あのとき育てていただいた黒猫です。2
第二匹 ランドセルを背負う猫 ⑦
そのフロアには、ぬいぐるみやお菓子などでいっぱいになった箱からアームのついた装置で景品を掴み上げる筐体がずらりと並んでいた。ところどころで景品獲得のベルが鳴り、マイクで拡声された店員の客寄せ文句がずらずらと流れている。
「こ、ここで遊ぶの!?」
しかし、結羅はそれら筐体に一切の目もくれず、上りのエスカレーターへと進んでいった。
「いんや、ここには興味はねえ。目指すのは四階だ、そこに桃源郷がある!」
一列用のエスカレーターに結羅が先に登る。
見上げると、結羅の短すぎるスカートの中身が丸見えだった。
「────」
今日は赤色のレースだけで形作られた下着。簡単に破れてしまいそうなそれは、やはりほとんど紐の集合体で、尻肉を覆っている布もレースなせいでほとんどが透けてしまっている。
テトは慌てて結羅のスカートを下から押さえつけた。
「ひゃっ! な、なんだよテト、びっくりするじゃねえか」
「結羅、全部見えてるっ! 人間はこういうの隠さなきゃでしょ!」
「人間? まー、そういうのが確かに当たり前になってるけど、世の中には見せパンっていう概念もあってだな──」
すると交差するよう形で設置されている隣のエスカレーターから、男子中学生の四人組が降りてくる。彼らは身体を硬直させたまま、首だけを動かして結羅の臀部を下から鷲掴みしているテトを凝視した。
彼らはそのまま下層階に付いて折り重なるようにして転ぶまで、ずっと二人を見上げていた。
「あーあ、かわいそうに。小学生に二歩も三歩も先を越されちまった傷は大きいだろう」
南無、と男子中学生たちに両手を合わせる結羅。
そのままエスカレーターを折り返し乗り換えるが、そこでも結羅はスカートの裾を押さえようとしなかったため、再度テトが代わりに結羅のお尻めがけてスカートを押さえ付ける。
「……にしても」
結羅はテトを振り返り、首を傾げる。
「テトってなんでそんなに冷静なんだ?」
「へ?」
テトもまた結羅と鏡合わせになった虚像のように首を傾げる。
「僕、どちらかというと感情的な方だと思うけど」
「いや、そういうんじゃなくて……ほら、今もあたしのお尻触りながら、照れもしないし」
「? お尻を触ったら照れなきゃダメなの?」
「ダメってわけじゃねえけど」
結羅は調子を崩されたように、むむむと唸ってみせた。
いつも他人を自分のペースに乗せるのが上手い結羅にとっては、珍しい状況かもしれない。
「あたしってほら、これでも結構可愛いじゃんか? スタイルもいいし、肌もわざと出してるし。ウブな男だったら秒で悩殺できるもんなんだけど──」
再びエスカレーターを折り返し乗り換える。
今度は、テトは結羅のスカートを押さえなかった。
「テトはあたしを変に意識したり距離を置いたり逆に迫ってきたり、そういう感じ、全然ねえからさ」
そう言って、結羅はテトの頬を左右から挟んでモニュモニュと揉みしだく。
テトは必死に考えながら、言葉を作る。
「僕、多分、そういうのまだわかんない。──だからさ結羅」
言う。
「結羅が教えてくれる?」
「ぶ……っ」
瞬間、結羅が鼻血を噴いた。
結羅は慌ててハンカチで拭って応急処置を施す。
「大丈夫?」
「落ち着け、落ち着けあたし。こんなことがあっていいのか? るりぃ的にはテトは家族だから〝大丈夫なショタ〟だけど、あたしにとってテトが大丈夫な世界線って存在するのか?」
どうやら結羅は混乱しているようだ。
テトは笑って結羅に言った。
「まあ、詳しくはわからないけど──結羅は僕の友達だから」
初めての、人間の友達。
結羅は一瞬固まって、それからニヤリといつもの快活な笑みを浮かべた。
そしてテトの頭をわしゃわしゃと撫でて、
「だな。あたしら、ダチだもんな」
すると、結羅の背後で視界が開けていく。
