あのとき育てていただいた黒猫です。2

第二匹 ランドセルを背負う猫 ⑧

 結羅は早速、テトにレクチャーを始めた。

 仕組みは複雑だったが、一度理解してしまえば興味深いシステムだった。

 まず、メダルを筐体の中に投じる。筐体の中では二段になったメダルの場があり、二段目が前後に常に稼働しているというものだった。その前後運動によってメダルが次々と押し出されていき、特定の穴にメダルが入ると筐体内の画面に映るスロットが稼働、そこでさらに当たるとストーリーが進んだり、大きな当たりが引けたりするらしい。

 いわゆるメダルプッシャーである。

 結羅が説明し終えると、テトは結羅の膝の上で座り直した。

 早くやりたくてウズウズしていた。

 それに気づいた結羅はテトのことを片手で抱きしめ、


「──んじゃ、始めっか」

「うんっ!」


 二人同時に、メダルを投下した。



 メダルの雨が降っていた。

 テトが眼前で起こっている現象について、そう表現することしかできなかった。

 かれこれ十分近く、この雨は続いている。

 その間も、筐体の中央にある巨大なモニターが回転をしたり、チカチカと激しく明滅をしたり、荘厳な音楽を奏でたり、煌びやかな映像を流したりと大忙しだ。

 そして、その景色を見て、テトを抱き抱えている結羅は狂喜乱舞していた。


「まじか! まじかまじかまじか! まだ始めて三十分なのにジャックポットじゃねえか!」

「それってすごいの?」

「すげえも何も、ここにいる奴らが何時間かけてでも欲しいやつだぜ!」

「おお、じゃあこんなに早く出るのはすごいんだ」


 テトは、筐体の中でキラキラと輝きながら金属製の板を打つメダルの滝を眺めた。


「綺麗だね」

「だろ? これがあるからやめられねえ」


 そうして、ようやく静かになり、台が通常モードに戻る。

 手元には、山のように積み上がったメダル入りの箱が鎮座していた。

 興奮冷めやらぬまま、結羅は手元に余っているメダルを惰性で投入していく。

 ──すると。


「ってまじか! は!? ダイレクトジャックポッドチャンス!? まさか二連チャンある!? やばすぎる!!」


 また絶叫した。その時だった。

 結羅のスマホが鳴動する。

 しばらくスマホを無視してメダルを投入し続けていた結羅だったが、いよいよ鳴り止まないスマホをついに取り出した。そして画面を見ないまま電話を出るため、指を滑らせ──


「ちょっとゆらちゃんっ、なんで全然、電話に出ないの?」

「うぉ、っと、るりぃ!? 急にどうした!」

「急にどうしたじゃないわよ、さっきから何度も電話してるのに」


 テトは聞こえた瑠璃香の声に、結羅を振り返って見上げる。

 結羅は視線をスマホの方と、筐体の中身とを忙しなく往復させていた。


「ね、ねえ、ゆらちゃん? 念の為心配になって聞こうと思ったんだけど、ちゃんとテトくんとうちに帰ってるよね──ってゆらちゃんっ? 一体どこにいるの!? なんか後ろがすっごくうるさいんだけど!?」

