あのとき育てていただいた黒猫です。2
第三匹 姉を訪ねて ②
「弟持ちにこの気持ちはどうせわからないわよっ!」
そしてなぜかギャンギャンと仲間内で喧嘩を始めてしまう。
ある生徒はテニスラケットを構えたまま横顔でボールを受け止め。
ある生徒は購買で買ったアイスクリームをカラスに持っていかれ。
ある生徒は音楽機材を積んだ台車から手を離してしまい、別の生徒が坂の下で轢かれていた。
……これは、一体何が起こっているのだろうか。
「な、なんか怖いからさっさと中に入っちゃおう」
思い出すのは、ショッピングモールで偶然出会ったススキ様と歩いていた時。
あの時も、こんな感じでありとあらゆる人がススキ様に目を奪われ、通りがかった男子高生などはまとめてエスカレータ―を転がり落ちていったものだ。
テトは、それに似た現象を感じた。
足早に向かった先は、来客と職員用の昇降口。
守衛さんに説明すると、あっさりと了承してくれ、スリッパを貸してくれた。
ついでに、もう一つ聞いておく。
「あ、あの。二年B組ってどうやっていけば良いですか?」
好好爺の守衛さん曰く、瑠璃香のいる教室は五階建てのうちの三階に上がり、右に曲がったところに位置しているという。
階段を上ると、再び大勢の女生徒たちとすれ違った。
そして、皆口々にテトに反応していく。その反応もさまざまで、
「ぎゃぁあああっ、可愛すぎ──きゃあ!」
踊り場で
「君、可愛いねえ〜、これからちょっとお茶しない?」
ぱちぱちぱち、と長く装飾されたまつ毛を
「あ、無理、しんどい、尊いが振り切れて災いを感じてる。私、五限目休むわ」
目を焼かれて限界を悟る少女もいた。
皆、華やかに着飾っていて、
なるほど、結羅は確かに派手ではあるが、あの自分の好きなことを貫く姿勢は、この学院に広がる信念のようなものから来ていたのかもしれない。
今更ながらに、良いところだとテトは思った。
そうして三階にたどり着くが、当然、初めての空間で道がわからない。
テトは迷った末、近くを通りがかった二人組の生徒に話しかけた。
「あの……すみません、ちょっといいですか?」
「はーい、なんでしょ……うぇっ! 野生のショタ!?」
「おい待て、よく見ろ。あれは初等科で丁寧に育てられた最上級の温室ショタだ」
「待って、黙って、十六年間凍りついていた私の人生にようやく来た春かもしれないから」
「多分それ、春じゃなくて触ると火傷する類の暖房器具だぞ」
用法用量は守らないとな、と言う少女を押し退け、最初に話しかけた少女が満面の笑みでテトの前にしゃがむ。
「ど、どうしたのかな? 迷子になっちゃった?」
「えっと、そうなんだ……です。あの、二年B組に用事があって。でもどこかわからなくて……瑠璃香を、泉瑠璃香を探しているんです」
「へ、るりちゃん? B組なら私たちのクラスだから今案内してあげる」
テトはその親切な心に感激して、満面の笑みを浮かべて言った。
「本当? ありがとう、お姉さん!」
「ぶっ」
少女が突然、鼻血を吹いた。
するとその友人がすかさず取り出したハンカチを彼女の鼻柱に叩きつける。
「落ち着け。どうせ私らに扱えるレベルのショタじゃあない。あれは──可愛いがすぎる」
「じょ、女子校育ちの私には、所詮こんな可愛い子を相手できる戦闘力なんて持っていませんよ、ええわかっていましたとも」
それから二人の少女に案内されて、一つの教室の前まで連れて行かれる。
そして鼻血を出した少女はハンカチで鼻を押さえながら教室に入って、
「るりちゃーん、すごーく羨ましくて妬ましいお客さんだよー」
「へ、お客さん?」
瑠璃香の声が聞こえた。
それだけで全身に鳥肌が立ってしまった。