他のフロアと同じくして煌びやかな演出は変わりない。
しかし、一つだけ違うことがあった。それは──音。
そのフロアには、コインの奏でる大音響に支配されていた。
「結羅、着いたよ!」
「おうよ」
結羅、テトの順に降り立つ。
そこはあの日、ショッピングモールで見た景色に酷似していた。
違うのは、あの時と違って行き交う人々の多くが子供ではなく大人であること。
テトは先の一件から学習したため、すかさず結羅の腕を両手で捕まえてぎゅっと抱え込んだ。
迷子になるのはあれを最初で最後にしたかった。
すると、隣の結羅はフルフルと震え出し、
「ぁ、ああ……帰ってきた。この音、この音だよ……っ。電子取引じゃ絶対に味わえねえ、コインの重みだけが生み出す快感……!!」
「結羅、何言ってるの?」
「行くぞテト! ここはもう、ドーパミンの海の中だぜ!!」
そう言うと、結羅がテトの手を握り返し、早足で筐体の樹海を進み出す。
端目に次々に映るのは、ガラス面に張り付く男、山積みにした箱から溢れんばかりのコインをつまらなそうに機械へ吸わせる男、画面の中の数字を一生一番の大勝負のように齧り付くように睨みつける男。
そこはさながら、異界であった。
「ね、ねえ結羅! これは一体、何をする場所なの!? ゲーセンって何なの!?」
「答えは簡単、遊ぶ場所だ! それ以上でも以下でもねえ! ただ楽しめ! それがここに来る者の果たすべき責任だ!」
「遊ぶ? ただ、遊ぶためだけの場所?」
「そうだ!」
「え……何それ、最高じゃん」
「だろ?」
結羅は抜群に気持ちのいいウィンクをしてみせる。
それからそれらゲームのための筐体とは別の細身の機械に立ち寄って、いくつかの操作をした。すると、その細身の機械が急に白銀のコインを大量に吐き出す。
「こ、これは?」
「この丸っこいのはコイン。遊ぶために必要なやつだ。んで、あたしはここによく遊びに来るから、こーやって預けてるってわけ」
「へえ〜〜〜〜〜」
なるほど、確かに結羅と一緒に行動をともにすると、瑠璃香との生活とはまた違った刺激で満ち溢れている。
これは、楽しい。
すると、メダルで山盛りになったプラスチック製のカップを一つ、結羅が手渡してくる。
「大事に持ってろよ。そいつがあたしらの軍資金だ」
「お、っも」
「だろ? その重さがいいんだ。リスクもリターンも、文字通り手に取るようにわかる」
「瑠璃香のおっぱいくらい重い」
「……まじ? さてはあいつ、また育ちやがったな」
それから結羅は同じメダルで満杯のカップをさらに二つ作って、二人で歩き出した。
結羅はこのフロアで一番巨大な筐体へ歩いていく。何人もの人間が一度に囲める円形の筐体──それが二つ繋がったやつだ。結羅は真剣な目で、台のメダルの具合をひと席ずつ値踏みしながら一周すると、ある一席にテトを導いた。
「ここでやろう。うまくいけば、一番でっけえジャックポッドを狙える」
「ジャックポッド? 何それ」
「大当たりってことだよ。そいつを当てると、この何倍もあるコインが貰えるんだ」
「へえ! 遊んでさらにメダルが貰えるの!? そしたら無限に遊べるじゃん!」
「当たればな。当たらなければ当然メダルは失う。それがゲームってやつだ」
「そ、そっか。そりゃ美味しいだけの話なんてないもんね」
「んだよ、よく分かってんじゃねえか」
結羅はテトの頭を撫でると、先に二人用の席に座る。なぜか、そのど真ん中に。
それから、テトに手招きをして、自分の膝の上をぽんぽんと叩いていた。
結羅の膝の上は座っていて気持ちがいいし、耳元で聞く結羅のハキハキとした声も好きなので、やぶさかではない。
テトはランドセルを席に置くと、そのままピョン、と結羅の膝の上に乗った。
結羅は台の上に突き出ている棒を二本、指さす。
「この中にメダルを入れるんだ。そうすると、ほら、中に入って転がっていく」



