あのとき育てていただいた黒猫です。2
第四匹 幼馴染の家 ④
「た、たまたまだよ」
「なんか妙に猫の扱いも慣れてるっつーか」
「そうかな?」
とぼける。しかし、これで誤魔化しきれているとは思っていなかった。
「じー……。なーんかテトってたまに変なところで能力値高いんだよなあ」
「そ、そんなこと、ないよ?」
油断した。
よりにもよって動物的勘に優れている結羅の前で気を抜くとは、迂闊の一言に尽きる。
最近、人間としての生活に慣れ始めて心に油断があったか──
すると、結羅のスマホが鳴動する。
「ん? 誰だ? ──あ、やべっ。るりぃだ」
「瑠璃香?」
結羅はテトに目配せをして頷く。
昨日のゲームセンターでのアイコンタクトとは違う。
今日のは、「大丈夫だ、気にするな」というようなニュアンスを感じる。
「おぅ、るりぃ。今日はちゃんとラインで連絡しただろ。今日はちゃんと家に帰ってきてるぜ。……あたしんちだけど」
「ちょ、ちょっと、ゆらちゃん。なんかわたしが怒るために連絡をしたみたいじゃない」
「え、違うのか?」
「ち、違うわよっ」
結羅のスマホ越しに瑠璃香の声が聞こえる。
いつも通りの瑠璃香だが、疲れが僅かに滲んでいた。おそらく委員会というやつの仕事が大変なのだろう。
家に帰ったら、今日はいつもよりもたくさん瑠璃香のことをハグしようと思った。
テトはそのままレイラの首の下を撫でる動きを再開する。
すると、
「ごろごろ、んにゃぁ〜ん」
とレイラが甘えた声で気持ち良さそうに鳴いた。
「「「……っ」」」
テトと結羅とレイラ本人の三者全員が同時に驚きに目を見開いた。
レイラに至っては、自分の口から出てきた声が信じられないというように、目をまん丸にしながら口をピッタリ閉じていた。
「い、今、レイラ……」
『な、何も……何も鳴いてないですわよ! というより不意打ちなんて卑怯ですわ!! あ、あんなの、誰であっても思わず声が出てしまいますわよ!』
すると、結羅のスマホから心配そうな瑠璃香の声が聞こえてくる。
「ゆらちゃんどうしたの? なんか後ろですごく可愛らしい声が聞こえたけど」
「あ、ああ……。うちの子がテトに構ってもらっててな」
「そうなの? レイラちゃんだっけ? ゆらちゃんの家に遊びに行ってもいつも隠れちゃうから、未だにちゃんと会ったことがないのよね……」
「あー……そういやそうだったな」
「いいな〜、テトくんはレイラちゃんに会えたんだ」
「気づいたら仲良くなってたぜ」
『な、仲良くなんか……っ』
「ほら、元気に返事してる」
『違いますわよっ!? 違いますのに!』
ぼふんっ、とまたしてもレイラは顔面からソファーに突っ伏す。
どうやら今日はレイラにとって厄日になりそうだ。
それから結羅が瑠璃香と会話を再開すると、レイラは突っ伏しながらモゴモゴと喋る。
『……そういえばまだ聞いていませんでしたが、今日はなぜ我が家に来たんですの』
テトは結羅に聞こえないように声を潜めて話す。
電話に集中している今なら結羅もわからないだろう。
『瑠璃香が委員会の仕事で遅くなるから、昨日から結羅に家まで送ってもらっているんだけど……今日は結羅が家で一人になる僕のことを気遣ってくれて、呼んでくれたんだ』
『……ふん。本当にお人よしなご主人なこと。別に一人で留守番くらいできるでしょうに』
『僕としてはすごく嬉しかったけどね。……一人で瑠璃香の帰りを待つのは、寂しいから』
『……言われずとも、その寂しさくらい、わたくしでもわかりますわ』
チラリと片目を上げてテトを見るレイラ。
「────」
テトは息を呑んだ。
そうだ。
彼女だって、これまでいくつもの季節を超えて、主人の帰りを待ち続けてきたのだ。
テトは、昨日ゲームセンターに結羅と一緒に遊びに行ったことを少しながら後悔した。そうしてテトが楽しく遊んでいる間、レイラはご主人の帰りをずっと待ち侘びていたのだ。