どうやら人間は嬉しい気持ちが振り切っても鳥肌が立つらしい。
「ほら、どうぞ」
ぽん、と背中を押される。
そして教室に踏み込んだ瞬間。
ざわついていた室内は、水を打ったかのように静寂に包まれた。
そして、
「え──私、幻見てる?」
「おっかしいな。なんか天使が見えるんだけど」
「あれが天使ってことは、あたしは天国に来たってわけで、徳を沢山積んだということで……つまり今からあたしはあの子をめちゃくちゃにしてもいいってこと?」
いいわけあるか、と誰かが誰かの頭を
さざ波が返ってくるように囁き声は次第に大きくなる。
それから絶叫の渦に包まれるまで、そう多くの時間は掛からなかった。
そのカオスの中で、ガタン、と誰かが椅子と机を押し退けて立ち上がる音が響く。
「嘘──テトくん?」
テトはようやく、瑠璃香の姿を見つけた。
瑠璃香の席は教室の窓際の一番後ろから二番目の席だった。
ちなみに、その並びの一番後ろの席は結羅である。
「ねえ、るりちゃん、これって一体どういうこと!?」
「泉ちゃん、ひどいよお! 仲間だと思っていたのにぃ!」
「れ、れれ、連絡先を教えて! 十年後まで──いや、やっぱり来年まで何もしないから!」
「み、みんな、落ち着いて? ね? ね?」
瑠璃香と、瑠璃香に後ろから抱きしめられるようにして保護されたテトの元に、教室中の女子高生たちが押し寄せてきた。否、これは間違いなく他のクラス──そればかりか、他の学年の少女たちまでこの教室に集結していた。
身長が低いテトの視点から見ると、大量の生足が短いスカートを揺らして迫ってくるという景色。見知らぬ人間が大勢迫ってくる光景は恐ろしく見えた。
すると、そこに雷鳴のように鋭い声が響く。
「おいおい、お前ら落ち着けって! るりぃとテトが困ってんだろ!」
声とともに、少女たちの壁と瑠璃香との間に割って入ったのは、白銀に紅を混ぜた短髪の美しい少女──結羅であった。
「ゆ、結羅!」
思わず叫んだテト。
その声に気づいた結羅が一瞬振り返り、冷や汗を浮かべながら片目をつぶって見せた。
この時ほど結羅をかっこいいと思ったことはなかった。
しかし──
「……ん? 今、逆瀬川さん、この子のこと〝テト〟って呼んだ?」
「呼んだよね」
「しかも今、その少年も結羅ったんの名前を呼んだくない?」
「うん、呼んだ」
「あ、やっべ」
それを見過ごす少女たちでもなかった。
ぐらあ、と少女たちの姿が陽炎のように揺らぐ。
「もしかして逆瀬川さんもそっち側なの?」
詰め寄る女学生。
一歩一歩、後退する結羅。
「いや、ちょっと待て、これはあのだな、深いわけがあって──あーもうっ、オメーら全員、下がれえ! あたしの天使に手を出すんじゃねえっ!!」
「「「「「「「「「奴も敵だ、捕まえろ!!」」」」」」」」」
一瞬で結羅の身体が、我を見失った女子高生たちに取り押さえられる。
「は、離せぇえええっ! あたしの天使に指一本でも触れてみろ! お前ら全員に、支払いの時絶対に一円だけチャージが足りない呪いをかけてやるからなあ!」
「思ったより悪質すぎる……」
「これはどうやってこの子に接触したのかなんとしてでも聞き出さないと」
「結羅ったん、めちゃくちゃ可愛くて正直嫉妬するけど、それでも同じ女子校仲間だと思っていたのに……っ!」
混乱の渦が深く広く巻き起こる。
そして最早、少女たちが暴徒と化そうとしたその時──
「み、みんな、話を聞いてっ!!」
瑠璃香が叫んだ。
しん、と静まり返る教室。
いや、もはや学院全体が静寂に包まれていた。
テトは瑠璃香が張った声を聞いて驚きに振り返る。
瑠璃香が声を張り上げることなど、ほとんどないに等しい。
だから、驚いた。



