。

 複数の駅ビルが立ち並ぶほか、東西南北にはそれぞれ繁華街とビジネス街とが入り乱れながら広がっており、大きな賑わいを見せている。


「ゲーセンに行くぞ」


 ホームを降り、改札を通り過ぎたところで第一声。

 振り返った結羅は真剣な顔でそう切り出した。


「ゲー……セン? 何それ」

「ゲームセンター。略してゲーセン。健全に脳汁出すならこいつが一番だ」

「脳汁……? よくわかんないけど、結羅の言うところに行くよ!」

「よっしゃ、よく言った。それでこそあたしのテトだ」


 改札からロータリーに出て、さらに繁華街へ歩くこと十分。

 そこには、先日、テトがショッピングモールで迷子になる原因となった煌びやかな空間が広がっていた。


「ちょ、ちょ、ちょっと待ってっ! ゲ、ゲームセンターってここのことだったの!?」


 躊躇なくゲームセンターの中へ入ろうとする結羅の手を思い切り引いて、立ち止まる。


「あり? 来たことあったのか?」

「来たことがあるというか、通りがかったことがあるというか、迷子になったというか……」


 テトはそのまま、当時のことをかいつまんで結羅に話した。

 テトが瑠璃香と買い物にショッピングモールへ行ったこと。

 通りがかったゲームセンターに踏み入れたものの、迷子になってしまったこと。

 たまたま色々あって再会できたが、とても怖かったことなど。


「……つまり、ゲーセンがなんとなく怖い、ってことか?」

「怖いっていうか……なんか、行っちゃいけないような印象があったりなかったり」

「んなこと気にすんなって。あたしがいるから大丈夫。何事も経験だぜ。──つーことで」


 結羅はテトの手をがっしりと掴むと、一気にゲームセンターへ引き摺り込んだ。


「ちょっ、結羅!?」

「遊び尽くそうぜ!」


 音と光の波が一気にテトを包んだ。

 やってくる大音響は、最近掃除機をよくかけているので慣れてきたのか、あまり気にならなかった。

 押されて流されまいと必死に結羅の腕を掴んで進む。

 店は年若い客でごった返していた。


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