テトはそっと耳打ちした。
『レイラ、ごめん。昨日は僕のせいで結羅の帰りが遅くなって』
『……ふん。今更ですわ。それに、いつ、誰が、寂しいと言いましたの? わたくしはあくまで貴方の寂しさがわかる、と言っただけで──』
『だからレイラ、言ってるじゃないか。素直に言っていいんだよ。寂しいって』
『────』
じっと息を呑むレイラ。
しかし、次にテトの目を見た彼女の瞳は悔しそうに、寂しそうに濡れていた。
レイラは視線を足元に落とす。
『猫又じゃないわたくしには、伝える手段がありませんわ』
『レイラ──』
テトがレイラに向けて言葉を繋げようとした、その時。
「はあっ!? 本気かるりぃ!?」
結羅が勢いよく立ち上がると、驚きに大きな声を立てた。
「結羅……?」
『何事ですの?』
テトとレイラが同時に振り返る。
しかし、結羅はスマホ越しの会話に集中している。
「マジのマジでいいのか?」
「マジのマジでいいわよ。ゆらちゃんなら、信頼してるから」
「…………」
結羅はスマホを片手にシャンデリアが燦々と輝く天井を仰いだ後、テトを振り返った。
「……?」
「…………マジで、いいんだな」
「むしろ、ゆらちゃんに頼んでもいい?」
「そりゃ、もちろん」
結羅は深呼吸をした。
「この逆瀬川結羅、命に代えても
「ありがとう、ゆらちゃん……」
結羅は通話を切ると、もう一度大きく息を吐き出して、虚空を眺めた。
「ど、どうしたの、結羅?」
結羅は少し間を開けてから口を開く。
「るりぃはもう少し帰りが遅くなるそうだ」
「そ、そうなんだ」
「るりぃが帰ってくるまでうちでテトを預かることになった」
「え、そしたらまだしばらく結羅の家で遊んでもいいの?」
「ああ、もちろんだ。ただな、その代わりの条件で言われたんだが──」
結羅はくるりと振り返る。
「テトのことを風呂に入れてくれって、頼まれた。──それも、あぶねーから、一緒に入って欲しいんだと」
「へ?」
『え?』
テトとレイラは同時に声を上げた。
逆瀬川家のバスルームは、泉家のそれとは全くの別物だった。
脱衣所の扉を開けた先。視界に飛び込んできた浴室は広すぎて、最早一つの部屋だった。
七旗市が一望できる角部屋である。巨大な窓ガラスの前には円形のジャグジーが鎮座しており、その隣にはすりガラスで仕切られたシャワーエリアが設けられていた。
それら設備で空間が占有されているわけでもなく、浴室には広々とした余裕を感じる。所々から淡く漏れ出す間接照明が豪奢な雰囲気に拍車をかけ、どこか非日常感を演出していた。
テトはその空間に立ち尽くして呆然と眺める。
「え? これ、お風呂場? 寝るとこじゃなくて?」
「広いのはいいんだけど、冬はさみーんだよなぁ」
そんなテトを端目に、結羅は脱衣所の鏡の前で前髪を触った後、ヘアピンや指輪、ブレスレットやピアスなどを外していく。
「ね、ねえ、結羅。今日、お風呂入んなきゃダメかな……?」
だめで元々で尋ねてみた。
結羅は改造カーディガンをハンガーにかけながら、
「んでだよ、一緒にはいろーぜー? せっかくるりぃからお許しが出たんだし、何よりあたしだけで入るにはちょっと広くて寂しかったんだよ〜」
「まあ、確かにこれは広すぎるよね……」
いつも瑠璃香と一緒に入浴しているから気づかなかったが、なるほど確かに一人でこれだけ巨大な浴槽に浸かるのは開放感以上に、もの寂しさがやってきそうだ。
「だろだろ? あたし兄弟いないから、一緒に風呂入るのって憧れてたんだよな〜」
「…………」
それはどこかで聞いたことがある話だった。
──実は憧れてたのよね。家族と一緒にお風呂に入ることに。
初めて猫又になってから瑠璃香と再会を果たした夜、瑠璃香がこぼした言葉だ。
テトは脱衣所に戻り、顔を上げる。