「え!? よく聞こえねーってるりぃ! もっとデカく喋ってくれ!」


 結羅の声のトーンに合わせて、電話越しの瑠璃香も合わせて声を張る。


「だーかーらー! 今、どこに、いるの!?」

「ああっ!? ホームだよ、ホーム! 電車のホーム──から徒歩十分のところにあるオアシスだよ」


 結羅がにしし、と笑いながらテトを見て、唇に人差し指を当ててくる。

 何も言うなよ、ということらしい。

 テトも笑いながら両手で口を塞ぐ。

 しかし、瑠璃香を侮っていた。


「ちょっと! ホームから徒歩十分のところにあるオアシスって何よ!? それって電車のホーム、関係ないじゃない!」

「んぇっ!? 聞こえてたのかよ!」

「どうせその感じだとゲームセンターに行ってるんでしょ! さてはテトくんも一緒ね!? 放課後に小学生をなんてところに連れて行っているのよ!」

「別にいーじゃねーか! 社会科見学だよ!」

「社会科見学でゲームセンターに行く人がどこにいるのよ!」

「あたしだよ!」

「もう……っ! 委員会、もうちょっとかかりそうで迎えにいけないのがもどかしい……っ。いい、ゆらちゃんっ、今すぐおうちに帰るのよっ?」

「うぉおおおっ! ジャックポッド、二連チャン!! やばすぎる! テト、お前はあたしの勝利の天使だー!」

「ゆらちゃん!」

「わぁったわぁった、適当なところで帰るから!」


 そう言って結羅は強引に通話を切ると、テトを抱え直した。そして、


「まだ帰れねえよなぁ?」


 結羅はテトにウィンクする。

 テトはふんす、と大きく息を吐きながら頷いた。





「あー、遊んだ遊んだ!」


 あれからきっかり一時間後、テトと結羅はゲームセンターを後にした。

 時刻は五時を少し過ぎた頃。

 まばらな雲がオレンジ色に染まり、晴天の空が色彩豊かなグラデーションを見せる。

 ビルの合間から顔を覗かせる飴玉のような太陽は眩しく、建物のガラスというガラスが同じ色に塗りつぶされていた。

 信号機の電子音、雑踏の靴音。エンジンの駆動音。──喧騒が入り乱れる。

 これが街。これが人間の世界。

 テトは手を繋いで隣に立つ結羅を見上げた。


「結羅、世界には色んなものがあるね」

「ああ、そうだな。でもテト、まだまだこんなもんじゃねえからな」


 ニカリ、と笑った結羅は、スマホの画面を見る。


「まだ時間はあるな」


 呟くと、テトの手を引いて歩き出す。


「なあ、テト。ちょっとあたしの買い物に付き合ってもらってもいいか?」

「もちろん。次はどこに行くの?」

「ペット雑貨専門店、ってところだ。そろそろ猫缶のストックが切れちまいそうでよ。あー、ついでに何か新しいおもちゃでも買ってくか」

「猫缶」


 ゴクリ、と思わず生唾を飲み込んでしまった。

 瑠璃香のご飯は美味しい。当然最高だ。おそらく、瑠璃香の手料理を超える食事は、世界がどれだけ広いといえど、存在し得ないことだろう。

 だが、時折思い出してしまうのだ。

 猫時代に、時たま瑠璃香が開けてくれた猫缶の味を。

 人間の舌と猫の舌の作りは違う。それは、人間の姿で様々な料理を口にしてわかったことだ。

 しかし、テトは猫又。

 人間の姿を取ることもできれば、猫の姿に戻ることもできる。

 つまり、猫の姿になって、猫缶を味わうことだって可能なのである。

 だからこそ、考えてしまう。

 ──久しぶりに、猫缶食べたいな。とか。


「っていうか──」


 そこでようやく、テトは一つのことに気づいた。


「結羅ってもしかして、猫を飼ってるの?」

「あり、言ってなかったっけ?」


 驚いた表情になる結羅。

 テトは首を横に振った。


「そうだぜ、猫様と一緒に暮らしてんだ。あたしも瑠璃香と一緒で親とは住んでないから、実質二人暮らしをしてる」

「へええ、そうなんだ。僕と瑠璃香と一緒だね」

「だな」

「どんな猫なの?」

「うーん、そうだな。上品で、気高くて、思慮深くて、時には鋭い猫様だよ。気に入らないことがあるとすぐ引っ掻いてきたり、噛みついてきたりするけど、基本は冷静だし。猫パンチの速さがすごいんだ。見えたことがねえ」


 テトは自分の頬を撫でる。

 ツルツルに治っているが、古傷が疼いた気がした。

 なんだか聞いたことがあるような話である。


「しかも、普段はツン、ってしてるんだけど、いっつもあたしのあたしの足にすりすりしてくれるし、勉強してる時は膝の上に乗ってきたり、あんまり構ってやれてないとノートの上に乗って邪魔してきたりして、これがほんと可愛くてさ〜」

「へー」


 やはり気のせいだったかもしれない。

 テトが思い浮かべた知り合いに、そんな可愛げがあった記憶はない。


「んじゃ、ちょっくらあっちの大通りに──」


 そう言って、結羅がテトの手を引いて歩き出したその時。


「あ」


 たった一歩で結羅は立ち止まった。


「どうしたの?」



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あのとき育てていただいた黒猫です。2の書影
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